遺骨の残り方にメッセージ性があって震える。
現生人類とネアンデルタール人の特徴を併せ持つことで知られるあの有名な子どもの遺骨の年代が、新しい放射性炭素年代測定技術によって正確に特定されました。新技術は、子どもが生きた時代のタイムラインをよりクリアにしてくれたそうです。
1998年にポルトガルのラペド渓谷で遺骨が発見されたことから、この子どもは「ラペド・チャイルド」と呼ばれています。見つかったきっかけは、学生たちが偶然見つけた岩陰の遺跡だったそう。
発掘調査では、ほぼ完全な骨格に加え、動物の骨、木炭、海の貝殻で作られたビーズなども出土しました。ただ、残念なことに骨の保存状態があまりよくなかったため、科学者はこれまで正確な年代を測定できずにいたといいます。
ラペド・チャイルドが生きていたのは、約3万2000年前から2万4000年前の後期旧石器時代にヨーロッパ全土に広がっていた「グラヴェット文化 」の時代。グラヴェット文化は、「ヴィーナス小像」で知られています。
ただ、2023年の遺伝子分析が示したように、長い間続いたにもかかわらず、ヨーロッパ全土に広がっていたグラヴェット文化の人々は密接なつながりを持っていなかったそうです。
ラペド・チャイルドの年代特定には、2つのメリットがあります。まず、この子どもが属していた集団が、ポルトガル沿岸にいつ住んでいたのかが正確にわかること。
そしてもうひとつは、この測定方法が他のグラヴェット文化やクロマニヨン人の遺跡にも応用できる可能性があり、ヨーロッパにおける初期の現生人類の移動や定住のタイムラインが、より明確になっていくことです。
オックスフォード大学の放射性炭素加速器ユニットの研究者であり、Science Advancesに掲載された研究論文の筆頭著者であるBethan Linscott氏は、米Gizmodoの取材に対し、メールで次のように回答しています。
子どもの骨から抽出できたコラーゲン(骨の有機成分)の量が非常に少なく、さらに汚染を完全に取り除けなかったことが重なって、従来の年代測定結果は信頼に足るものではありませんでした。
科学者はこれまで4回にわたってラペド・チャイルドの放射性炭素年代を測定しようと試みましたが、どれも信頼できる結果には至りませんでした。
今回の研究チームは、新しい測定手法を用いたことが成功につながったと考えているようです。新たな方法では、サンプル中の汚染の影響を抑えつつ、特定のアミノ酸をターゲットにすることで、より正確な年代を導き出せるといいます。
Linscott氏は新たな測定手法についてこう説明します。
私たちは、比較的新しい技術である化合物レベル放射性炭素年代法(Compound-specific radiocarbon dating)を用いて、骨格の正確な年代を特定することができました。
通常、骨から抽出したコラーゲンはそのまま年代が測定されますが、私たちの手法では、コラーゲンの中からヒドロキシプロリンという特定のアミノ酸だけを取り出して測定します。
ヒドロキシプロリンは自然界にはほとんど存在しておらず、コラーゲンの『指紋』のような役割を果たすため、測定対象の炭素が汚染物質ではなく、確実に骨に由来していることを確認できるのです」
この遺骨は、まさに奇跡的に残っていたものだったようです。研究チームによると、ラペド・チャイルドが発見される数年前に遺跡の所有者が小屋を建てるために土地を整備した際、考古学的な堆積層が約3m破壊されてしまったそうなのですが、不思議なことに子どもが埋葬されていた場所は無傷で残っていたのだとか。これも何かの縁なのでしょうか。
Image: (A) J.Z. and (B) G. Casella. / Linscott et al. 2025研究チームがこの子どもの右橈骨(とうこつ。前腕にある2本の長い骨のうちのひとつ。上図Bの"radius fragments")を分析したところ、この子どもは約2万7780年〜2万8850年前の時代に4〜5歳まで生きていたことが判明しました。
Linscott氏はこの測定結果について次のように述べています。
今回の新しい年代測定結果は、これまで推定されていた埋葬時期と一致していますが、埋葬そのものの解釈を変えることになりました。
たとえば、子どもの下にあった木炭(上図BのSample F)は、もともと埋葬の際に儀式的に燃やされた小枝だと考えられていました。ところが、新たな分析の結果、実は子どもよりも古いものだったことが判明しました。
さらに、墓の中にあったアカシカの骨盤(上図BのSample B)も肉の供え物だとされていましたが、これも同じく子どもより古かったそうです。
Linscott氏はこの点について、骨盤は埋葬の一部として、意図的に配置された可能性があり、何かを支える役割を果たしていたのかもしれないとの見解を示しています。また、ウサギの椎骨(上図BのSample C)の年代を分析した結果、象徴的な供え物として動物が儀式的に置かれたことを示唆しているそうです。
ヒドロキシプロリンによる化合物レベル放射性炭素年代法を用いれば、人類がヨーロッパとその周辺にいつ存在していたのかを正確に調べられるそうです。
この方法はネアンデルタール人の遺骨の分析にも使われ、クロアチアのヴィンディヤ洞窟で発見された遺骨の再調査に活用されました。もともと、その遺骨は約2万9000年前のものと考えられていましたが、それでは「ネアンデルタール人は約4万年前に絶滅した」という定説と矛盾してしまいます。
そこで2017年、科学者たちが新たな測定方法で再分析したところ、実際には4万年以上前のものだったことが判明。つまり、この発見によってネアンデルタール人の絶滅時期に関する定説が覆ることはなかった、というわけです。
この測定方法によって、初期の現生人類やネアンデルタール人の大陸全土における移動や定住の歴史に関する科学者たちの理解がさらに深まりそうです。将来的には、世界中の古代人類の年代をより正確に見直すための重要なツールになるかもしれません。
4万年前に絶滅したネアンデルタール人の遺伝的特徴がどうやって1万年以上受け継がれたのか? 実は絶滅せずに4万年前以降もネアンデルタール人がどこかに存在していたのか? それともネアンデルタール人の遺伝的特徴を強く持つ少数の混血集団が存在したのか? 解けてほしい謎がまだまだありますね。
Reference: Wikipedia
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