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このコンテンツは、地球・人間環境フォーラム発行の「グローバルネット」と提携して情報をお送りしています。

第118回 裏切られた発展

  • 2013年11月14日

裏切られた発展

 自然システムは社会システムと相互作用を持っています。英語で1994年に出版し、竹内憲司氏等によって2003年に日本語訳が出た私の著書『裏切られた発展』では、サイエンスを進化的なプロセス—共進化—として捉えました。共進化の考えですと、私たちは自然を選択にかけ、自然の方もまた私たちに対して選択をかけ、淘汰するわけです。そして自然のシステムが社会システムに対して圧力をかけ、また反対方向への圧力もかかる、という両方が一緒に起こります。生物学において進化は一つの種が適者生存するということですが、他の種に対しても影響を与え、一緒に進化をすることを共進化といいます。

 政府や、民主主義、市場経済システム、企業、家族、地域社会などを含んだ社会価値システム、知識システム、組織システム、技術システムの四つの社会システムの要素がお互いに一緒になって共進化しながらも、直接的な関係がある上で互いに選択をかけて自然システムと共に共進化します。

共進化の特徴

 共進化において構成要素すべてがすべてに対して選択をかけ、それぞれの構成要素はその他の構成要素の特徴に影響を与えて、お互い密に連動します。共進化の考え方は、ギリシャに由来する西洋科学とは対照的です。そのような積み上げでは捉えられない、より高度なシステムについての話になります。生態系の中で共生、進化というものは相互関係にある種が相手で起こります。例えば種の導入や、遺伝的な間違いが適応した場合に生態系システムにおける共進化的な変化が起こります。そしてある種における性質の異なる混雑を選択にかける環境下で、物理的な変化が他の種に与える選択的プレッシャーは変わってきます。

 共進化の意味するものが社会システムの中でも起きます。それはランダムな変化、間違い、意図的な実験によっても生まれますし、適応に成功して社会システムの新しい特徴として導入されることによっても起こります。過去この地球において、人間が全体の機械論的な進化のダイナミクスで重要な部分を占めていました。この枠の中では自然と文化の二分論はなく、皆一部を成します。

 われわれもその自然の一部ですし、『裏切られた発展』にあるように共進化するパッチワークのような社会がありました。そして時には種や価値観、知識、技術そして社会組織のさまざまな形態が別の社会の中に取り込まれてきた経緯があります。例えばコメ、ジャガイモ、そしてキャッサバ、ピーナッツ、トウモロコシといったものがいろいろな所に広まっていきました。そして大航海時代を経て、人びとを養う地球の能力、収容力が高まってきました。自然をそのような形でわれわれ人間が変えてきたのです。

 しかし、植民地化や化石燃料技術が広まり、戦後の発展、そして近年ではグローバル化が資本の世界で見られるようになったことで、このようなパッチワーク・キルト的な多様性がぼやけてきました。もはや共進化を遂げるパッチワーク・キルトではなく、一つの共進化を遂げるグローバルシステムになり、多様性がその中で大幅に失われてしまったといえます。

 長い人類の歴史の中で、技術、知識、組織は環境と共進化してきました。しかし200年前ぐらいから、現代社会は化石燃料と共進化を始めました。その結果、技術、知識、社会組織、価値観は自然とのつながりが弱くなり、化石燃料とつながるようになりました。

共進化的な視点から見た際の大きな違い

(1)多様性

 私たちが進化を考えるのであれば、多様性が一番重要になります。機械論的な考え方で重要なのは効率ですが、多様性がなければ共進化的なプロセスは止まります。化石燃料をこの原理に組み込んでしまうとどこでも同じような社会的な組織になってしまいます。そうではなくて、多様性をもう一度自然に取り戻す必要があり、パッチワーク・キルト的なシステムにもう一度戻るべきだと思います。

 コミュニティの重要性を考え、物質の生産のシステムよりケアのシステムをもう一度取り戻すことが非常に重要ですが、なかなか難しい。そして、共進化論的な考え方をすれば、どうすればお互いにより環境インパクトを与えずにできるのか、独自の進化が可能になるのか、について考えることができるでしょう。化石燃料をどこでも使うことで、私たちはみんなカップリング(結合)され、お互いへの影響が強くなりすぎているのを、それをはずしてそれぞれの場所での共進化を認めることが必要です。

(2)異なる技術を組み合わせる

 人間にはミスはあるだろうと想定した上で技術を選択するわけですから、やり直しがきく技術を選ぶはずです。また使っていく技術や生み出される産業がよりエコロジカルなものであれば、相互作用があるという考えのもと、エコロジカルなシステムとともに仕事が生まれたでしょう。

(3)知識システムの多様性

 知識システムは、複数の説明モデルが主流となっている生物学のようになっていたはずです。エネルギーシステムモデルや、捕食者あるいは非捕食者の関係、進化の圧力、生化学的なサイクル、ランドスケープ、いろんなパターンで物事を見ることができます。そして、それが技術の多様性にもつながっていきます。知識のあり方も多様になると思います。また共進化というのは、伝統的な考え方を正統なものとみなす、進化論的なプロセスを尊重するので、経験値のように直接観察をして、自然、社会システムのあり方をみていくという方法にも価値を与えるでしょう。

(4)社会組織のあり方

 共進化的に理解されていれば、今ほど市場神話がはびこることはなかったでしょう。まるで市場でしか私たちが組織化する方法がないかのように、企業という形態で毎朝自分の資本をどこで売ろうか考える。そして官僚主義的な企業によるコマンド&コントロールの世界になっています。市場のコマンド&コントロールは嫌だと言いながら、それが実は私たちの生活の組織化の基本になっています。私たちがより共進化的な考え方ができるのであれば、もっといろいろな形で社会の組織化をすることができたと思います。

(5)「われ先に」は重要でない

 私たちはわれ先にという物質的で経済的な思考、すなわち市場中心の考え方をより価値観が低いものとみなすことができます。もし、ダーウィンがニュートンより先に生まれていれば、価値観自体がより多様であったでしょう。また、先に共進化的な考え方が増えていたのであれば価値観も知識、技術、社会組織も多様性を持っていたでしょう。生物多様性に対して人類がそれを破壊するのではなく豊かにする貢献もできていたのではないでしょうか。環境と共に暮らすのであればそれは多様な中で行われるべきで、人類によって自然の多様性が豊かになる方法での貢献ができるはずです。例えばアマゾンの多様性が豊かなのは、先住民が前述のような立場で自分たちの住まいの周りに環境を作り出し、そこで種が保たれているからです。

人類のテーマ

 共進化的な見方をすればシステムというものは常に変化し、それと共に動いていくので、私達の考え方や意識を常にアップデートしなければいけないともいえます。

 自然は変わらないものであって人間がやることが悪い、だから昔に戻ろうという意見がありますが、過去に戻ることはできません。前に進むことしかできないのです。どうすれば私たちが自然と共に前に進むことができるのか、私自身どのように考えを変えることができるのか、自然が人類を変えてきたように私たち人類がどのように考えを変えられるのか、というのが人類の時代における一番重要なテーマだと思っています。

グローバルネット:2013年5月号より


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