サイト内
ウェブ

Vol.67 発想を変えれば、「過疎問題」も住民自治を進める原動力になるのでは?

  • 2011年2月24日

 みなさん、こんにちは。全国ツアーが終了して、ひと息ついている北山陽一です。

 さて、前回もちょっと紹介しましたが、日妄研の新年会で僕の今年の目標が話題になりました。で、メンバーの話を聞いていると、果てのない妄想が展開されるだけでなく(笑)、具体的に役立つ話も出てきます。

 一方、これは妄想の類いに入るかもしれませんが、マイクロ水力発電はぜひ実現したいと思っています。マイクロ水力発電とは、平たく言うと、汲み上げポンプを逆流させて発電するっていうことなんですけど。実際、そういう設備を運営していくとなると、落ち葉とかゴミが入らないようにネットをかけたりしなきゃいけないみたいなんですけど、それが屋根になり、やがて小屋になる、みたいなことでしょうか。できればオーディオ・ルームを作りたいなとか、妄想に果てはないんですが(笑)。

 ちなみに、2005年に日本の自治体として初めてゼロウェイスト宣言をした徳島県の上勝町には、そういうことを実現するのが得意な人いるそうで、中古の汲み上げポンプを手に入れて、それで3キロワットくらい発電できるようにし、使わない分は売電しているという状況だそうです。この上勝町の取り組みなど意識的な自治体の取り組みに対して、あるいは北欧の国々の先進的な社会制度について、「それは地方の小さな町だからできるんだ」とか「北欧の国はGNPの規模や人口が日本よりずいぶん小さいからね」といった評価をしばしば耳にします。確かにそういう一面もあるでしょう。でも、同時にその「小ささ」をうまく生かして、ハンドメイド的なやり方で成果をあげていることにも注目するべきではないでしょうか。

農村 日本では、北のほうも南のほうも地方は過疎の問題が長く指摘されて、現在もその状況は「悪い」方向に進行していると言われています。でも、ちょっと待ってください。過疎とは何でしょうか? まずは人口減少の度合いがひどいということでしょうが、でも人口が少なくなったおかげで自然がまかなえる人数になったから、うまく付き合えばその人たちだけでやっていける規模になったという側面もあるんじゃないでしょうか。実際にその場所でいろんな苦労を味わわないで、机上の空論で話すのは良くないかもしれないですが、それにしてもそういう人口減少によって独立したコミュニティの形が見えてくるという可能性はやはりあると思うんです。

 実際、過疎地域の問題は、ライフラインなどいろんなものを外から入れているから生じていることが多いですよね。でも、例えば水道工事をやる予算があれば、マイクロ水力発電の設備は整えられるんじゃないかと思うんです。とりあえず数十人の人が生きていくにはこれで十分、という設備を考えるという発想も大切なんじゃないでしょうか。過疎は、過疎と言うから過疎なんだけど、その地域に住む人間の数の、そもそもの適正値はどうなのか?っていうことですね。東京は過密ですが、その状態については受け入れているんだから、いわゆる過疎地域もそういうものとして受け入れて、そのなかで考えるというふうに考え方を切り替えてみるのはどうでしょう。結局、東京ではお金が動くから過密が問題視されず、過疎地域はお金がまわらないから問題視されるのだとすれば、お金がなくてもやっていけるシステムを考えればいいと思うんです。電力や水道にお金がかかって大変ということなら、そこは自分でやってしまおうっていう。過疎と呼ばれるような地域では、逆にそういうことが成立しやすいんじゃないかと思いますし、そういう発想がひいてはみんなの自立意識を促していくことにもなると思います。政治の力を借りなくても、自分たちでやれるよっていう意識ですね。お金の力でインフラを整えることよりも、むしろその意識こそが大切だと僕は思います。


キーワードからさがす

gooIDで新規登録・ログイン

ログインして問題を解くと自然保護ポイントが
たまって環境に貢献できます。