
知的障害+自閉スペクトラム症の長女とイヤイヤ期の次女の育児に奮闘しながら、自閉症育児の悲喜こもごもを発信しているにれ(@nire.oekaki)さん。子どもの成長への不安や悩みを赤裸々に描いていて、大きな反響を呼んでいる。
ウォーカープラスでは「今日もまゆみは飛び跳ねる~自閉症のわが子とともに~」と題して、にれさんが新たに描き下ろした漫画に加えて、エッセイも配信。人によっては「あるある」と共感したり、これまで知らなかった新発見があったり、ほっこりしたりもしてしまう…。そんなエピソードをお届けします。
■「障害児」の下に生まれる子どもは不幸なのか
まれに「障害児の下に子どもを産むなんて」と言う人がいます。
障害児のきょうだい、いわゆる「きょうだい児」を案ずる心がこうした発言につながるのかもしれません。しかし、子どもの発達がどうなるかは年単位で成長を待って初めてわかるもので、それでなくとも人にはさまざまな事情がある中、「障害のある子を産んだらもう子どもを望んではいけない」と取れる考えは人に投げかけるものではないと思います。
それに今の時代、そうした方の心配する「上の子のために下の子を産む」といった考えの親よりも、「障害のある子のことで下の子に苦労をかけたくない、親として最大限のことをしたい」という声が多数派のように感じています。
その努力も報われる部分とそうではない部分があるのかもしれませんが、辛い思いをしてきたきょうだい児の話を見聞きする機会が増えた今だからこそ、親側の意識も変わって過去を反面教師にすることができるのではないでしょうか。かくいう私も、きょうだい児として苦労された方・幸せに育った方、いろんなエピソードを調べては育児の参考にし、授かった命を幸せにしたいともがいている一人です。
とはいえ、きょうだい児として生まれれば、人生の岐路に立ったとき考えなくてはならない物事が増えることは想像に難くありません。
二人目をどうするかは私自身かなり悩みました。元々わが家の家族計画では子ども二人を想定していましたが、まゆみに障害がある可能性を考えると「一人目に障害があったから二人目は望まない」という選択をする人の考えも痛いほど分かりました。もう少しまゆみの発達を追ってから決めたい思いはありましたが、諸事情で第二子に関してのリミットが差し迫っていたため、悩んで悩んで悩み抜いた結果、私は二人目を望みました。これは夫婦のエゴなので、あずさにはあずさの人生を生きてもらうと決意して育てています。
そんな私が、冒頭のような言葉に傷ついた経験のある方へ声を大にして伝えたいのは、「それぞれの子の幸せを願って奮闘している限り、家庭のあり方に口を出す声は気にしなくていい」ということです。社会保障には税金が絡むので批判が生じやすいのは理解していますが、そもそも子どもを産むかどうか・何人希望するかは「リプロダクティブ・ライツ(Reproductive Rights:性と生殖に関する権利)」といって基本的人権に含まれるものです。
子どもを産む選択・産まない選択は共に究極のエゴであり、どちらも尊重されるべき権利なのです。ご夫婦・ご自身の選択に自信と責任を持つことが大事なのだと思います。
「自閉傾向のあるまゆみは、きっと妹にも関心を示さないだろう。もし、あずさが姉と距離を取りたいと思うことがあっても、その時はあずさの気持ちを尊重しなくては」……そんな親の懊悩をよそに、まゆみとあずさは今のところビックリするほどの姉妹愛を育んでいます。
生後すぐから新生児に熱視線を送るまゆみがベビーベッド周辺をうろつき、あずさの身体がしっかりしてくるとキスしたり抱きしめたりといった愛情表現をするようになりました。そんな仕草をするまゆみは見たことがなかったので仰天しましたが、あずさもお姉ちゃんが寄ってくると嬉しそうに歓迎しています。
おやつを自分たちで分け、くっついて食べている姿には目尻が緩みますが、まだ5歳と2歳の姉妹です。成長していく中で関係性が変わっていくこともあるでしょう。いつかあずさが大人になったとき、「生まれてきて良かった」と人生を肯定しながら生きてもらうのが私の夢の一つです。