NASAの火星探査車「パーシビアランス」は2021年から火星の上を動き回り、岩石の収集を続けてきた。いずれはこうして集められた岩石によって、火星の歴史、火星と地球との違い、そして生命の起源についての理解が塗り替えられる日が来るかもしれない。「この探査車に積まれたサンプルの一つひとつが、火星に関する極めて重要な問いへの答えを持っている可能性があります」と、米アリゾナ州立大学の惑星科学者ミーナクシ・ワドワ氏は言う。
「火星サンプルリターン(MSR)」と名付けられたこのミッションにおいて、ワドワ氏は主任科学者として、これらの岩石を1億キロ以上離れた地球に輸送する計画の立案に携わっている。
火星で集められたサンプルには、それがどれくらい古いものか、また「火星の古代環境についての重要な情報」が記録されている可能性があると、米カリフォルニア工科大学の地球化学者で、パーシビアランス計画の副主任科学者を務めるケン・ファーリー氏は説明する。
しかし何より注目すべきは、それらのサンプルが、宇宙にはわれわれのほかにも生命体が存在するかどうかを明らかにする力を持っている点だ。この根本的な問いへの答えをもたらす可能性を秘めているサンプルを、以下にいくつか紹介しよう。
パーシビアランスの着陸地点としてジェゼロ・クレーターが選ばれた理由のひとつは、ここに30億年以上前に湖に流れ込んでいた川のデルタ地帯(三角州)があると考えられるからだ。一帯では、流れる水によって堆積物が扇型に広がっている。パーシビアランスは2022年から、この扇の上部の探索に取りかかっている。
「扇状地の先端部分の探索は、非常に興味深いものでした。なぜなら、われわれは湖底に溜まった古代の泥状の堆積物を探していたからです」と、米パデュー大学の惑星科学者で、パーシビアランス・ミッションの共同調査員・長期計画者のブライオニー・ホーガン氏は説明する。「要するに、さまざまな有機物が混ざり合ってドロドロになったものが湖に流れ込み、底に溜まっているような場所を調べたかったのです」
当初、扇状地の堆積物はドロドロというよりもサラサラしているように見えた。しかし、詳しく調べたところ、サンプルの内部に「泥質の層」が閉じ込められていることが判明した。
「最初は気づきませんでした。泥の層は、塩分を含む砂でできた板状の層の下に隠されていたからです」とホーガン氏は言う。「しかし、ドリルでさらに深く掘ってみたところ、その下から黒っぽい泥が見つかりました」
地球上では、このような水が干上がって最後に残った泥は、有機物や古代の微生物の化石を保存するのに理想的な場所となる。「湖の底を足で踏んだときに感じる、あのねっとりとした泥を思い出してみてください。そこにはあらゆる生命の痕跡が詰まっています」と氏は言う。「われわれが採取したのは、まさにそうしたものです」。ただし、この火星の泥の中に化石が含まれているかどうかは、まだわかっていない。
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パーシビアランスがクレーター底部から最初に回収したサンプルは、ジェゼロ・クレーターと火星がどのように、またいつ形成されたのかを理解する鍵となるものだ。
「クレーターの底部で採取したサンプルは、年代を特定するうえで非常に重要です」と、スウェーデンのスウェーデン国立研究所(RISE)の宇宙生物学者で、パーシビアランスの科学チームにも参加しているサンドラ・シーエストロム氏は言う。
「なぜなら、もし生命が存在したなら、三角州がいつ、どれくらいの期間にわたって活動していたのかを知ることが極めて重要だからです。ジェゼロ・クレーターで得られる手がかりをもとに推定した年代には、プラスマイナス5億年の開きがあります。つまり非常に不正確で、その理由は、出どころがはっきりとわかっている、年代測定可能な岩石が入手できていないからです」
サンプルがどこで、いつ採取されたのかがわかっていることには、計り知れない価値がある。
クレーター底部のサンプルは、溶岩流で形成された火成岩から採取されたものであり、火星内部の成分の解明に役立つと、ワドワ氏は指摘する。これにより、火星がなぜ磁場を失い、不毛の惑星となったのかを解明する手がかりが得られるかもしれない。
衛星の画像からは、全体がかつて湖だったジェゼロ・クレーターの縁に沿って、炭酸塩と呼ばれる鉱物が堆積していることが見て取れる。「軌道上からは、それはまるでバスタブリング(浴槽の水際に残る湯垢の輪)のように見えました」とホーガン氏は言う。
この炭酸塩のリングが正確に何を意味しているのかについては、今も分析が続けられている。一説には、古代の浜辺にできた堆積物ではないかとも言われるが、火星に輝くように白い砂浜があり、そこに青い波が打ち寄せていたという図は想像しにくい。地球においては、こうした炭酸塩は淡水の浅瀬やアルカリ性の湖によくできる。
炭酸塩は火星表面にはほとんど存在しないが、ジェゼロ・クレーターの古代の三角州には豊富に含まれている。そして、一帯にある「マージン炭酸塩ユニット」と呼ばれる特定の領域は、パーシビアランスの探査において最も注目度の高い目的地のひとつだった。
パーシビアランスは、このエリアから3つの岩石コアサンプルを採取している。2つは堆積岩、残りの1つはシリカで結合された炭酸塩だ。
「これは生命という観点だけでなく、火星の気候や環境を知るうえでもすばらしい手がかりになります」とホーガン氏は言う。堆積岩のサンプルは、川や湖に沈殿した岩からとられたものである可能性があると、ワドワ氏は指摘する。「サンプルからは、古代の火星に存在したさまざまな環境の様子がわかるかもしれません」
次ページ:チェヤバ滝のサンプル
2024年7月、パーシビアランスは、かつて流水にさらされていた岩をジェゼロ・クレーター内で採取した。探査車搭載のカメラが撮影した画像からは、「チェヤバ滝」と名付けられたこの岩に「ヒョウ柄」が確認できる。
地球上では、こうした模様は微生物がエネルギー源として利用する化学反応の痕跡とみなされることがある。この岩ではまた、生命の構成要素である有機分子の存在を強く示唆する証拠も確認されている。
「これは非常に粒子の細かい岩であり、一般にバイオシグネチャーを中に閉じ込めて保存するのに適しています」とシーエストロム氏は言う。「バイオシグネチャーとは、岩石の中にあり、生命の存在を示す形態的または化学的な情報のことです」
これはしかし、パーシビアランスが火星に太古の生命体の証拠を発見したことを意味するわけではない。それを判断するには、サンプルを地球に持ち帰る必要がある。
パーシビアランスは2021年2月にジェゼロ・クレーターの底部に着陸し、その後、扇状地デルタに沿って壁を登りながら、徐々にクレーターの外を目指して進んでいった。2024年12月には、ついに高さ500メートルを登り終えて頂上にたどり着いた。
2025年1月、パーシビアランスはクレーターの縁から最初のサンプルを採取した。これは「シルバー・マウンテン」サンプルと呼ばれている。
このサンプルはジェゼロ・クレーター内で採取されたサンプルよりも古い可能性が高い。実際のところ、パーシビアランスがこれまでに集めた中で最も古いと言ってもいいだろう。
「これは重要なことです。なぜなら、過去に遡るほど、火星は生命の居住に適した環境であったと考えられているからです」とシーエストロム氏は言う。「時代が新しくなるほど、利用できる水は少なかったと思われます」
この記事を執筆している時点で、パーシビアランスは本体内に21本のサンプルチューブを収集・保管している。その中には、地球に由来する汚染物質の有無を確認できる「ウィットネスチューブ」が2本含まれている。パーシビアランスにはまだ、サンプル採取に使えるチューブが8本、ウィットネスチューブが2本残されている。
パーシビアランスによって採取された岩石がほんとうに古代のものであるのか、また微生物の化石を含んでいるのかどうかを確認するには、すべてのサンプルを地球で分析する必要がある。
「宇宙探査機による遠隔分析ではわからないことも、実験室でサンプルの分析を行うことで明らかになります」と、ワドワ氏は言う。
NASAは現在もサンプルをどのように持ち帰るかを検討中であり、科学者がこれらの岩石の調査に取りかかれるのは早くとも2030年代半ばになる見通しだ。それでも、アポロ計画が月から持ち帰った石と同じように、火星の岩石サンプルもまた、科学的に極めて貴重な財産となるだろう。
「サンプルを持ち帰りさえすれば、それは今後何十年にも、何世代にもわたって手元に残ることになります」とホーガン氏は言う。「アポロのサンプルからは、60年経った今もまだ新しい発見があります。われわれが目指しているのは、これらの火星サンプルを将来世代のための知の貯蔵庫として持ち帰り、火星について学び続けられるようにすることです」