さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。第43回は、俳優の山本奈衣瑠さん。
長期の撮影仕事で訪れた高知県の奈半利町。海に面したまちで、時間があればすぐに海に行ったという。観光スポットとして賑わうわけではないこの場所で山本奈衣瑠さんはどんな過ごし方をしたのだろうか。海辺を中心に出会った人、過ごした時間、感じたことを綴ってくれた。
海がある日常の生活去年の夏、私は高知県の奈半利町にいた。場所的には徳島県の下あたり。町は海に面していてどこにいてもまっすぐ行けば海にたどり着く。滞在していたホテルから海は歩いて10分。自分の生活のなかで海がこんなに近くにあることは貴重だったので時間があるときはすぐ海に行った。
このまちを訪れた理由は撮影だったのだけど、長期撮影だったため、のんびりとそのまちで1か月程生活をさせてもらっていた。海はあるけど大きな観光スポットや人で賑わう有名な場所があるかというと正直そうではない。観光客が泊まりに来るホテルが沢山あるわけではなく、あるのは大きなホテルが2つだけ。
着いてすぐに分かった。派手じゃないけど東京とは確実に違う時間の流れを感じられるのがこのまちの魅力なのだろう。仕事で来ているとはいえ、休みの日や撮影が早く終わった日は宿泊していたホテルを出てなるべく外でこのまちに触れるようにしていた。一応これを旅と言わせてもらおう(笑)。
歩いて2時間くらい、このまちにある数少ない観光スポットを目指して私はひたすら知らない道を歩いた。もちろん周りに人の賑わいは無いしタクシーが通ることもない。思いのほか遠すぎて無理っぽいなと少し不安になったりもしながらただゴールを目指して歩いた。
その道でたまに人とすれ違う。一本の静かな道ですれ違うそのまちの人たちは私に会釈をする。それに対してもちろん同じように会釈を返す。「暑いですね」と話しかけられたら「そうですね、お気をつけて」なんて言ってまた自分の道を歩く。このまちの人っぽい感じで。
そしてようやく着いた観光スポットはその時点で閉館30分前。正直全然その場を満喫できたわけではないけどバスで早く行くことよりも、歩きで遅く行くことをホテルを出てから気分で選んだのは私だ。とりあえず座って休憩していたらもう閉館。またここから2時間かかる帰り道がスタートするのかと思うと流石に気が滅入って帰りはタクシーを呼んだ。
前の日も見たのに、この日も海に沈む夕日が見たいなと思って運転手さんにホテル近くの海辺までお願いした。どこから来たの? というたわいもない会話から運転手さんがこのまちの海の好きなところについて語ってくれた。東京には何度か行ったことがあるけどやっぱり海が近くにないことが嫌なんだ、東京に行ったのに海が見たくなってわざわざ海が見える場所まで行ったこともあったと話してくれた。
このまちから見える海は波が穏やかで夕日が沈むのがばっちり見えるので、変わっていく空の色を贅沢に全部見ることができる。
海辺にいると私以外には、ワンちゃんとのお散歩やランニングしている人がたまに通るくらいで、ここで特別に何かをする人たちはいなくて、みんなの”生活”のなかのひとつであるということがわかった。
運転手さんの話といい、散歩やランニングをする人たちを見ているとこの贅沢な”普通”を凄くうらやましく思った。日がほとんど沈みかける頃、真っ暗になる前にホテルへ戻る。沢山の家の並びを通りすぎると夕飯の支度が始まっているあのいい匂いがする。猫ともすれ違う。
このまちの人みたいな顔して歩く。このまちにある、私のまちにもある、普通な生活がやっぱり美しくてうらやましくて贅沢で、このまちの人みたいな顔して歩く。このまちの人みたいな顔して歩いていると何だかここも自分の居場所のような感覚になってくる。
歩いて歩いて、このまちの日とともに変わる姿を見て匂いを嗅いで話を聞いて。有名な観光名所を見て心が動くような贅沢と同じくらい、このまちで暮らす人たちがつくり上げてきた毎日の積み重ねの尊い空気も贅沢で心が動く。
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Nairu Yamamoto 山本奈衣瑠
やまもと・ないる●モデルとしてキャリアをスタート。19年より、俳優業へも挑戦を始め、22年3月公開の映画『猫は逃げた』(監督:今泉力哉)にオーディションを経て主演に抜擢された。メインキャストで出演した映画『SUPER HAPPY FOREVER』(監督:五十嵐耕平)の芝居が評価され、第38回高崎映画祭において最優秀助演俳優賞を受賞。24年は同作を含め、『走れない人の走り方』(監督:蘇鈺淳)、『ココでのはなし』(監督:こささりょうま)、『夜のまにまに』(監督:磯部鉄平)、『冬物語』(監督:奥野俊作)と主演・メインキャストを務めた映画5本が公開と邦画界の注目を集めた。
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