京都よりみちこみち 六波羅と松原通【前編】

  • 2023年7月11日
  • ことりっぷ


平安京の誕生とともに産声をあげた五条大路。かつて清水寺へ向かう人びとで賑わった大路は松原通と名を変え、今も旅人の姿が。また、あの世とこの世の境目とされた付近には数々の不思議な言い伝えが残ります。
この夏は、そんな魔界の入り口をめぐってみませんか。
京都を旅するなら誰もが一度は訪れる清水寺。門前の坂道はみやげ物店が立ち並び、季節を問わず大いに賑わいます。清水坂とも呼ばれるこの道こそが松原通なのです。
坂を下り、バスが行き交う東大路通を渡った辺りは「六道の辻」とも呼ばれ、古くは葬送の地として亡骸が運ばれてくる場所であったため、あの世とこの世の境とされてきました。付近の町名である「轆轤(ろくろ)町」は、元々「髑髏(どくろ)町」という恐ろしい名前だったそう。
そんな歴史を知ると、平安時代、朝廷の役人であった小野 篁が六道珍皇寺の井戸から冥府へ通い、閻魔大王に仕えたという逸話も説得力がありますね。
その昔、都では死者を葬送の地である鳥辺野へ運ぶ前に、「六道珍皇寺」で最後の別れを惜しんだといいます。
そのため、付近は現世と冥界の境とされ、平安時代に小野篁が冥府との行き来に使った2つの井戸が今も境内に残っています。
7月15~ 17日の夏季ゑんま詣は、この井戸やだるま商店の極彩色屏風が間近で見られる絶好の機会。また、8月7~ 10日は、迎え鐘を撞いて冥界から精霊を呼び寄せ、家へ連れて帰る六道まいりで賑わいます。
地元商店街の一角にある小さなカフェが、全国のスイーツ好きの注目を集めています。店名の「ベリー」は、マドレーヌのこんもりと盛り上がったおへその部分のこと。店内にはずらりとマドレーヌやエッグタルトが並んでおり、見ているだけで幸せな気分になれます。
韓国製の型で焼き上げるマドレーヌやフィナンシェは少し大きめのサイズで、クリームをサンドしたり、チョコレートでコーティングされているのが特徴。
とろりとしたクリームたっぷりのエッグタルトをはじめ焼き菓子は売り切れ必至なので、早い時間の来店か、ぜひ予約を。
松原通から伸びる松月小路にたたずむ「麦ねこ風ねこ」。屋根にちょこんと座る猫の鐘馗さんに挨拶して、清水焼の絵付け工房であった店主の実家を改装した店内へ入りましょう。
自家製天然酵母を使ったパンは、むっちりとした食感で食べ応え十分。ホワイトクロスサンド2個とドリンクのセットメニュー(1200円)は、サンドを卵、ハンバーグの2種から選べます。
平安時代の951(天暦5)年に醍醐天皇の皇子であった空也上人が創建した「六波羅蜜寺」。当時、都に蔓延した疫病を鎮めるため、上人は十一面観音像を車に乗せて曳いて回ったのだとか。その姿を表した仏像が令和館に安置されています。踊り歩きながら、鉦(かね)を叩き念仏を唱える前衛的なスタイルに当時の人びとは驚きつつも、天皇の子でありながら、いつも民衆に寄り添い伝道に励んだ上人を、親しみを込めて「市の聖」と呼んだと伝わっています。
極彩色の六波羅蜜寺の本堂は、応仁の乱以前に建てられた貴重な建築です。
本堂でお参りをしたら、よく当たると評判のおみくじも忘れずに。
400年以上前のある夜、ひとりの女が飴を買いに来た。不審に思った飴屋の主人が後を追うと、鳥辺山の墓地で姿を消し、赤子の鳴き声が聞こえる。身重のまま埋葬された女性の子は助けられた。『ゲゲゲの鬼太郎』のモデルにもなった逸話が伝わるのが、こちらのみなとや。松原通と六波羅蜜寺への道が交わるT字路「六道之辻」に店を構えています。
幽霊が買った箸に巻いた水飴も、今は琥珀色の飴にモデルチェンジし、後に赤子が高名な僧侶になったことから縁起のよい「出世飴」とも呼ばれています。
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いかがでしたか?8月7~10日は六道珍皇寺の六道まいりで賑わう松原通。
【後編】では、土地の歴史を感じつつ、ひと休みできるカフェやごはん処をご紹介しますので、楽しみにしていてくださいね。

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