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Vol.6 100,000年後の安全

  • 2012年3月22日

  東日本大震災とともに、福島の原発事故からも1年が経ちました。僕の企画するイベント「きこえる・シンポジウム」では、2009年の年末に作家の廣瀬裕子さんをお呼びしたときと、2011年の夏に環境ジャーナリストの枝廣淳子さんをお呼びしたときに、原子力発電の現状や危険性などについて語り合いました。

100,000年後の安全
100,000年後の安全
 というわけで前回に続いて今回も、環境問題に関する映画を取り上げたいと思います。タイトルは「100,000年後の安全」。フィンランドのオルキルオト島にある、放射性廃棄物の最終処分場プロジェクトに関する映画です。原発事故後の4月というタイミングで日本でも上映されたことで、多くの人が劇場に足を運んでいました。

 水のなかに浮かぶいくつもの銀色の細長い燃料棒。福島原発の事故処理の映像ですっかりおなじみかもしれません。そこにある半減期が2万4千年と言われるプルトニウムを、完全に人間に無害な状態にするには、フィンランドでは10万年かかると決められているそうです(アメリカやフランスでは100万年とも)。

 「オンカロ」という名前の、地下を500メートル掘削した施設では、その燃料棒たちを縦に途方も無く並べて、眠らせる準備をしています。その作業が終了するのは、2100年ごろ。その後、入口をコンクリートで固め、さらに少なくとも10万年後まで保存するのですから、地下であろうとも築10万年の建造物を建設していることになります。その姿は例えるなら、幾何学的な「蟻の巣」のようでした。しかし決して誰も住めない巣。この映画では、「オンカロ」の存在を未来世代にどうやって伝えるか、ということに焦点が絞られていました。

 ミュージシャンの僕としてはクラフトワークの「Radio Activity(放射能)」という曲のハマり具合に痺れました。また独特な映像美もあいまって、大事な社会問題にも関わらず、純粋なアート作品として鑑賞してしまいました。でもそれはマイケル・マドセンという、コンセプチュアルアーティストでもある監督の狙いなのでしょう。主義・思想に寄らず、ドキュメンタリー&アートとしてもっと多くの人に見てもらいたいと、心からそう思いました。

 日本では使用済み核燃料の再利用を目的とした再処理施設が、何十兆円もかけられてたくさん建設されていますが、理想に技術が追いつかず、なかなか使命を果たしていないと言われています。また地震が多く地層の安定しない日本に、最終処分場を作ることは不可能に近いのではないでしょうか(調べたところによると「オンカロ」は自国の廃棄物しか受け付ける予定はないとか)。

 さらに、すでに世界には25万トンもの放射性廃棄物があります。それにも関わらず、途上国を始め、ウランがある限り今後も原子力発電所が増え続けていくのが、当面の現実なのでしょう。福島の事故後、今もなお16万人の避難者を出しているこの国の現状を考えると、本当に信じられないですが。

 けれども、やっぱり世界は繋がっているのです。それは大気が運ぶ放射能汚染もそうですし、廃棄物の問題も。すでに起きてしまったこと、生み出してしまったものに、先手を打つ人がいないといけない。監督があるインタビューで語っていた通り、最終処分場を建設してそこで働くことは、意義のあることだと思います。やがて訪れる死から逆算して、命を全うさせる責任を担っているのは、生き物もエネルギーも変わらないのですから。


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