久しぶりに会った親が「老いてきたなぁ」と感じることはありますか?
著者の島影真奈美さんは31歳で結婚し、仕事に邁進する日々を送っていました。33歳で出産する人生設計を立てていたものの、気づけば30代後半!いよいよ決断のとき…と思った矢先、なんと義父母の認知症が立て続けに発覚してしまい…。
話題の書籍『子育てとばして介護かよ』から、仕事は辞めない、同居もしない、今の暮らしを変えずに親の介護を組み込むことに成功した著者の、笑いと涙のエピソード『義父母の介護が始まる。「キーパーソンになる!」思わず宣言してしまった私』をお届けします。
※本作品は島影真奈美、川著の書籍『子育てとばして介護かよ』から一部抜粋・編集しました
賢明な判断だと思うよ
親の介護が始まる。うすうすわかっていたことではあったけれど、地域包括支援センター(地域包括)での面談をきっかけにいよいよ現実味を帯びてきた。ただ、親の老いに向き合うショックはまだ実感できずにいた。
義理の関係だからかもしれない。義父が89歳、義母が86歳という年齢もおそらく影響している。夫は親が高齢になってから生まれた末っ子長男だけれど、わたしは親が若くして結婚し、早々に生まれた長女。義父母の介護に直面した当時、わたし自身の父親は73歳、母親は67歳。親同士の年齢がひと回り以上離れていて、義父母は親というより、祖父母に近いような感覚もあった。
しかも、年に1回、正月に会う程度の間柄である。「年をとった」とショックを受けるほど若い頃の様子を知っているわけではない。会えば、そそうのないように振る舞っていたつもりだけれど、それ以上でもそれ以下でもなかった。介護が始まってしばらく経った頃、部屋の片付けをしていたら、70代半ばの義母の写真が出てきた。当時の義母は髪を栗色(くりいろ)に染め、きつめのパーマをかけてメガネをかけ、キリッとした表情をしていた。グレイヘアで、柔和な雰囲気の今とはずいぶん印象が違う。栗色の髪をしていた頃にすでに会ってはいたはずだけど、いまいち覚えていない。
夫は夫で、親に対しては一定の距離を置いていた。結婚前から「親には『年をとっても面倒は見ない』と言ってある」と豪語していた。
「そうはいっても、向こうは期待してるんじゃないの? 長男だし」と言っても、「関係ない」の一点張り。「自分たちで暮らせなくなったら老人ホームにでもさっさと入ってもらうから」と言い放つのが常だった。
楽観的すぎる気もしたけれど、「結婚したからには、うちの親の面倒もよろしく」と将来の介護要員としてカウントされるより1万倍マシなので黙っていた。
わたしにとって、義父母の介護は「いずれ直面するであろうライフイベント」ではあったけれど、どちらかというと、あくまでも外野として、できることをサポートするぐらいの認識だったのだ。
同じきょうだいでも、夫より義姉のほうが圧倒的に義父母との心理的距離は近そうに見えた。両親に何か不測の事態が起きた場合、リーダーシップをとるのは義姉であり、不義理を重ねているわたしたち夫婦がしゃしゃり出る幕はないものと踏んでいた。
ところが、その予想はまるきり外れることになる。
というか、自ら火中の栗を拾いに行ってしまった。まさか「キーパーソン」に立候補してしまうとは!
ひとつには「情報を人づてに知るよりも、自ら把握できたほうがストレスは少ない」という理由が挙げられる。ただ、実は長女にありがちな「わたしがやらなきゃ、誰がやる」マインドが発動しちゃっただけのような気もする。
義父母への同情と感謝の気持ちに背中を押された感もある。
記憶にある限り、義父母に「嫁らしさ」を求められたことはなかった。夫の実家に顔を出すのは年に1回程度。手土産ひとつ持たずにやってくるわたしたちに対して、義父母が苦情めいたことを言うことは一度もなかった。たいてい「仕事は順調?」「よく眠れている?」といたわられ、それ以上干渉されることも皆無だった。
「孫はまだか」攻撃にさらされたこともなければ、子どもを産まなかったことに対する非難めいた発言も一切なかった。
わたしが大学院に通い始めたことも、とくに義母は「将来が楽しみね」「まだまだ若いんだから、勉強がんばって」と大喜びだったほど。
著=島影真奈美、マンガ・イラスト=川/『子育てとばして介護かよ』(KADOKAWA)