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(NY)vol.8 アートとエデュケーションとアグリカルチャー、ロハスが息づくキャッツキル

  • 2009年5月14日
キャッツキル


キャッツキルは自然保護地

ケーブルカー
1890年には山頂のホテルに客を運ぶケーブルカーも建設された
 キャツキルパーク(Catskill Park) はNYのマンハッタンから200キロ程北上したハドソン河の西に広がる広大な自然保護地区。その広さは約3万平方キロメートルで標高1000メートルを超える山々が連なるキャッツキル山脈が美しくそびえる。(東京郊外、秩父や奥多摩に似ている環境かも知れない)夏には山間を流れる川でフライフィッシングや川下りを楽しむ人が訪れる。
 キャッツキルは東海岸でも有数な鱒の釣り場としても知られている。沢から流れ落ちる滝は各所で見られその美しさは一瞬息を呑む。指定キャンプ場も各所にあり、設備も整い快適なキャンプを楽しめる。また冬はNY周辺でも有数なスキー場も数あり、特にハンターマウンテン(Hunter Mountains) やウインダム(Windham) はニューヨーカーにとって日帰りが可能なスキー場として親しまれている。1969年のロックコンサートで知られるウッドストックもこのキャッツキルの中にある町だ。


保護されたNY市の水道源

 また、このキャッツキルパークの中には人口1千万人のNY市、およびその周辺の水道を賄う貯水池がある。その水は 地下に施設された巨大なアクアダクト(Aqueduct)の中を高低差だけでポンプを使わずに NY郊外まで150キロの道のりを流れていく。その貯水池の水源となる広大な地域はウオーターシェッド(Watershed) 地域に指定され、NY市が汚染を防ぐために厳しい規制を施し、きれいな水源を確保している。この厳しい規制がきれいな水と自然環境を200年ものあいだ、変わらずに保っている。

避暑地としてのなごり

 この広大なキャッツキルパークの北部は山並みと渓谷さらに大小の湖が点在し20世紀初頭からNYで成功を納めた金持ち家族の避暑地と開拓された。客室が100を超える木造のホテルが数多く建てられ標高800メートルを登るケーブルカーや鉄道なども設備され避暑地として繁栄した歴史も残っている。だが、この地が繁栄したのは1850年頃から1960年後半までで、自動車の発達と高速道路の完成でNYからは日帰り圏内となり避暑地としての施設は必要がなくなり歴史的なホテルは次々と閉鎖された。今ではその面影は写真や絵のみでしか見られない。今も僅かに残っている当時のホテルは廃墟と化している。

キャッツキルマウンテンハウス
1824年に完成した部屋数が100を超えるキャッツキルマウンテンハウス。当時はNYからの金持ちや大統領までもが避暑にやって来た歴史をもつホテル
僅かに残る当時の建物
僅かに残る当時の建物は今では廃墟と化している


マウンテントップはニューヨークの片田舎

 キャッツキルパークは自然保護地区だけに環境を大きく変える開発や大型店、チエーン店、ファーストフードなどの出店はそれぞれの村で規制されているので見る事はない。一度この地区に足を踏み入れると、NYから僅か車で3時間の距離ではあるが、深い山間に潜む時代に残された村が点在している別世界である。19世紀の作家ワシントン・アービング (Washington Irving) のリップ・バン・ウインクル (Rip Van Winkle) はこの地に由来している。同じく19世紀の画家トーマス・コール (Thomas Cole) やフレデリック・チャーチ(Frederick Church)もこの地を好んで描いている。
 電気、電話などのインフラストラクチャーは設備されているものの、都市ガス、水道設備は少なく、多くの家庭は井戸からの水と冬は薪を燃やしての生活が残っている。そんな自然の中での生活を求めNYからこの地に週末の憩いの場を求めやって来る人も多い。NYの片田舎とも言えるこの地に移り古い民家や農場を買い取り、設備を改めモダンな生活が出来る家に改造しているビジネスマンも多い。著名な作家やアーテイストもこの地を好んで住宅を構えている。またヨーロッパ人がこの地に多くセカンドハウスを構えているのも特色か。特にフランス料理のシェフが引退後にこの地を選んで住む人は多い。地形が豊かで新鮮な魚が川で取れ、鹿やウサギさらに新鮮な野菜、キノコなどが手に入ると言うのがこの地に魅了される理由。「マウンテントップ」とは、この地に住む人達が好んで使うプライドの高い呼び名。言うなれば下界とは違うという意味が含まれている。

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