今年、2023年4月で結成15周年となるお笑いコンビ・ツートライブ。ABCお笑いグランプリ決勝進出、上方漫才協会大賞・文芸部門賞受賞、TBS『ラヴィット!』正月-1GP優勝など、数々の賞レースで結果を残してきた2人が、ついに2023年6月30日(金)、兵庫県の神戸三宮シアター・エートーを初日として初の漫才ツアー 『闊歩旅』 を開催する。
華々しい経歴を持つ彼らだが、実は10年という地獄の下積み時代を経験していた。客前でまったくウケない日々、月収は4万円、バイトを複数掛け持ちするものの電気やガスが止まり、真冬に冷水シャワーで絶叫……。苦労自慢なら底が無い二人について、出会いからコンビ結成、初ツアー開催に至るまでの紆余曲折をインタビューした。
■夢のキャンパスライフがまさかの漫才師に?
【たかのり】僕は広島・尾道の出身で、全国放送の『ごっつええ感じ』をTVで観て「楽しいな!」って笑っている普通の子供でした。大学生になっても“お笑い熱”が高いわけでもなく、学生生活の最大の目標は「夢のキャンパスライフを楽しみたい!」ぐらいの気持ちでした。そんな大学生活をスタートさせるなかで、相方の周平魂と出会うわけなんです。
【周平魂】僕は京都出身で生粋のお笑い好き。深夜番組を観て「漫才ってかっこええなぁ!」って憧れていました。高校卒業間近のタイミングでちょうど『2001年 M-1グランプリ』がスタートするんですが、その触れ込みが「アマチュアでも出れる大会!」ということで、僕のお笑いレーダーが発動したんです。
「それだったらとりあえず大学に行って、その4年間で誰か相方を探してM-1で優勝!」と、今考えれば安易ですが、謎の自信はありましたね。ですが1つ問題があって、それまでまったく勉強をしてこなかったんで入試に落ちまくり……浪人が決定しました。
浪人生活だと家計への負担も大きいので、国公立一本という選択肢で受験勉強を開始し、晴れて兵庫県立大学に入学。僕の「相方探し」がスタートするワケなんです。
【周平魂】入学すると2泊ぐらいのオリエンテーションがあって、僕はある秘策を持っていきました。マイクを持った先輩が宴会場で説明しているところで、僕がマイクを奪ってボケ倒す!それをすることによって「面白いな!」と思ってくれた奴が“絶対に便乗してくる”と。で、そこに飛び入り参加してきた奴から相方を探し出しそうと思っていました。
案の定、ワケわからん奴がマイクを持っていきなりボケれば、当然のように盛り上がります。で、まんまと網にハマって飛び入り参加してきたのが相方(たかのり)だったんです。
【たかのり】僕は周平魂が「“漫才の相方”を探している」なんて知らずに、面白い奴らとキャンパスライフを楽しもうと思っていただけなので「ただ楽しい奴に近づく」っていう感覚。でも裏では周平魂が相方を見定めていたわけで、ここが“運命の別れ道”になりました。
■たかのりの早すぎる脱退?「ツートライブ」の暗黒の10年がはじまる
【周平魂】で、その日に「M-1にでようや!」って誘いました。
【たかのり】自分の中では漫才って古臭いイメージだったけど、面白いことは好きだったから「M-1にでようや!」って相方(周平魂)に言われて「えーよ!」って二つ返事でコンビ結成に至りました。
【周平魂】歴代のM-1出場者を観たとき「こんなに面白い人たちっているんだ!」って感じたとのと同時に、自分たちはダークホース的な漫才コンビとして「優勝できるんちゃうか…⁉」という自信がありました。でもM-1に参戦していみると1回戦、2回戦で敗退。程なくして相方(たかのり)が漫才を「やめる」と告げてきました。
【たかのり】今考えたら、はじめて間もないお遊びの状態だったし「俺はほかにも楽しいことやバイトもあるし……夢のキャンパスライフを楽しみたい!」って思っていて、辞めることをフランクに伝えました。
【周平魂】相方(たかのり)がいなくなったあとはお笑いを諦められなくて、M-1を観るたびに「なんでオレは参加できないんだ…」って泣いてました。当時はバーで働いていて、そこにいる店長にお願いして一緒に出たけど結果は出ず……。
【たかのり】相方(周平魂)がそこまでM-1への情熱を燃やしていたこと、そして大学へは相方を探しにきていたことすら知らなくて、僕はフランクに彼を突き放したんですね。こうしたことも、取材のなかで最近知ったことなんですけどね。
【周平魂】そこからまったく連絡を取らなくなって、学校にも行かない状況になりました。
■松本人志の『放送室』を聞いて、運命の再結成
【周平魂】そんなある日、家に帰ってラジオをつけたら松本人志さんの『放送室』が流れてきて、運命的にもNSCの話がはじまって。その中で「最初は黒帯と思ってる自分が入るねん。そしたら、みんな周りにオモロいやつがおって、白帯になんねん。そっからまた黒帯になって、最後にまた白帯に戻るんだけど、この白帯がちょっとクリーム色、それが最強の白帯」っていう話を延々としていて、タイミング的にも「これ、いけッ!」って背中を押してもらった感覚になって、それから眠れない日々が続き、ついに奇跡が起きました……!
【たかのり】周りが就活を始めたけど友達が「起業したい」って言い始めて、そっちに心が動いた時期もありました。けど「ほんまにコレがやりたいのか」「将来自分が何になるのか?」がわからなくなって「このままバイト生活で人生が終わるのかな?」とか、そんなことを延々と考えていました。
もともと好きだったダウンタウンさんの『ガキの使い』を観ていて、お笑いってやっぱり楽しそうだなっていう気持ちが芽生えてきて、自分の人生で楽しかった時期を振り返ったときに、M-1の1回戦、2回戦で敗退した相方(周平魂)とお笑いをやってたころだっていう思いが湧き上がってきたんです。「よし!オレは来年NSCに入るぞ」って決意して、すぐに相方に(周平魂)に「オレ、進路が決まったわ!」って連絡しました。
【周平魂】そのあと、相方(たかのり)の話を聞きに神戸の鳥貴族で集まりました。ぶっちゃけ、仕事が決まったっていう話かと思ったら「NSCにいく!」って言われて、正直「え~!?」ってなりました。だって自分もちょうど「NSCに行こうか?」って悩んでいた時期だったので。でもここでまた、たかのりとコンビを再結成することになり、僕らはNSCへと進んでいったワケです。
■ボケ散らかした“黒帯”のNSC時代「このまま売れる!」って勘違いして……
【周平魂】今までの鬱憤が溜まってる2人だったので、NSCではずっとふざけていました。アホだったんでとにかくイケイケで。授業とか関係なく2人でボケ散らかしいたけど、世間だったら怒られることもNSCに入った瞬間に褒められるんですよ!クラスも「A」という上級で、僕らは「簡単や、余裕やん!」って考えはじめ「このままイケてまう~!」って勘違いしてしまうんです。
【たかのり】オレも「このまま売れる!」って勘違いしてた……。
【周平魂】同世代にウケていたノリがお客さん相手だとまったく伝わらない。だから劇場では滑り散らかすワケです。NSCでは黒帯だと思ってた自分たちがパーンっと白帯になりました。
【たかのり】「芸人仲間は笑うのになんでお客さんの前だとウケないのか?どうやったら笑ってくれるのか?」そんな壁にぶつかりました。そしてNSC卒業後、『baseよしもと』のオーディションが受けれるようになるのですが、そこでは2分間のゴングショーがあって面白くなければ20秒で切られる設定。案の定僕らは、出ていって20~30秒以内でシャットアウトされる。NSCではエリートだと思っていた自分たちが、外に出た瞬間に「えっ、なにこれ?」ってなったんです。
【周平魂】そのとき、M-1の千鳥さんや笑い飯さんなどの漫才を観ていて「オレらもできる」と思っていたことが、実はめちゃくちゃ難しいってことを思い知らされました。
■「真冬に冷水シャワー」10年間もの地獄を味わい続ける
【たかのり】結局、僕たちが世間や会社から認知されるようになったのは10年目以降の話なんです。舞台も月に1回か2回しかなく、後輩の前説をするみたいな地獄の日々が10年続きました。
【周平魂】そんな状況だったので光熱費が払えなくて、電気を切られて真冬に水シャワーを浴びていました。実は2017年3月に結婚しているんですが、当時の月収が4万円。ゆーても、それでも良い方でしたから……。なので朝から中華の出前と居酒屋で働き、深夜は駐車場のバイトといった風に3つ4つのバイトを掛け持ちしていました。頭おかしくなりますよ!
【たかのり】そんな生活のなかでも、朝から集まったり、夜中の2時に集まってネタ作りしていたんで確かに頭がおかしくなってましたよね!
【周平魂】8年目ぐらいから本腰を入れて毎月単独ライブをやって、新ネタも毎月6本ぐらい出して「あーじゃない、こーじゃない!」ってやり続けました。ようやく2017年2月の単独ライブで「これ、よいの出来たんちゃう?」ってネタが完成したんですが、それも滑り散らかして……。でも感覚的には絶対によいって感触があって、寄席公演で調整を重ねました。
あと、10年目っていうのもあって支配人も協力してくれてました。寄席公演でウケていないのに出演する機会をくれたりしたので「どーやったらウケるのか?」という調整や試行錯誤が出来たのは大きかったですね。
【周平魂】転機は2017年7月9日「第38回ABCお笑いグランプリ」の決勝進出です。ここでは10年以上のコンビは参戦ができないので最後のチャンス。なんとか決勝まで行って、そこから少しずつですが光が見えてきた感じでした。
そこからよしもとの大阪社員さんたちも「ツートライブっておんのや。意外と10年もやってるんだな」って認識してもらえるようになったんです。
■決勝進出の裏には“天の声”が関係していた?
【周平魂】その決勝進出には裏エピソードがあります。とある寄席公演の香盤表に千鳥さんの名前があって、その日も僕らのネタはそこまでウケなかったんですが、スタッフさんが寄ってきて「千鳥さんがネタをみて、モニターにしがみついてめっちゃ爆笑してましたよ」って言ってくださって。自分らが面白いと思っている兄さん(千鳥)がそう言ってくれるならって、もう1段ギアを上げて取り組むことができて、そのおかげで最終予選でバーンっとウケて決勝まで勝ち上がれました。
【たかのり】決勝に残れたことで学祭の営業なんかにも行けるようになったし、本社の会議室でネタ作りもできるようになったりしました。ただあまりにも長い下積みのおかげで、営業さんには「オマエら、どこにおったん(笑)?」みたいなことを言われましたね。「10年、何してたん?」って。
【周平魂】人生を変えた決勝のネタは「バーであった怖い話」です。これは僕が働いていたバーで起こった実話が元になっていて、それをちょっとイキった奴が話すことで「せっかくの怖い話がまったく入ってこない」という設定です。
【たかのり】「夜に起こった怖い話」っていう設定のところを「オレがカクテルをマドラーで混ぜてたときの話なんだけど…」みたいな、本筋とは関係のない“自分すごいだろ”みたいな話を入れて笑いを誘っていくんですが、これは説明より動画(よしもと漫才劇場YouTubeチャンネル)を観てもらった方が早いですね。
■そんな苦労人「ツートライブ」初漫才ツアーの見どころ
【たかのり】僕らは15周年だからM-1ラストイヤー。そこにブーストをかけたいって想いもあって漫才ツアーをやるのと、16年も17年目もずっと漫才をやりたいし、ツートライブを知って欲しいという気持ちが大きいので、今のツートライブの集大成を披露したいです。
【周平魂】気づいたら15年。初めはそこらへんの兄ちゃんだったけど、今では妻も子供もおる身で、それでもずっとバカなことに挑戦する「コイツらなんやねん!」ってところも含めて応援して欲しいです。