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Vol.167 自分のなかの「和」について考えてみました。

  • 2015年3月19日

 みなさん、こんにちは。ゴスペラーズの北山陽一です。

 前回、リフォームのプランを考えるなかで畳スペースを設ける可能性が出てきたという話をしましたが、一般論として日本人は年齢を重ねてくると“やっぱり畳が落ち着くよなあ”という感覚になっていくものだとよく聞きます。僕が畳スペースを設けようかなあと考えているのは着物ダンスを置く必要が生じてきたからであるわけですが、それでも僕の深層心理にも“やっぱり落ち着くのは畳でしょ”といった意識がはたらいているんでしょうか?

 この連載のスタッフに聞かれて、ちょっと考えてみたんですが、まず思ったのは“僕のなかの「和」なものに対する感覚というのは憧れに近い感覚かもしれない”ということです。それと同時に、“先天的にそういうものに惹かれるというところがあるのかもしれない”というふうにも思いました。母親が琴の師範だったりするので、親から受け継いだものがあるような気もします。

和室 憧れということについて言えば、文化の歴史、深さみたいなことを考えたときに、その土地に息づいている、あるいは根付いている文化や芸能といったものが日本の場合はすごく古くて深いですよね。そういうものが守られ続けてきたという背景にはやっぱり力が必要だったはずで、日本はそういう力をずっと持ち続けてきたと思うんです。そういう部分に対する憧れが僕のなかにはあって、しかもそういう感覚というのは自分が生まれてから死ぬまでというスパンではなく、もっと全体的な枠組みとして揺り戻そうとしているのかなという感覚はありますね。一般的には、僕の世代は洋式で始まって、例えば僕がどんなに和装をしようと、文化としては洋風なままで、だから僕の和装なんて「コスプレのようなもの」と言われてもしょうがないとは思うんです。それでも、それを見ていた下の世代はどう思うのか? そこのところの可能性は5分5分で、いやひょっとしたら宝くじみたいなことかもしれないですけど、それにしてもとりあえず僕は父親の代から受け継ぐわけだから、それを下の世代が引き継いでいけるような可能性は作っておきたいと思うんです。

 それに、着物というスタイルは普段着としては完全に一般性を失ったと言っていいと思いますが、そのスタイルをもう一度取り戻す、その取り戻し方も重要だと思うんです。例えば今は「細い人はなかなか似合わないんですよ」ということで胸元に綿を入れたりしますけど、でも昔の人が毎日綿を入れて着物を着ていたはずはないですよね。ということは、何か失われたものがあると思うんです。それを取り戻すのが重要かなっていう。着物を着る習慣を取り戻すということではなく、その失われた何かを取り戻す、あるいは考えるということですね。機能的に問題があったから、着物を着ることが合理的でなくなったから着物が廃れた、とは僕は思っていないんです。何らか他に理由があったのではないかと。その理由は、着物が廃れてしまった当時とは世の中の状況や流行が変わっている今となってはあまり大したことではなくなっているかもしれない。だからこそ今あらためて和装を見直してもいいんじゃないか、と。実際、ふんどしを見直している人たちもいますし。個人的には、和装が廃れたことはその前後の肉体の能力の変化、あるいは姿勢の変化と大いに相互関係があると思っています。

 もっとも、自分用の仕立てた着物がもう出来上がっているわけですから、「難しいことを考えていないで、まずは着なさいよ」というツッコミが聞こえてきそうです。確かに、何度も着てみると、見えてくるもの、感じることがあると思いますし、そしたらこの連載でも報告します。まずは実際に体験してみるとことが第一歩、ですよね。

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