自閉症の36歳・翔太が自立して生きる力をつけるまで / (C)翔ちゃんねる-Fucoママ(渡部房子)、河島 淳子
自閉スペクトラム症の子をどう育てたらいいのか、悩み、苦しみ、戸惑っているお母さんは大勢。そんなお母さんたちが一番欲しいのは「大丈夫!ちゃんと育つから」という経験に基づいた一言と、リアルな療育実践記録ではないでしょうか。
それらをYouTubeで発信、勇気づけているのが、翔ちゃんねる-Fucoママさんです。
末っ子長男の息子・翔太さんが、5歳で自閉症と診断されて31年。一般企業に就職し、余暇を楽しむ自立した社会人に育つまで、Fucoママさんはどんな子育てをしてきたのでしょうか。
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多動で自分勝手、気に入らないことにはわめきちらす子だった
翔太が自閉症と診断されたのは5歳。取得した療育手帳は「B」(軽度)でした。
当時はまだ自閉症という障害さえ一般的に認知されておらず、情報も少ない時代(そもそもインターネットなんて普及していません)。息子の発達の遅れも学力さえつければなんとかなるんじゃないか、小学校入学までにはほかの子に追いつけるんじゃないかと思っていた私は、国語や算数の教材プリントを使って翔太の知的能力を伸ばすことに必死でした。
学習態度の悪さには目をつぶり、息子の機嫌をとりながら取り組む毎日。日常生活でもパニックを起こされることを恐れ、腫れ物に触るように私や周囲が彼に合わせて配慮していました。その結果、翔太はわがままいっぱいの、扱いにくい野生動物のような子に。
小学1年生で入会したトモニ療育センターで受けた発達検査でも、翔太は自分の思いどおりにならないと大騒ぎ!そんな様子を見て、所長の河島淳子先生から言われたのは「こんな状態で知識だけつけても役に立ちません。むしろ邪魔です」。
ショックで打ちのめされましたが、河島先生の指摘で気づいたのは「知識や能力があっても心が育っていなければ、その知識や能力を使って生きていくのは難しい」ということでした。
「大切なことは知識を教えることではなく、心を豊かに育てること」
これが分岐点となり、私はトモニ療育センターで母親教育を受けながら、翔太の療育を始めたのです。
子どもの言いなりにならない。「叱らない」けど「譲らない」と心に決めて子育て
それからは、翔太の今までの育ちを軌道修正し、信頼関係を築くために、息子との関わり方を180度変えました。
子どもに主導権を握らせるのではなく、自分が主導権を握って指導していく――。
翔太の抵抗は激しく、毎日大騒ぎ。でも、「叱らない」けれど「譲らない」と心に決め、翔太には「投げ出さない」「わがままは通らない」「約束は守る」ことを教えることにしました。
大きく変わったのは、関わり方だけではありません。
それまでの私には彼の将来像を思い描く余裕などなく、目の前の行動ばかりが目についていましたが、「学校卒業後の翔太」が子育ての目標になりました。
1 人に好かれる人に育てること
2 役立つ人に育てること
3 一般企業で働き、地域で家族と暮らすこと
4 余暇を楽しめることを持つこと
5 可能な限り自由に生きること
期限は12年後。そのため今、必要なことは?と小さな目標に落とし込んでいきながらの子育てに方向転換したのです。
社会で役立つ人になるには、まず家庭の中で役に立つ人へ
基礎学習は「座る」訓練からスタート。「沈黙」「姿勢正しく」「できました」などのカードを駆使して学習態度から改めて身につけさせました。
もちろんすぐにできたはずはなく、大騒ぎの抵抗を示していましたが、彼の抵抗を無視して「譲らず」にさせることで指示に従えることが増えていきました。
生活面でも指示を聞き入れやすくなり、家事などの手伝いもさせられるように。河島先生からは「手を磨きなさい」「使える手にしなさい」と事あるごとに言われていたので、料理、洗濯、掃除などの家事も積極的にやらせました。
社会で役立つ人になる前に、わが家で役立つ人になってもらったわけです。
なかでも材料の買い出しからはじまる料理は、お金の計算やレシピの読解、計算、応用など生活のなかで役立つことがたくさん詰まっていて、生きていくための基礎学習を実践で使えるようにする練習にもなりました。そして何より、自分が作ったものを家族が「おいしい!」と食べてくれることは大きな自信につながったと思います。
養護学校高等部を卒業後、翔太は障害者枠ではあるものの一般企業に社員として入社、今年で勤続18年になります。週休2日制で、休みの日は温泉に行ったり、映画に行ったり、スポーツをしたり。給料の管理も自分でしていて、誕生日など家族へのプレゼントも忘れません。自由に豊かに自分らしく生きています。
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野生動物のようだった息子に「なんでこんなことがわからないの!」と思ったこともあると言うFucoママさん。悪戦苦闘するうち、どうすれば翔太さんに伝わり、理解させることができるのかを工夫することが面白くなり、子育てを楽しめるようになったそうです。Fucoママさんの言葉は、自閉スペクトラム症の子を持つすべてのお母さんお父さんに、元気と勇気と希望を与えてくれることでしょう。
文=岸田直子
【著者プロフィール】
翔ちゃんねる-Fucoママ(渡部房子)
自閉症の息子をもつママ。息子は1988年6月15日生まれ、療育手帳B、知的障害を伴う自閉症の青年(2025年に37歳)。 5歳の時に自閉症と診断される。 6歳上の姉と2歳上の姉がいて、息子は末っ子長男。言葉の理解は教えても教えても限界があったが、地元の一般企業にパート社員(障がい者枠)として就職して18年目(2025年2月現在)になる。
【監修】
河島淳子(トモニ療育センター)
岡山県笠岡市生まれ。1966年岡山大学医学部卒業、小児科医師、高知県立中央病院小児科勤務後、第三子自閉症のため、家庭療育に専念する。自閉症児の母親たちと「わかば会」を結成、わかば共同福祉作業所を設立し、顧問に就任。 1997年、法人化されたわかば共同作業所の理事長に就任。1994年には、自閉症スペクトラム児とその家族の支援を目的としてトモニ療育センターを開設。
※本記事は翔ちゃんねる-Fucoママ(渡部房子)(著)、河島 淳子(監修)の書籍『自閉症の息子が自立して生きる道』から一部抜粋・編集しました。