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徘徊する母を連れ戻し、パイプに詰まった汚物を掻き出して…小学5年生で介護者となった「ヤングケアラー」のリアル

  • 2023年3月21日
  • レタスクラブニュース


家族の介護や家事を日常的に担っている18歳未満の子どもたち「ヤングケアラー」をご存知でしょうか。誰にも助けを求めることもできず、社会から孤立しやすい環境にあるといわれている彼らを取り巻く環境についてかつて当事者だった経験から語ってくれるのは、長野県御代田町のケアマネジャー、美齊津康弘(みさいづやすひろ)さんです。

お母さんが48歳という若さで若年性認知症を発症したという美齊津さん。当時、美齊津さんは小学5年生でした。学校から帰宅すると、病状が進行していくお母さんの世話に追われる日々…。「どうしてうちのお母さんが…」という苦悩の中、「僕がやらなきゃ」と必死にお母さんの世話をし、そしてそんな事実を周囲に打ち明けられず、孤独感の中で絶望していたそうです。

今回は美齊津さんにヤングケアラーの孤独や苦悩、周囲の大人ができることや、今ヤングケアラーとなっている子どもたちに伝えたいことをお聞きしました。


病状が進行していく母を見て絶望した…ヤングケアラーのリアル



──大好きだったお母様を介護しながら変わっていく様を目の当たりにしなければならなかったというのは非常に辛かったのではないかと想像します。特に辛かったこと、そしてその時の感情や思いについてうかがえますでしょうか。

美齊津さん:特に辛かったのは徘徊している母の手をひいて家に帰る時、近所の人たちに陰で笑われているような気がして、うつむきながら隠れるように歩いたことですね。


また、学校から帰ってきたら母の排泄物が洗面台のパイプに詰まっていて、それを掻き出していた時、母と自分だけが世の中から取り残されて見捨てられてしまったような気がして、惨めで涙が止まらなくなりました。

──当時、周囲に理解者はいたのでしょうか。

美齊津さん:母の事を学校の友人や先生にばれないようにしていましたね。いつも気を使って、気持ちがへとへとに疲れていました。
なぜかというと、当時は母が「おかしくなってしまった」と思われたら、馬鹿にされる? 噂話を広められる? 憐れまれる? 好奇の目で見られる? など、どんな風に思われるのか全く想像がつかず、とにかく人に知られたら「私の生活は終わり」だと思っていました。だから、ちょっとでも怪しいそぶりを見せないように学校では極力明るく振舞い、必死に平静を取り繕って生活していました。人に相談しようなどという発想はなく、むしろ相談した相手から母の事がばれてしまう可能性があると思い、誰にも心を開いていませんでした。



──お母様の病状が進行するにつれ、どのような症状が現れたのかをおうかがいできますでしょうか。


美齊津さん:年齢別に母の症状をお伝えすると、
<母が48、49歳の時>
・買い物に行って置いて行かれる
・鏡に向かって話をする
・交通ルールを守れなくなり車の運転をやめる
・料理で鍋を焦がしたりぼやを起こすようになる
・着替えをしなくなる
・風呂に入らなくなる

<母が50~52歳の時>
・徘徊
・トイレの場所が分からずゴミ箱に排泄したり排泄物を洗面台に流す
・学校に行こうとすると追いかけてくる
・汚れた下着をあちこちに隠す
・着替えの仕方がわからず介助が必要になる
・会話が支離滅裂になる
・私の事が誰かわからなくなる


<母が53歳の頃(入院後)>
・表情も乏しくなり、周りの人の存在も認識できているかどうか分からない状態
・ぶつぶつ独り言を話している


<母が54歳の頃(亡くなる1年前)>
・歩けなくなりいざって移動している
・空中に何か見えていて、そこに手を伸ばして何かを掴んで口に運んでいる。
・声掛けに反応なく、「おー、おー」と意味不明な事を言っている

<母が55歳の頃(亡くなる直前)>
・ベッド上で体を丸めた状態で関節が拘縮し寝たきりなる
・何も話せない
時系列に並べるとそのような症状でした。

──段階的に現れるものなのでしょうか?
美齊津さん:アルツハイマー型認知症は時間と共に脳が委縮する病気なので、物忘れや認識力は段階的に低下していきます。
しかしそれらを原因として現れる生活上の問題行動、例えば徘徊とか排泄物の不適切な扱いなどは、本人の精神状態が大きく影響します。つまり、認知症の人の頭の中は、分からないことだらけで常に不安を感じてる状態なのですが、周りが理解してその不安を解消してあげられるような対応を取れば本人も穏やかな気持ちになれるので、やがて不安からくる問題行動が減ってくると言われています。
ですが、当時の社会では母の周りの人たちに認知症に対する理解は全くなく、出来ないことが増えた母に対して、私も含めて誰もが母に辛く当たりました。母にしてみれば訳も分からず怒られてばかりで、心の中はいつも不安と恐怖で満たされていたと思います。また、引っ越しをしたことで生活環境が大きく変わった事も母の不安を強めていたと思います。だから、母の問題行動は加速して酷くなっていったように思いますね。


小学5年生でヤングケアラーに。「家族の中で一番時間があったのは小学生の僕だった」


──ご自身の経験が『48歳で認知症になった母」として発表されていますが、どのような反応が寄せられていますか?

美齊津さん:「壮絶でした」「読んでいて苦しくなりました」等の意見が多く、驚きました。私自身、自分の体験を「壮絶」と感じたことはなかったからです。私にとっては、この漫画の内容が私の人生そのものであって、何とかその中で対応しながら生活していかざるを得ない状況でしたので、私にとっては「壮絶」ではなく「日常」でした。だからとても驚いた感想でした。
他には、兄や姉、父への苦言が多くありました。「小さな弟に負担を押し付けて兄と姉と父は逃げた」という意見ですが、これはヤングケアラーが発生する経緯を考えれば少しは見方も変わるのではないかと思います。



──作品を読むと、小学生だった美齊津さんがメインの介護者となっている様子が描かれていました。その経緯について具体的に教えていただけますか。

美齊津さん:人は成長するにしたがって行わなければならないタスクが増えますよね。
特に中学生になる時に一気に勉強は難しくなり交友関係も複雑化していき自由な時間はなくなってきます。そして高校生、大学生となっていくに従い、更にタスクは増えていき、成人したころには、多くの人はあまり余裕がなく忙しい生活を日々送るようになります。
母が発病したのは、私が小学5年生、兄が高校2年生、姉は既に嫁いで子育て中、父は会社経営で忙しい盛りでした。
兄、姉、父はすでにこの時沢山のタスクに追われ生活していた中で、一番時間があったのは小学生の私でした。しかも、この時母親の症状は比較的軽度でした。見守りや簡単な家事程度の支援があれば良かったため、小学生の私でも負担なくできる量と内容のケアだったのです。
だから、決して私は周りの家族に押し付けられた訳ではなく、私がケアをすることが家族全員にとって一番良い方法だったから私が自発的に行っていただけなのです。この点はやはり当事者家族にしか分からないことなのかも知れません。実際は家族の中で誰一人として苦しまなかった人はおらず、皆それぞれの事情を抱えて必死でした。
やはり世間の人は誰かを悪者にしないと気が済まないのかもしれません。

──周囲の理解もなかなか得られない様子が描かれていました。当時と比べて現代の「若年性認知症」「認知症」に対する制度や理解は進んでいると感じていますか?

美齊津さん:「認知症」への理解は大きく進んでいると思います。
つい最近、私は地元で行われた認知症に関する講演会を聴講したのですが、そこでは多くの一般住民の方が自主的に認知症の症状について学び、患者への対応方法を学んでいました。こんなことは、自分が介護者だった当時では考えられない事です。
認知症は周りの人たちの対応によって、問題が小さくも大きくもなります。だから、世の中に認知症に理解のある人が増えてほしいと願っています。


ヤングケアラーを孤立させないために…
美齊津さんからのメッセージ

──美齊津さんがヤングケアラーについて発信している理由や、届けたい思いについてうかがえますでしょうか。

美齊津さん:認知症は、「患者の不安を減らすことが大切」という理解が地域の人々の中に広がることで認知症の問題が小さくなるのと同様に、ヤングケアラーも「子どもを孤立させないことが大切」という理解が地域に広がれば、それによって救われる子どもが増えると思っています。
私がヤングケアラーについて発信している理由は、ヤングケアラーの気持ちに共感してもらい、彼らに関心を向けて寄り添ってくれる大人を地域の中に1人でも増やしたいからです。理由は、そのような大人が地域に大勢いれば、自らSOSを発することが少ないヤングケアラーを早期に発見できますし、悩みを抱えて孤立してしまいがちなヤングケアラーにとって大きな心の支えになり、彼ら自身が再び歩みだすための力になると思うからです。
その為に私は、書籍や歌、講演会やコンサートなどの手段を使って、まずはヤングケアラーの実情や彼らの気持ちを多くの人に知ってもらいたいと思っています。

──周囲にヤングケアラーがいる、という方もいると思います。また、自身がヤングケアラーということもあるかもしれません。メッセージをお願いいたします。

美齊津さん:ヤングケアラーの皆さんへ。今は見えないかもしれないけど、世の中には君たちを支えたいと思っている大人が大勢います。それに、君たちと同じように家族のケアを頑張っている子どもも本当に大勢います。だから、本当に辛くなった時、もし君たちの周りに『この人なら相談してもいいかな』と思えるような大人がいたら、勇気を出して相談してみてください。

ヤングケアラーに関わる大人の方には、「今後ヤングケアラーと接する機会があったら、決して彼らを指導したり、アドバイスしようとしないでほしい」ということ。
彼らが求めているのは味方になってくれる大人なのです。彼らがSOSを出すには、大きな勇気が必要です。だから彼らの話を傾聴して、彼らの頑張りを認めて欲しいのです。
そして「いつでも相談においで」と言ってあげてください。それだけで、彼らはどれだけ孤独から救われるか分かりませんから…。


認知症の母親を介護することが「日常」だったという美齊津さん。「壮絶」だと反響があったことに驚いたとおっしゃっていた言葉が印象的です。
助けを求めるという発想がなかったと…。今現在ヤングケアラーとして生活している子どもたちもそうかもしれません。ヤングケアラー自らSOSを出すことは非常に勇気のいることで、出したくても出せない、という現実を知り、積極的に彼らの味方になれるような大人でありたいですね。

テキスト=mm

【美齊津康弘さんプロフィール】
1973年福井県出身。防衛大学卒業後、実業団のアメリカンフットボール選手として活躍し、日本一となる。幼少期ヤングケアラーとして過ごした経験をきっかけに、選手引退後は介護の道へ進む。現在はケアマネジャーとして働きながら、自ら開発したWEBシステム「えんじょるの」を使って、買い物弱者問題の解決に取り組んでいる。ヤングケアラーの応援歌CD「Resilience(レジリエンス)」を制作。







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