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日本の失踪者は無数にいて、警察が積極的に探してくれることはない|うさぎの耳〈第六話〉谷村志穂

  • 2023年3月8日
  • 暮らしニスタ

◀前の話 「ケチだと思われるの、みっともないでしょ」一人一万八千円の寄付金を、義母が財布から渡してくれる。||うさぎの耳〈第五話〉谷村志穂

急に、まるで改めて祝福されるように相手の声が耳元に広がった。

「お引っ越しされたのですね。新しい住所変更、このお電話でもたまわれますが」

馬術部の同窓生たちが、馬場で結婚パーティを開いてくれた。テーブルに野の花を飾り、私にはブーケも。皆でシャンパーニュのボトルを開けた。そうだ、その時のブーケにもにんじんが刺さっていたのだった。二人で可愛がっていた馬はもう高齢だったが、にんじんを美味しそうによく食(は)んだ。馬独特の、口を捻るような食べ方で。

「高山さん、もしもし?」

「すみません」

「あの、では百周年の同窓会の連絡も行ってないですか?」

「ええ、たぶん」

もしかしたら夫はどこかで受け取っているのかもしれないが。

「よかったら、いかがですか?」

都内のホテルの会場と、日時が知らされた。

「お忙しいですか?」

忙しいなんてことが、あるはずがない。

「検討します」

「あ、ですが、しめきりは明日です」

「…参加します」

「お二人で?」

「いえ、一人で」

慌てて、理玖のバスケットに入れてあったノートとクレヨンを出し、メモを取った。


理玖は、莉子が預かってくれることになった。

ケチな家だと思われたくない義母は、同窓会の参加費を出してくれた。

一枚だけ、残してあった紺色の薄地のワンピースを着て、髪は一つに結び、耳元にピアスをつけた。

莉子のアパートまで理玖を連れて行くと、彼女が髪の毛の毛先を少し巻いてくれて、気持ちよく送り出してくれた。

仲間たちに会いたいというよりは、私にはこの同窓会に密かな目的があった。

もう何度も警察署の前を行き来して、届け出を出すべきかどうかを迷ってきた。けれど、日本の失踪者は無数にいて、犯罪にでも巻き込まれていない限り、警察が積極的に探してくれることはないのは想像がついた。高山隆也が、神奈川県の失踪者リストに載るだけのはずだった。

盛大な式典、OBの代表としてずいぶん上の代の先輩が登壇し、開会の挨拶をする。代わって、乾杯の挨拶。

同期ごとの丸テーブルに座る。

「美夏、元気してた?高山くんは?」

「二人が連絡つかないって、幹事が困ってたよ」

テーブルの上で一気に泡立つように会話が弾けていき、私はしばらくその輪っかがあちらこちらで生まれ、そこから編み目が立ち上がっていくような様子を見つめていた。

幾つもパペットになって、一つまた一つと、席に座っていく。まるでそんな風にも見えた。

それぞれ自己紹介や近況が話された。

「六十期は、結束が固かったよね」

コンサル関係の仕事についたという、美咲の耳元で、大きな南洋パールピアスが揺れている。

「だけど、高山たちの結婚っていうのが衝撃だったからさ。本当は、二人が中心になって、盛り上げてくんないと」

自動車メーカーに勤めているという山喜田はだいぶ恰幅がよくなった。

「それはまあ、部長の役ってことでいいんじゃないの?」

商社勤務の、野本は細身で見かけがまるで変わっていない。

「いや、俺はまだマネージメント部課長」

ダジャレのような会話が続いた。

私の番になった。

「高山は、今日は仕事?」

野本が、訊ねてきた。

「わからない」

手に汗が滲んできた。

「わからないって?」

皆の視線が、訝しげに、そしてどこか興味本位に集まっていた。

「ごめんね、こんな場なんだけど、お願いに来た。久しぶりに来て、図々しいけど、みんな助けて欲しい。子どもが生まれて少しして、隆也はいなくなったの。仕事場からも、どこからも消えちゃった」

隣の野本は、自分でビールを継ぎ足していた。

「美夏って、こんな言い方はよくないかもしれないけど、確か身寄りがなかったよね」

美咲がフォークで皿の上に落書きをするように動かしながら言う。

「お子さんは、元気なんだよね?高山からは少し聞いてたから」

先に母親になった由希奈の遠慮がちな口調が、逆に心に刺さった。

「そう。障がいをもって生まれたけど、もうたくましいよ」

「何やってるんだよ、あいつ」

山喜田が、首を横に振る。

「待ってるつもりだった。何も考えないようにして。だって考えても、さっぱり何もわからなかったから。でもね、もう探そうと思ったの。どうしてなのか知りたいもん。あの子だって、今に感じてしまう。私が迷ったままだって」

「探さないと、始まらないでしょ」

と、野本は言って、続けた。

「まず、もう一回乾杯しよ。美夏、よく来たよ」

惨めだとかそんなことは、何も感じなかった。ただ、必死だった。皆の手にあるグラスの中の泡立ちが、束の間こんなことは夢なのだと思わせてくれた。

 

(つづく)

◀初めから読む 母子の部屋は、一階にあるその角部屋である|うさぎの耳〈第一話〉

谷村志穂●作家。北海道札幌市生まれ。北海道大学農学部卒業。出版社勤務を経て1990年に発表した『結婚しないかもしれない症候群』がベストセラーに。03年長編小説『海猫』で島清恋愛文学賞受賞。『余命』『いそぶえ』『大沼ワルツ』『半逆光』などの作品がある。映像化された作品も多い。

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