
芥川賞を受賞した松浦寿輝の小説を、「火口のふたり」の荒井晴彦監督が“ピンク映画へのレクイエム”という原作にはないモチーフを取り込んで大胆に脚色し、映画化した「花腐し」(ハナクタシ)。二人の男とひとりの女が織りなす、切なくも純粋な愛の物語を描いた本作で主演を務めるのは、「最後まで行く」や来年公開の「カラオケ行こ!」など話題作が続く綾野剛。本作をとおして感じた“映画に対する思い”や演じた役について、さらに映画館の思い出などを語ってもらった。
■10代、20代といった若い世代が「“映画”というものをどう捉えているのか知りたい」
――「花腐し」を拝見しまして、久々に“映画らしい映画”を観たという満足感がありました。“映画らしくない映画って何?”と聞かれると困るのですが(笑)、綾野さんならこのニュアンスが伝わると思いまして。
【綾野剛】映画はそれ自体が総合芸術なので、僕の中ではカテゴライズできない独立したものというイメージがあります。本作を“映画らしい映画”と仰っていただけたことは素直にうれしいです。僕自身は、本作の脚本を読んだときに“いい匂いのする映画”だと感じました。
――“いい匂いのする映画”、とても素敵な表現ですね。
【綾野剛】当時の映画人の皆さんが持っている匂いがしたんです。昔作られていた作品には“これぞ映画”というあくまでイメージですがありまして、そういう映画の匂いが本作の脚本から沸き立っていたので、仰っていただいた“映画らしい映画”が理解できます。
ただ、気になるのは今の10代、20代の若い世代の方たちが“映画”というものをどう捉えているのかということです。もちろん古い作品をよくご覧になっている方もいると思いますが、そうではない方が本作を観てどう思うのか、非常に興味深いです。
――何年か前から、白石和彌監督が撮られた綾野さん主演の「日本で一番悪い奴ら」や役所広司さん主演の「孤狼の血」など、昔の東映作品を感じさせるような映画が若い方にも人気だったりしますよね。本作とはジャンルが違いますが。
【綾野剛】確かにそうですね。本作に関しては、2000年に起きたことから2012年までを荒井監督やカメラマンの川上さんが描いていることもあって、今の若い世代の方には“ノスタルジックな映像”や“エモい映像”に映るのかもしれない。そもそも、映画を独立したものとして捉えること自体がナンセンスなのかもしれません。
今は映画もドラマもアニメもドキュメンタリーもあらゆる配信サイトでいつでも観ることができますから、ジャンル自体を断定したり意識している方は少ないのではないかと。そういう柔軟性の中で、エンタメを楽しんでいる方々が、この映画をどんな風に捉えるのか、とても知りたい気持ちがあります。
■栩谷の生き方を濁らせてしまわないように「表情や声色に頼らない表現方法を大切にした」
――廃れていくピンク映画業界で生きる映画監督の栩谷を、どんな風に捉えて演じられたのでしょうか。
【綾野剛】表層的な印象で言えば、感情表現を極力抑え、無愛想。そういった表層的な印象こそが、彼を生きるうえですごく重要な姿勢でした。気持ちをそのまま表現できる人ばかりではありません。もしかしたら、自身のことを外に発信しない人だからこそ、映画監督を選択したのかもしれない。
示すことが不得意ではあるけれど、心の中はちゃんと動いている。栩谷はそういうタイプの人だと感じたんです。彼のそういった生き方を濁らせてしまわないように、表情や声色に頼らない表現方法を大切にしていました。
――感情が見えづらい栩谷ですが、柄本佑さん演じる脚本家志望だった男・伊関と韓国スナックでお酒を飲みながら、さとうほなみさん演じる女優・祥子との思い出話をするシーンでは楽しそうな表情を浮かべているようにも見えました。栩谷と伊関の出会い方も独特でしたが、綾野さんはこの二人をどう思いましたか?
【綾野剛】祥子が亡くなったあと、栩谷は自分の存在の証明ができなくなっているんです。祥子と心中した親友・桑山の葬儀のシーンで、周りがどれだけ騒いで暴れても、栩谷はひとり静かにタバコを喫んでいる。まるで幽霊のような状態というか。
そのあと、訳あって伊関の住むアパートに行き、彼の部屋のドアをノックします。その行為こそが、栩谷が“自分が存在していること”に気付くきっかけになっています。
――最初は掴みどころのない伊関ですが、実は過去にシナリオを書いていたことを栩谷に打ち明けます。そしてお互いの愛した女性の話を、同じ女性だとは知らずにするという展開もおもしろかったです。
【綾野剛】栩谷は伊関と出会って、久々に人と会話をしたのです。彼と話をしていく中で自分の体温が上昇し、血が流れていることに気付く。伊関のおかげで感情を取り戻せたように感じたのかもしれません。栩谷が自分の部屋のドアをノックしなかったら、伊関も誰からも見つけてもらえず、幽霊のように過ごしていたかもしれない。
そう考えると、二人は“映し鏡”のような関係なのではないかと。祥子という女性によって生かされてしまった男たち。冒頭では“人間”を感じさせない幽霊のような存在として画面の中に映っていて、二人が出会ってからは、それぞれ人間であることを思い出していく。そのコントラストが効いていて、とても日常的な作品になっていますよね。
■子どもの頃は映画館に行くと「想像をかき立てられてドキドキした」
――観た人それぞれが自由に解釈できるラストも好きでした。今の時代、わかりやすさが求められているのか、過剰に説明してしまう作品も多いですよね。
【綾野剛】映画は、表現も含めて柔軟性をもって進化しているので、それぞれのおもしろさがあっていいと思います。求められているものを届ける難しさも、届けたいものだけを作る胆力も、どちらも映画で表現したいことには変わりありませんから。
その中で、映画館という場所は、チケットを買って席に座った瞬間から、他人と隣り合わせで2時間ほど同じ空間と時間を共有することになる。それもまた映画館で映画を観て頂く醍醐味です。
――ちなみに、綾野さんにとって映画館はどういう場所ですか?
【綾野剛】僕が子どもの頃は、劇場内での喫煙が禁煙に変わる狭間だったのもあり“タバコの匂いが漂う大人の場所”という印象がありました。ものすごく閉鎖的な暗闇の空間の中で、子どもながらに想像をかき立てられて好奇心や怖さなどいろいろな気持ちが内包されドキドキした記憶があります。「花腐し」も、ご覧いただいた方の“映画館の記憶”のひとつになったら幸いです。
取材・文=奥村百恵
◆スタイリスト:申谷弘美(Bipost)
◆ヘアメイク:石邑麻由
(C)2023「花腐し」製作委員会