
仏教やお経と聞くと、なんとなく堅苦しいイメージを抱く人も多いのでは?現役の僧侶(浄土真宗本願寺派)である近藤丸さん(@rinri_y)が描く漫画「ヤンキーと住職」は、仏教が大好きなヤンキーと少々頭でっかちな住職とのやりとりから、仏教の教えを伝える漫画。読者からは「興味深い」「ためになった」「書籍化してほしい」との声が多く寄せられている。
ウォーカープラスではそんな「ヤンキーと住職」の中から特に印象的なエピソードを厳選し、近藤丸さんのインタビューと共にご紹介。今回は、「お経を読むことの意味」や、「僧侶の役割」について。
祥月命日にお経をあげるため、バイクで檀家の家へ向かっていた住職。道中でカーブを曲がることができず、事故を起こしてしまう。
■僧侶が読むお経にだけ功徳がある訳ではない
事故を起こし寺に帰ってきた住職を見て、「俺が代わりにお参りに行く」と言いだすヤンキー。そもそも「お経を読む」とは、どういうことなのだろう?
「『お経を読むこと』の意味ついて、仏教の歴史の中でさまざまな解釈がされてきました。私は浄土真宗本願寺派という宗派の僧侶なので、浄土真宗の場合について、自分なりに学び考えたところを述べてみようと思います。とはいえ、多分に私の思いや個人的意見や解釈が入っていますので、その点を加味して読んで頂けたら幸いです。また、私の意見を絶対と思わずに、他の僧侶の方や学者の方の意見を聞いたり、ご自身でさまざまな仏教書に当たって調べたりしてもらえたらと思います。
以前の記事でもお話させていただいたのですがお経は、ブッダが人々の悩みや苦しみに寄り添う中で語った言葉を、後の人たちが書き留めたテキストのようなものです。ですから法要や日々のお参りの中でお経を聞く事の主な意味は、私たちが今ここで教えを聞き、大切なことに目覚めていくということになります」
人生のさまざまな苦しみに対する解決方法が書かれているというお経。唱えると何かしらの奇跡が起きる「呪文」とは、全くの別物だという。
「お経は、それを読むことでお祓いをしたり、自分に都合の良いことが起こったりする『呪文』ではありません。私たちが自己の生き方を問われたり、お経を鏡として生きることや生きる道を問い尋ねるものなのです。そういう意味では僧侶も、それ以外の人も、お経の内容を『聞く者』なのです。ですから、僧侶が読むお経にだけ功徳があり、それ以外の人が読むお経には功徳がないということではありません。どちらも仏様のお話を、ここでもう一度聞いていくということなのです」
■僧侶は、仏教を求める人たちのリーダー的存在
「自分の代理としてお経を読むことができるのだろうか?」と考える住職に対しヤンキーは、「衣がお経を読むわけじゃない」と言う。近藤丸さんはこのセリフを、「生きている私たちが聞くべき教えというお経の意味に着目し、その部分を強調した表現としてこう描きました」と教えてくれた。お経は仏の教えが書かれたもので、誰が読んでも内容に変わりがないのであれば、僧侶の役割とは一体何なのだろう?
「『お坊さんを呼ばなければ悪い事が起こります』とか『お坊さんがお経を読まなければ、意味がありません』ということは、浄土真宗では言いません。しかし『お坊さんを呼ぶこと』の中にも、とても大切な意味があります。この漫画に描かれた『ヤンキーがおばあさんの家にお経を読みに行く』という状況は、現実だと考えにくいですね。
浄土真宗本願寺派では僧侶の任務として、次のことが示されています。『僧侶はお釈迦様や宗派を開いた方に奉仕して自ら真実のさとりを目指し、また他の人にも教えを説き、共に大切なことに目覚めていくことを目指す仕事に専念する必要がある。そして、寺院を守り発展させていくことに努めなければならない』
僧侶は仏教の教えにうなずき、自分の生き方にしようと決めた者です。ですから僧侶は仏教に従った生活をし、法話をし、お経を読み、その姿によって仏道を人々に伝えることを専門にしています。そういう意味では仏教を求める人たちのリーダー的存在です。これは偉いという訳ではなく、そのようにあろうとする人との意味だと捉えています」
■葬儀などの儀礼は、仏さまの前で多くの人々と教えを聞く場
私たちが僧侶を呼ぶシチュエーションといえば、真っ先に葬儀が思い浮かぶ。では葬儀中、僧侶は何をしているのだろう。
「葬儀の際、お坊さんのことを導師といいます。導師には葬儀や法要の儀式を導き、しっかり執り行うとの意味があります。そして導師は今からどのような儀式を行うのか同席している人たちに伝え、お経を読みます。つまり浄土真宗の場合、葬儀などの儀礼は、仏さまの前で多くの人々と共に、教えを聞く空間なのです。参列者をリードし、仏様と教えを聞く空間を作り、読経や法話を通して仏教を伝えていく使命が僧侶にはある訳ですね」
またお経の独特の節回しにも、多くの人に伝わる理由があるという。
「お経は内容だけでなく、その響きや美しさを通して伝わるという面もあります。丁寧に、大切に唱えられたお経から、何かを聞き取る人がいる。お経には独特の節回しがあるものも多いので、日々読経の練習をし、さまざまな訓練をしている僧侶でなければ難しいものもありますね。そのお経に感動した人が、また日々お経を読むこともあると思います。
今回のインタビューに答えるために岡崎秀麿先生・冨島信海先生の著書『ねぇ、お坊さん教えてよ どうしてお葬式をするの?』(本願寺出版刊)、渡辺照宏先生の『お経の話』(岩波書店刊)を参考にさせて頂きました。より詳しいことが知りたい方は是非これらの本を手に取ってみて下さい」
ブッダの教えを聞き、大切なことに目覚めるために読まれるお経。その功徳は、僧侶が読んでも私たちが読んでも変わりはないそう。次回は事故で動けない住職の代わりにお経を読みに行くと言うヤンキーの、秘められた過去が明らかになる。「ヤンキーと住職」を今後も楽しみにしてほしい。
取材・文=石川知京