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松本明子さんが明かす 実家じまいで出てきた「20トン分のゴミ」の処分に100万!2000冊以上の本の中にはアレな本まで…

  • 2022年6月29日
  • レタスクラブニュース




タレントとして活躍する松本明子さんは、香川県高松市出身。子どもの頃にお父様が購入した一軒家で育ったそうです。宮大工さんが手掛けた立派な家は、お父様にとって一生の中で最大の買い物で、松本さんにとっても思い出の詰まった場所でした。お父様の意向もあって松本さんが実家を継ぐことになりましたが、タレントとして活躍する松本さんの拠点は東京。高松の実家は空き家のままで、年間約27万円の維持費を払い続けていたそうです。売却のためのリフォーム代や家財の整理にかかったお金などを含めると、最終的に実家を手放すまでにかかった費用はなんと約1800万円…! 売却費用を差し引いても大赤字だったといいます。

実家の将来についてぼんやり不安があるものの、慌ただしい日常の中で、何もできていないという方は多いのではないでしょうか?  そういった方も、松本明子さんの体験談をきっかけに「早々に考えなければ」と思うかもしれません。

お父様が遺した高松の実家を継いだ松本さん。誰も住んでいない空き家ですが、年間約37万円の維持費や数百万円というリフォーム代がかさむ一方…。そんな中、松本さんはとある番組出演をきっかけに、「将来子どもや孫に迷惑をかけないためにも実家じまいをしよう」と決意します。紆余曲折ありながらもようやく買い手が見つかりひと安心。しかし、最後の最後に大仕事が待っていたのでした。

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家財や遺品の整理は死ぬほど大変
実家に残されていた大量の家財や遺品

買い手が見つかり、やれやれと思ったのも束の間、実家じまいの最後の大仕事が待っていました。実家に大量に残されていた家財や遺品の処分です。

先方がなるべく早く住みたいとおっしゃったので、引き渡し期限まで3カ月ほどしかなかったのです。仕事の合間を 縫って、それらを処分するのは想像を絶する大変さで、もっと前から地道にやっておけばよかったと心底後悔しました。

私の祖母の先祖は、もともと丸亀藩の武士でした。日本刀や刀掛けなどの骨董品のほか、代々伝わる漆器の類、陸軍大佐だった祖父の勲章やサーベル、さらには100歳まで生きた祖母の100年分の持ち物(衣類や生活用品・雑貨等々)などがそのまま残されていました。祖母は 呆れるほど物持ちのいい人で、下着すら捨てていなかったのです(苦笑)。

明治・大正期の古い紙幣や百人一首のカルタなどもあって、思わず片づける手を止め、見入ってしまうこともしばしば。それこそ骨董品の中には、お宝の一つや二つはあったかもしれません。でも、時間的にも精神的にも余裕がなかったので、これはと思えるもの以外は捨ててしまいました。銃刀法で日本刀やサーベルは東京へ持っていけないので、地元の骨董屋さんに引き取ってもらいました。

あとは両親の遺品ですが、母のものでは着物や洋服が100着以上ありました。父や私が買ってあげたもので、使えそうな着物は昔から知り合いの高松のスナックのママさんに送ったほか、劇団のWAHAHA本舗にも持っていきました。看板役者の久本雅美さんや柴田理恵さんに「よかったら舞台で使ってください」と言って。撮影用衣裳のレンタルをしている東京衣裳さんにも送りました。テレビや映画の時代劇に着物は欠かせませんから。

父のものでは本が2000冊以上ありました。小学館の『日本百科大事典』全13巻、中央公論社の『日本の文学』全80巻、『世界の文学』全54巻、これらは1巻も欠けることなく全巻揃っていました。もっとも家族は誰も手に取ったことがない。父もどれだけ読んだかはかなり怪しい(笑)。何しろエロい本や雑誌もいっぱいあって、片づけながら、あーあ、離れの書斎で何やってたんだか、と苦笑したくらいですから。

でも父の名誉のために言っておきますが、どうやら作家を夢見ていたのは本当だったらしく、書斎には書き上げた一篇の小説原稿が残っていました。中身にはあえて言及しませんが、父の夢のかけらに触れた気がして、ちょっと感動しました。

書斎にあった本は、すべて車に積んで東京まで持ち帰り、神田の古本屋さんに持っていきました。でも、ほとんど二束三文。百科事典などは中身が古すぎて一銭にもならず、結局、捨てました。

エロい本や雑誌は、漫画家のみうらじゅんさんがほしいというので全部引き取ってもらいました。処分に困っていたので助かりました(笑)。

父は昭和歌謡が好きで、アナログのレコードもかなり持っていました。これも東京に持ち帰り、新宿のレコード屋さんで売ったのですが、1枚1円とか2円にしかならず、がっかり。貴重盤でもあればと期待したのですが、まさに取らぬ狸(たぬき)の何とやらでした(苦笑)。











次々出てくる漆器・勲章・サーベル・百人一首・2000冊以上の本……何代も住まわれていたお家ほど大変かもしれません!

廃棄処分になった20トン分の「ゴミ」

私のものも大量にありました。母は何一つ捨てていなくて、小学生のときの縦笛、ハーモニカに彫刻刀から、小学4年のときのレインコート、中学3年で応募した書道コンクールの作品と参加賞まで、もう何から何まで全部取っておいたのです(笑)。

懐かしくて、ダンボールを開けるたびに、一つひとつ物を出しては見入ってしまい、ちっとも片づけが進みません。つい思い出に浸ってしまうのです。家財や遺品の整理にはマネージャーさんをはじめ所属事務所のスタッフさんにも手伝いに来てもらったのですが、しまいには、「明子さん、時間がかかっちゃうから、じっくり見ないで!」とお叱りを受ける始末(苦笑)。

私が東京から送り続けた舞台衣裳やトロフィーなどのほかに、両親は私が出たテレビ番組を欠かさずビデオに録画していたし、新聞や雑誌などはファイルにして保存していました。番組ポスターや各種の賞状なども全部保存してありました。

これらは資料価値もあるのですべて東京の自宅(両親と暮らした一戸建てです)へ持って帰りました。ビデオは再生用のデッキがなくて見られないので、専門業者さんに頼んで全部DVDにダビングしました。ビデオの本数が多く約40万円もかかりましたが、私の仕事の記録ですし、それを見て家族も喜んでくれたので、やってよかったと思います。

高松で処分しないものは東京へ持って帰ったのですが、そのために東京と高松を飛行機で3往復ほど、車でも片道10時間かけて7往復ほどしました。これだけで飛行機1往復約6万円×3回=約18万円、車の高速代とガソリン代で1往復約3万5000円×7回=約24万5000円です。もうへとへとでした。

廃棄した家財や遺品は2トントラック10回分。1回10万円したので計100万円です。

「ゴミ」を捨てるのにこれだけかかりました。引き渡し期限の間近には合計で10日ほど地元の健康ランドに泊まり込んで、集中的に整理に当たりました。実家は荷物だらけで寝られる場所もなかったのです。10日分の宿泊費は約10万円。最後までお金が出るばかりでした。

こうして私は25年にわたって約1800万円もかけた実家をやっと手放すことができたわけです。もっと早く売却していればと思わないでもありませんが、父の「頼む」という言葉を自分の中で消化し、けじめをつけるのに必要な時間であり、お金だったんだろうと、いまでは思っています。









何から何まで取っておいてくれた両親の愛を感じつつ、「え、そんなものまで!」と笑いも……

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親に「実家を頼む」と言われてしまったらつい、頑張ろうと考えてしまうのは当然のことかもしれません。ですが、自分たちの生活やライフスタイルを犠牲にするのにも限界が…。それも自分だけではなく「相続」することにより、子どもや孫にも影響する問題でもあります。
「実家の行方」について親が元気なうちに話し合ったり、考えておく必要がありそうです。



松本明子(まつもと・あきこ)/1966年生まれ。香川県出身。82年に日本テレビ「スター誕生!」チャンピオン大会に合格したことがきっかけで、翌年、歌手デビュー。その後、元祖バラドルとして人気バラエティー番組「DAISUKI!」「進め! 電波少年」(日本テレビ系)などに出演し、明るく親しみやすいキャラクターで人気を確立する。現在は、バラエティー番組の他、ドラマ、映画、舞台と幅広く活動中。こうした活躍の裏で、25年にわたり累計約1800万円を費やして高松市にある空き家となった実家を維持する日々を送っていたが、放置された空き家の危険性や物だらけの実家の問題などを取り上げたテレビ番組に出演する中で、実家じまいを決意。2018年に実家の売却と2トントラックで10回分の遺品整理を行なった。近年は、自身のしくじり経験をもとに、実家じまいの重要性をメディアで発信している。近著に『実家じまい終わらせました! ――大赤字を出した私が専門家とたどり着いた家とお墓のしまい方』がある。

※本記事は松本明子著の書籍『実家じまい終わらせました! ――大赤字を出した私が専門家とたどり着いた家とお墓のしまい方』から一部抜粋・編集しました

作=松本明子

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