コーヒーで旅する日本/四国編|長い雌伏を乗り越えてカムバック。松山にカフェブームを起こした立役者の新章。「FUJIYAMA COFFEE naturel Roster」

  • 2025年4月16日
  • Walkerplus

全国的に盛り上がりを見せるコーヒーシーン。飲食店という枠を超え、さまざまなライフスタイルやカルチャーと溶け合っている。瀬戸内海を挟んで、4つの県が独自のカラーを競う四国は、県ごとの喫茶文化にも個性を発揮。気鋭のロースターやバリスタが、各地で新たなコーヒーカルチャーを生み出している。そんな四国で注目のショップを紹介する当連載。店主や店長たちが推す店へと数珠つなぎで回を重ねていく。
年季の入った建物の雰囲気を残した店内
年季の入った建物の雰囲気を残した店内


四国編の第23回は、愛媛県東温市の「FUJIYAMA COFFEE naturel Roster」。店主の藤山さんは、カフェブームが全国を席巻していた20年ほど前に、松山市内にカフェ ナテュレを開業。前職時代、オーストラリア駐在時に体験した現地のカフェカルチャーを、いち早く愛媛にもたらした、半ば伝説として語られる存在だ。ただ、10年目に自身が突然の危篤に陥ったことで幕を閉じたが、奇跡的に生還。10年以上に及ぶ雌伏の時を過ごし、2022年に再びカフェの舞台に戻ってきた。自家焙煎のコーヒー店として、ナテュレ時代にはなかった新しい楽しみを加え、帰ってきたパイオニアの復活のストーリーをたどった。
店主の藤山さん
店主の藤山さん


Profile|藤山健(ふじやま・たけし)
1964(昭和39)年、愛媛県松山市生まれ。大学卒業後、大阪毎日新聞社広告局に入社。1990年に退職した後、フリーカメラマン&ジャーナリストとして、オーストラリアに渡り、約10年の取材活動を通して現地のカフェ文化への関心を深める。帰国後、無農薬有機栽培青汁の製造会社を経て、2001年、松山市に自然派カフェ「ナテュレ」を創業。2010年に2号店「ブルーマーブル」を開業し、松山でいち早くカフェカルチャーを発信。2015年に不慮の病に見舞われ、「ナテュレ」を閉じた後、調理専門学校の講師、コンサルタントなどを務めながらカフェ業界に関わり、2023年、東温市に「FUJIYAMA COFFEE naturel Roster」をオープン。カフェの開業支援や四国・愛媛の観光案内を通して、ローカルの魅力を伝える活動にも取り組む。

■松山に海外のカフェカルチャーを広めたパイオニア
「お客さんの好みに応えられるよう、小回りが利く店にできれば」と藤山さん
「お客さんの好みに応えられるよう、小回りが利く店にできれば」と藤山さん

「気が付いたら、肩書がいっぱいつきました(笑)」という、店主の藤山さん。フリーカメラマン、ジャーナリスト、専門学校講師、インバウンドツアードライバー、etc。そして、もちろん、バリスタ、ロースターでもある。それゆえ、「今はインバウンドの観光客が増えて、忙しいシーズンはカフェを空ける日が少なくなって」と苦笑しつつも、藤山さんが拠って立つ原点はカフェにある。

そもそもの始まりは、新聞社に勤めたのちに、10年を過ごしたオーストラリアにある。フリーカメラマン&ジャーナリストとして観光向け雑誌の取材に携わり、現地で暮らすなかで、最も衝撃を受けたのが、日本とはまったく異なるカフェカルチャーだった。「日本だとたまに行くくらいですが、オーストラリアでは誰もが必ず、日に1、2回はカフェを訪れる。自分も現地に住み始めると、自然と毎日行くようになっていました。方々のカフェに取材で訪れたり、日常で立ち寄ったりして、多くのバリスタと知り合い、いろいろ吸収していくなかで、自分でも将来、カフェができるかもと思えるほどになっていました」という藤山さん。当時、デジタルカメラの登場で、カメラマンとしての仕事が少なくなったことも、その気持ちを強めた。
ナテュレ時代の藤山さん。店名は “自然”を意味するフランス語
ナテュレ時代の藤山さん。店名は “自然”を意味するフランス語


とはいえ、帰国後に始めようにも、飲食店の仕事は未経験。そんな時に縁を得たのが、無農薬有機栽培青汁の製造会社、遠赤青汁の社長。そこで、原料の栽培から製品作りまで携わるなかで食の世界を知るとともに、これからの時代は『健康志向』へと進むはずだという予感を抱いた。ここでの2年の経験をベースに、2001年、松山市内にカフェ ナテュレをオープンする。当時は全国的にカフェブームが席巻していたころ、松山でいち早くカフェカルチャーをもたらしたパイオニアとして、その名を知られる存在となった。店名の通りヘルシー志向を打ち出し、メニューには青汁、発芽玄米、稲若葉といったオーガニック食材を取り入れ、今でこそ当たり前になった地産地消とオーガニックを柱にしたカフェは、時代を大きく先取りしていた。
ナテュレでは、時代に先駆けて地産地消やオーガニックをコンセプトに打ち出した
ナテュレでは、時代に先駆けて地産地消やオーガニックをコンセプトに打ち出した


何より、ナテュレの存在を知らしめたのが、当時はまだ珍しかったエスプレッソを主体としたコーヒーだ。「コーヒーは子どものころに“大人の飲み物”として興味を持って以来、ずっと好きだったんですが、オーストラリアでエスプレッソやカプチーノに初めて出合って、なんておしゃれな飲み物があるんだと感動して。1990年代の日本にはなかったスタイルに取りつかれて、さらにカフェの魅力にハマっていったんです」と振り返る。開店当初からナテュレでは、セミオートのエスプレッソマシンを導入し、コーヒーはアメリカ・シアトルの名店、エスプレッソ・ビバーチェから仕入れた豆を使用。まだ、海外のカフェ事情などほとんど知られていない時代、いち早くオセアニアスタイルを取り入れた、いわば本場直輸入のカフェが松山に現れたのだから、当時のお客にとって、インパクトは想像以上に大きかったに違いない。

■人生最大の危機を経ても失わなかった情熱
「カフェにはふれあい、会話が欠かせないもの。コーヒーの味のよしあしだけでは根付かないと思っています」と藤山さん
「カフェにはふれあい、会話が欠かせないもの。コーヒーの味のよしあしだけでは根付かないと思っています」と藤山さん

開店以来、ナテュレは大きな話題を呼んだが、藤山さんの思い描いた形とは違っていたようだ。「店を続けていくうちに、日本では、オーストラリアのように頻繁にカフェに通うお客が少ないと気付きました。今思えば、店だけでなくお客さんも一緒に文化を共有していかないと、カフェという場は育たないんだと。当時、カフェブームと言われていましたが、コーヒーに手をかけている店はお世辞にも多くなかった。エスプレッソの基準も店によりまちまちで、そばとラーメンくらい違うのに誰も文句を言わない(笑)。ナテュレでも最初のころはエスプレッソを出すと、半分のお客さんに“え?”という顔をされましたし、“こんなもの飲めない”という反応も多かった。特に喫茶店になじんだ世代の目は冷ややかなもので、認知度を高めるのに苦心しました」

それでも、界隈の外国語学校の先生たちから支持を得たことで、ナテュレのスタイルは、感度の高い地元客にも徐々に知られるようになった。2010年には、2号店となるブルーマーブルをオープン。ここではドリップ、フレンチプレスのコーヒーを主体にし、2店それぞれで新たなコーヒーの楽しみ方を提案した。半ば伝説的な存在となったナテュレは、残念ながら13年で幕を閉じたが、この店の影響を受けた後進の同業は少なくない。ここでエスプレッソやバリスタの仕事を初体験したという、今治のBarrel Coffee&Roastersの高橋さん、前回登場した高松のLUSH LIFE COFFEEの川染さんら、現在の四国のコーヒーシーンを牽引する店主を輩出していることも、ナテュレの存在の大きさを物語っている。
カフェラテ600円は、ナテュレ時代と変わらず、チョコパウダーをふったオーストラリア風のアレンジで
カフェラテ600円は、ナテュレ時代と変わらず、チョコパウダーをふったオーストラリア風のアレンジで


それほどの人気店だったナテュレが店を閉じた理由は、藤山さんが脳出血に倒れたため。「次は死ぬよ、と言われてドクターストップがかかって。その時は、自分のカフェ人生は終わったなと思いました」。閉店後は、調理専門学校の講師を務めながら、道後のベーカリーで間借り的にコーヒーを淹れるなど、細々と活動していたが、カフェ再開への思いは止みがたかった。「カフェをやるからには自分が店に立たないと意味がない。でも、強く止められた。ただ、店の器具は半分ほど残っていたし、元気になると、一人で小規模に営業すればできるかなと思って、ずっと構想は考えていました」という藤山さん。

この間、ジャーナリストとして、スターバックスやブルーボトルコーヒーの創業者への取材も経験し、2017年にはシドニーで開催された、人気番組「料理の鉄人」のイベント「アイアンシェフオールスターズ」にもコーヒーの鉄人・アイアンバリスタとして参加。オペラハウスでドリップコーヒーを提供するなど、得難い経験を積んだ。「日本と海外のコーヒー文化の違いを肌で感じた経験を買われて、大役を任されました。90年代までは、ドリップコーヒーは日本独特のもので、海外では抽出方法自体が知られてなかった。今でこそ、海外のサードウェーブ系のお店がドリップしているけど、かつては日本と海外では温度差があった。そうした流れを知る人が少ないから、日本のコーヒー文化を伝えるために参加したんです」
テイクアウトカップ用のシリコン製の蓋は、オーストラリアから輸入。環境配慮にもいち早く取り組んだ
テイクアウトカップ用のシリコン製の蓋は、オーストラリアから輸入。環境配慮にもいち早く取り組んだ


■新天地を得て再び続く、伝説のカフェの新章
お客の要望に細やかに応えられるようにと、焙煎機は小型のディスカバリーを使用
お客の要望に細やかに応えられるようにと、焙煎機は小型のディスカバリーを使用

その後、コロナ禍にも見舞われたが、2022年、「FUJIYAMA COFFEE naturel Roster」として復活を果たした。「屋号を改めたのは、海外の知人から“フジヤマという日本一有名な名前をなぜ使わないの?”と言われて(笑)」といいながらも、naturel Rosterの部分にナテュレの名前も残している。店は石鎚山系の山懐に立つ古民家。アクセスは決していいとは言えないが、かつてナテュレに通ったファンが訪れ、当時を懐かしむことも少なくない。

再開にあたって、藤山さんは自家焙煎を始め、SCAA(アメリカスペシャルティコーヒー協会)のカッピングジャッジの資格も取得。スペシャルティコーヒーにも早くから注目していたが、「あまり表に出してこなかったですし、今もあまり意識しないですね。ジャッジをするようになって、いちロースターとしては、豆のスコアよりも、お客さんに合うかどうかを考えるべきだと感じました。店で提供するコーヒーは、トレーサブルで、自分が納得できる豆ならよしと。焙煎やカッピングでの気づきは、以前のカフェ時代にはなかった新しい楽しみです」
築100年の屋敷の納屋を改装。隣接する母屋は古民家宿、瀧乃元近藤家として営業
築100年の屋敷の納屋を改装。隣接する母屋は古民家宿、瀧乃元近藤家として営業


自身では、ここを焙煎研究所と位置付けるのも、ロースターの仕事に携わるようになったのがきっかけだとか。「自分で焙煎するなら、お客さんの要望にすぐに応えられるのがいいところ。実際に店でああしたい、こうしたいは言いにくいけど、ここではニーズに合わせて味を調整したり、かゆい所に手が届くコーヒー屋にしようと」という、新しいスタイルを目指している。時には、壁に貼った大きな世界地図を差しながら、お客に産地の説明も。「愛媛の方だとミカンの話に置き換えて、産地や品種が違うと味も違うと伝えると分かってもらえます。たとえ話がうまいのは、講師をしているおかげですね(笑)」

現在は、カフェのコンサルタントとしても活躍する藤山さん。ナテュレ時代から開催していた、コーヒー教室をここでも継続している。現在は予約制で、ほぼマンツーマンのスタイル。コーヒーの歴史からドリップ、ラテアート、カッピングと伝える内容も幅広く、開業を目指して、この店の門を叩く若い世代も増えつつある。オーストラリアのカフェを体感し、長年、時代の変化を見てきた藤山さんが、何よりも願うのは後進の活躍だ。「今後は、同業者のサポートに力を入れたい。特に、店を始めてから悩んでいる人に、長く続けられるようにアドバイスできれば。自分が店を広げるよりも、彼らが脚光を浴びてほしいし、そういうお店があちこちの町にできて、広がったらうれしい」と、長年、カフェに携わってきた、自らの経験を発信し続ける情熱は今も衰えることはない。
屋号の一部に、かつて手掛けたカフェ・ナテュレの面影を残す
屋号の一部に、かつて手掛けたカフェ・ナテュレの面影を残す


これまで、常に変化の先を走り続けてきた藤山さんには、パイオニアとしての苦労も多々あったが、本人はあまり意に介していないようだ。「ナテュレを開店して以来、数々の試みを先駆けてしてきましたが、なかなか受け入れられず、“藤山さんは、何をするにも早すぎたね”とよく言われました。でも、そういう人がいないと変化は起こらない。新しいモノ・コトを、いろんな人に広めて、流行を起こすには時間がかかりますから。自分にとって、流行は追うものでなく作るもの。我ながら、これは名言だと思っています(笑)」

伝説のカフェの閉店から10年余を経て、再び現場に帰ってきた藤山さん。時代を経て、往時のファンとの再会を通して、こんな感慨を抱くこともあるそうだ。「当時の常連さんも、今は結婚していたり、子育て真っ最中だったりで、“若い時によく来てました”なんて話をしてくれます。いまや2世代にまたがる歴史ができたのかと思うと、僕が一番びっくりしていて、こうして店を続けてきたことも、捨てたもんじゃないなと思えます。新しいお客さんも含めて、新しい店で生まれる日々のコミュニケーションを、コーヒーの味作りにどんどん反映していきたい」。今は店の形は変わったが、カフェとしてのスタンスは同じ。ナテュレの物語は、今も続いている。
店先からは、連なる山々を一望。自然に抱かれたロケーションも、この店ならでは
店先からは、連なる山々を一望。自然に抱かれたロケーションも、この店ならでは


■藤山さんレコメンドのコーヒーショップは「Grabbag coffeestop」
次回、紹介するのは、愛媛県四国中央市の「Grabbag coffeestop」。「店主の高橋さんはパティシエでもあり、コーヒーにのめり込んだ後にチョコレートに魅せられ、四国でビーントゥバーの製法を取り入れた先駆者。海外のコンテストでも数々受賞しています。コーヒーももちろん自家焙煎。職人気質の仕事が光るチョコレートや焼菓子と、コーヒーのペアリングが楽しみな一軒です」(藤山さん)

【FUJIYAMA COFFEE naturel Rosterのコーヒーデータ】
●焙煎機/ディスカバリー 250グラム(半熱風式)
●抽出/ハンドドリップ(ハリオ)、エスプレッソマシン(ラ・マルゾッコ)
●焙煎度合い/中~中深煎り
●テイクアウト/ あり(500円~)
●豆の販売/シングルオリジン4~5種、150グラム1000円~

取材・文/田中慶一
撮影/直江泰治

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