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Vol.21 音のエコロジー

  • 2012年10月25日

 この連載のタイトルには「フィールドスケッチ」と書いてありますが、実際の僕はどちらかというと、「フィールドレコーディング」というものがとても好きです。自然や街の音をレコーダーに録音する、ただそれだけのことなのですが、昔から旅先やライブツアーの遠征先で外へ出かけては、よく録音しています。「記念撮影」ではなくて「記念録音」をして持ち帰り、それをただ聴くだけでなく、編集してから自分の作った楽曲に効果音として使用することもよくあります。

 このいわゆる「環境音」ですが、音の風景=「サウンドスケープ」と呼んだりもします。その名前は現代音楽の作曲家レーモンド・マリー・シェーファーが1960年代の活動のなかで提唱しました。その頃は現代的・前衛的なアートの高まりとともに、様々な環境破壊に対する問題意識も高まっていました。ありのままの自然を残すこと、それは多様な生態系が奏でる音の風景を守ることにも繋がります。

 しかしシェーファーは、人間が作り出した街の音まで完全に排斥するのではなく、調和のとれたバランスへと移行していくことに重きを置きました。つまりサウンドスケープとは(音の)形であると同時に概念のひとつでもあり、個人や社会がどの時代にどのような意識で受け取るかというところも大きいのです。そのときその場所の音を録音するというのは、音を通じて生態学(エコロジー)を体感するということを意味していると思います。

音のエコロジー
 民族自然誌研究会が発行している「エコソフィア」9号(2002年)の特集「音のエコロジー」には、サウンドスケープにまつわる当時の研究結果がたくさん掲載されています。ミュージシャン友達の情報で最近になって知ったのですが、とても勉強になりました。

 僕は作曲のためにレコーダーを手にした10代の頃から、街の音も録音するようになっていったのですが、当時は前述したことは何も考えず、ただ楽しくてひたすら録音していました。20代前半は現代音楽にのめり込み、ジョン・ケージやクセナキスなど、サウンドスケープを前衛的に解釈して表現する作品もよく聴いていました。

 その頃の僕の曲で「バッティングセンター」というものがあるのですが、このときはまず新宿にあるバッティングセンターに行って許可をもらい、レコーダーやマイクをあちこちセットして、録音させてもらいました。そして気持ちよく何度も響く金属バットの「カキーン」という音や、その場の雑踏の音を、曲の中でテンポや流れを意識して使用しました。詞もちゃんと付いていて、今でもよく歌っています。

 もちろん自然のなかに入って川の音や鳥の声を録音することもよくあります。適当な地面の上にレコーダーを置いて、音を立てないようにしながら好きなだけボーッとしていればいいので、そのときは心からリラックスできます。僕はいつも何かやっていなければ気が済まない性格なので、フィールドレコーディングは頭と身体を休められる、瞑想のような大切な時間なのかもしれません。

 僕にはサウンドスケープの原体験のようなものがあります。幼い頃、九州にいる親戚のおじさんが、野鳥の声をカセットテープに録って送ってくれたのです。それを好んでよく聴いていました。そして思ったのです。こんなに気持ちいい鳥の声を、楽しそうに録音していたおじさんが心底うらやましい! と。今思えばこのときからすでに、音に対しての独特な捉え方が芽生えていたのでしょうか。さて、明日は近くの公園で、子供たちの遊ぶ声でも録音して来ようと思います。


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