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Vol.59 16年目に向かうゴスペラーズのなかで僕が考えたこと その2

  • 2010年10月21日

 

 みなさん、こんにちは。ゴスペラーズの北山陽一です。

 前回に続いて、16年目に向かうゴスペラーズの活動を考えるなかで僕が考え、メンバーと話し合ったことからご紹介していきましょう。

 前回、メンバーでじっくり話し合ったミーティングは僕の人生とゴスペラーズとの関わりの捉え直しの機会だったと書きましたが、これまでの関わりをこの連載で何度かお話している言い方で説明すれば、僕はこれまでゴスペラーズを“環境”として受け入れていたということだと思います。でも、これからはそれだけじゃなくて、グループの意思決定に対して僕も今まで以上に責任を持ちたいなというのがその捉え直しということであって、またゴスペラーズのメンバーに対しても“これまでやってきたやり方だからOK”というのではなく、いままでやってきたことについて考え直してみるということをやってみるのはどうかという提案を投げかけました。話し合った結果として仮にやり方を変えた場合に、活動がスロウ・ダウンすることもあるだろうし、間違った選択をしてしまうことだってあるだろうし、これまでの経験からすれば違和感を感じることもあるだろうけれど、それでもみんなで考えてみよう、と。素人っぽい意見を言うことを恐れずにみんなでいろんなことを言い合って、“みんなで決める”ということを一度やったほうがいいんじゃないかなということですね。

舵取り  前回も書いた通り、僕の大前提はゴスペラーズをできるだけ長く続けたいということです。で、組織を長く続けていくという観点から考えれば、それはゴスペラーズだろうがエコ活動の団体だろうが、あるいは企業だろうがクラブ活動だろうが、その組織を構成するみんなが自分の役割を捉え直し続けたうえで、みんなが舵取りに参加しているという状態になるのが理想だと思っています。だからこそ、誰が考えたアイデアなのかとか、誰がミーティングにおいて最も重要な発現をしたかというようなことはあまり重要ではないと僕は思います。それに、“これは僕のアイデアだから、僕のやり方でやります!”というのは実際のところ、けっこう失敗が多いんじゃないでしょうか。いちばんシャープなアイデアを出した人がそのアイデアを具現化するのに最も適しているケースというのはむしろ少ないんじゃないかと僕は思うんですが、いかがでしょう。自分がやりたいようにやるためにシャープな意見を出すというタイプの人がいるし、僕自身もそういうふうに振る舞ってしまっている場合があると思いますが、そうじゃないようになりたいなと思うんですよね。

 また一般的に、“このアイデアはこの人のものだから、この人の思い通りにやらせてあげよう”というふうに考える傾向があるように思いますが、でも究極的には本当に誰のアイデアかということはどうでもいいと思うんです。みんなが幸せになるものを選んでいけばいいんだから。実際、人類はそうやって生き残ってきたんですよ。例えば、世界でいちばん最初に電気を転送しようとしたのはエジソンですが、彼が主張した直流送電システムは大規模な普及には至りませんでした。簡単に言うと、直流よりも交流のほうが伝送効率がいい、つまり人々が得る利益が大きいから、社会はそっちを選んだわけです。

 もちろん、突出したリーダーが舵取りを一手に引き受けるという形のほうがいい場合があるのはわかります。例えば物事を進めるスピードの速さが求められる局面では誰か優れた個人のパワーで全体をグイグイ引っぱっていくという形のほうがいいかもしれません。それでもパワーでスピードを上げるというやり方が長期的に見れば全体に悪い影響をおよぼすということは誰でも経験的にわかりますよね。眠いからカフェインを飲むとか、痛いから痛み止めを服用するということが必要な場合はもちろんあるでしょうが、人生というタイムスケールで考えればそういうことの積み重ねが身体を害してしまうことになるというのがいい例でしょう。

 というようなことを考えて、僕自身は“みんなで考えて、みんなで決める”という方向でメンバーとしての立ち位置を変えていきつつあるところです。ゴスペラーズ自体がどういうになっていくのかは、まずは11月から始まる全国ツアーで確認してみてください!

 

 と結んでしまうと、2回にわたって書いたことが結局ゴスペラーズの宣伝になってしまいますが(笑)、僕が喜びとともにゴスペラーズを続けられるようにと一生懸命考えていることが、例えばエコ組織のなかで楽しみながら活動を続けたいと試行錯誤中の人にとって何かのヒントになればうれしいです。

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