
男はズボン、女はスカート、ランドセルは男の子は黒、女の子は赤。今は昔ほど「男だから」「女だから」という固定観念はなくなった。しかし、男性・女性という2つの性別に囚われない性自認を持つ人=ノンバイナリーは、何かしら社会の性差に苦しみ続けている。今回は桜木きぬ(@kinumanga)さんのWeb漫画『性別に振り回されたわたしの話~1981年生まれのノンバイナリー~』を紹介するとともに「男でも女でもない性別」ノンバイナリーとは何か?詳しく話を聞いた。
■男でも女でもない。自分は「無性別」だとわかるまで苦しんだ40年を描く
第一話_001 / 画像提供:『性別に振り回されたわたしの話』(C)桜木きぬ/KADOKAWA
ほとんどの人間は生まれてすぐ、男か女かその容姿で性別が決まる。しかし、自己が確立すると、なかには体は男だが心は女(またはその逆)の認知を持つ人もいる。今回は、自分の性が男でも女でもないと思いながら育つ「性自認」の話。
第一話_005 / 画像提供:『性別に振り回されたわたしの話』(C)桜木きぬ/KADOKAWA
ノンバイナリーは性自認の幅が広く、「男性と女性のどちらにも当てはまる」あるいは「どちらにも当てはまらない」「男性と女性の中間」「男性と女性を行き来する」などのパターンがある。
第二話 _008 / 画像提供:『性別に振り回されたわたしの話』(C)桜木きぬ/KADOKAWA
時代は昭和。まだ、「男はズボン、女はスカートを履くのが普通」といった固定観念が強かったころ、作者の桜木さんは自分が「女の子」だという認識を持つこと、持たされることに嫌悪感があった。母親が決めたルールは、姉は「赤」桜木さんは「ピンク」。祖母のお手製のワンピースを言われるままに着ていたが、「女の子という役」を押し付けられたように感じると無性に嫌になり、ハサミで切り刻んだこともあった。
第二話_009 / 画像提供:『性別に振り回されたわたしの話』(C)桜木きぬ/KADOKAWA
小学3年生のとき限界を感じ、ジーパンスタイルで登校すると、女の子に異常にモテた。すると父に「女の子らしくしろ」「このままじゃろくな人間にならないぞ」と殴られた。桜木さんは、親のいう普通の女の子としてふるまうため、将来の夢は「お花屋さん」「優しいお母さん」「かわいいお嫁さん」と自分の心を閉ざし、うそをついた。
第四話_001 / 画像提供:『性別に振り回されたわたしの話』(C)桜木きぬ/KADOKAWA
思春期になると違和感は顕著になる。体が女性になっていくことに対して嫌悪感が強く、絶望する日々。そして、40年。頑張って「普通の女」で生きてきたある日、突然インターネットで知ったのが「ノンバイナリー」という言葉だった。その意味を知り、「これはまさに自分のことだ」と、思った桜木さん。しかし、受け入れるまでにも多くの時間を要したという。ここからは、桜木さんにインタビューし、話を聞く。
第四話_002 / 画像提供:『性別に振り回されたわたしの話』(C)桜木きぬ/KADOKAWA
――今まで名前を付けられず苦しかった問題が可視化されたことを率直にどう感じ、どう自分に落とし込みましたか?
「ノンバイナリー」というものに最初は強い反発を感じていたので、「自分がこれだと思うと嫌な気持ち」というか、「多分これだけど、認めてしまったらまた差別されたりするのかな」という不安はありました。だけど認めずに生きることにも限界を感じていて、つらさがどんどん増して、「これ以上はもう危ないな」と思ったギリギリで受け入れました。最初は「折れた」という感じでした。その後も葛藤はありますが、だいぶ気持ちも体調もマシになりました。どんどん気が楽になっていったらいいなと思います。
第四話_004 / 画像提供:『性別に振り回されたわたしの話』(C)桜木きぬ/KADOKAWA
――過去のつらい体験談も描くこととなりましたが、描くうえで心がけたことはありますか?
つらい経験も描きましたが、そんなに珍しい事でもないので、淡々と描くようにしました。
第五話_009 / 画像提供:『性別に振り回されたわたしの話』(C)桜木きぬ/KADOKAWA
――カミングアウトしたあとで、なにか変化はありましたか?
漫画の仕事の上では、ノンバイナリーであることをオープンにすることにより、ノンバイナリーを題材にした漫画を当事者目線で描けるようになりました。「SNSに載せてる漫画などを読んでくれる方が減るのかな~」と思いましたが、今のところあまり変化はないようでホッとしています。
第五話_010 / 画像提供:『性別に振り回されたわたしの話』(C)桜木きぬ/KADOKAWA
――本作を読んでいろいろなセクシュアリティがあると知り、個々で感じ方の違う複雑なものだと知りました。桜木さんはどのような気持ちを込めて執筆されましたか?
身体の性別、性自認、性的指向にはさまざまなバリエーションがあります。最近はそのような話題も珍しくなく、比較的ポジティブに語られることが多く感じますが、1981年生まれの私が育った時代はそうではありませんでした。
クィアなコミュニティで自分より若い世代の人と話すと、感覚がだいぶ違うなと感じます。もちろん現在も当事者たちはさまざまな困難を抱えていますが、明るくポジティブな生き方もできるようになってきていると感じます。
それは間違いなく社会がよくなっているということなのですが、時々「LGBTQは若者のもの」という声が耳に入り、「いやいや、中年以上にもいっぱいいるよ~。今まで透明になってただけだよ~」と思ってしまいます。
漫画を描いただけで何かを変えれるとは思いませんが、世を去る前に、私の世代にもこういうふうな人がいたよ、という事だけは記録したいと思いました。後世の何かの研究の、資料のひとつにでもなれたらうれしいです。
本作はダ・ヴィンチWeb で人気を博し、完結。女子と呼ばれることに違和感を覚え始めた小学生時代から結婚を経て「男でも女でもない性=ノンバイナリー」に出会った桜木さんの性別に振り回された半生が赤裸々に描かれている。また、6月末には前作「わたしが選んだ死産の話」も電子書籍で発売予定。こちらはまだ「ノンバイナリー」という言葉に出会う前の話だ。桜木さんの今後の活躍にも注目してほしい。
取材協力:桜木きぬ(@kinumanga)
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