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Vol.30 なぜ北山はペットボトルを燃やすゴミに出すのか?

  • 2009年8月27日

 みなさん、こんにちは。ゴスペラーズの北山陽一です。
 今回は「なぜ北山はペットボトルを燃やすゴミに出すのか?」ということの理由を、先日の見学で確認したことも交えながら説明したいと思いますが、その前にひとつだけ了解しておいてほしいことがあります。それは、ペットボトルのリサイクル事業のベースになっている、“ゴミの有効利用”とか“もったいないから捨てないで使おう”といった発想自体は僕もすごくいいと思っているということです。僕が問題視しているのは、それにどれだけコストがかかって、またそれによって本来の目的がうっちゃられていないか?ということです。
 そもそも、一般的な話として、なぜリサイクルするか?というと、原料が全くなくなった、あるいはものすごく高価になったという場合に、製品を原料として繰り返し使えるということに意味があるわけですが、ペットボトルの場合は本当にそういう成果を期待できるんでしょうか?

 例えば、テレビのニュース番組でもこんなレポートが紹介されていました。
(http://www1.ntv.co.jp/zero/weekly-blog/2007/11/06/)
(http://www1.ntv.co.jp/zero/weekly-blog/2007/11/13/)

 使い終わったペットボトルを一生懸命洗って分別に出して、それが回収されていきました、と。その回収にも、分別にも税金が使われて。それが、原価の数%みたいなすごい安価で買われていって、さらに原料の形にされていっそう安い値段で外国に売られているというのは、やっぱりおかしいと思いませんか? それだったら、可燃ゴミとして出して燃やして発電のエネルギーにしたほうがよほど自分たちのためになるだろうと思うんです。
 発電に使われれば、地元自治体の収入に結びつくわけだから、自分が納めた税金がある意味で回収されることにもなりますから。ところが、税金を使ってリサイクルしたものを「日本のペットフレークが安いから、買おう」ということで外国に買われてしまえば、それは形としては税金で補助することによってディスカウントしてるということになるわけで、そんなバカな話はないですよね。
 “世界規模でみればリサイクルになってるんだからいいじゃないか”という人もいるかもしれないけれど、リサイクル法で納税者に分別まで要求しているのに、そのリサイクルというものの実態について説明が十分になされていないのはいびつとしか言いようがないと思います。さらに、今後の改善が見込めないなか、税金でサポートしないと事業として採算がとれないということはエネルギー的にもアンバランスであることが実証されたのと同じなんじゃないでしょうか。

 アルミ缶にしてもスチール缶にしても、材料を精製するためのエネルギーコストについて「リサイクルすると、もともとの原料から作るのに比べてこれだけお得です」という数値がそれぞれの業者から出ています。ざっくりいくと、アルミ缶は97%、スチール缶は75%。ボーキサイトや鉄鉱石を輸入した場合の運搬費を含む原料費と、回収した缶の価格の比較も必要だとは思いますが、資源小国としては十分すぎるほど魅力ある数値だと思います。
ペットボトルと缶  紙パックについては、原料が木であることと、同時に使われているプラスティックやラミネート加工の問題でちょっと話が複雑になってきます。それでも、木材からパルプを生成するよりも紙パックをパルプに戻すほうが「トイレットペーパーをつくるには」効率的だといえそうです。ただ、紙パックから紙パックというのはどうも無理のようですね。

 さて、ペットボトルはどうでしょう?
 原料の高騰や枯渇の対抗手段として他のケースと圧倒的に違うのは、「原料と生成に使われるエネルギーが大まかに言って同じものだ」ということです。どうしても鉄が必要なのに鉄鉱石が手に入らない場合、どんなにコストがかかるとしてもリサイクルには大きな意義がでてきます。残り少ない資源を大切に使おう、というわけです。しかし、どうしてもペットボトルが必要なのに石油が手に入らない場合には、リサイクルしようとすることは果たして意味があるのでしょうか?
 ちょっと極端な話になってしまいましたが、現状が特に困っていない状態ではあっても、リサイクルに意義を見出すためには前述の缶のような効率に関する具体的な数値がほしいところです。

 ありました。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~GOMIKAN/sun3/sun45c.htm
 この記事によれば、80%のエネルギーを節約できるそうです。これは魅力です。何で今までこれに気づけなかったのか? なぜこの話が世の中に浸透していないのか?
 不思議だなーと思っていたら、こんな報道もありました。

(公開終了:編集部注)

 むう。どうしてだ。さらに調べていくとこんな記事が。
http://www.teijin.co.jp/news/2008/jbd081001_2.html
 なるほど。
 法律まで定めて税金を投入しリサイクルの環を構築したはずが、大事なところでトンビに油揚げをさらわれて頓挫したってことですな。なぜ、こういうことになるんでしょう? そんなにリサイクルのエネルギー効率がいいのに、どうして競争力がなかったんでしょうか?
 全然わからなくなりますね。こういう施設によって、ペットボトルがペットボトルやその他の製品に「効率的に(ここ重要)」生まれ変わることを信じてリサイクルが始まったんじゃないでしょうか?
 見学の話から少しはずれてしまいましたが、僕はこんなことを考えていたわけです。そして、それは「今の」僕の考えであるわけですが、それは間違った情報から間違った偏見を持ってしまっているのかもしれない。だから、より正確な方向へ持っていくためには折に触れて検証していくことが必要で、そしてまさに今回の見学で、ひょっとしたらなにかすごい変化のきっかけがあるかも、という期待を抱いていました。
 でも、僕の考えを覆すようなものに出会うことはできませんでした。
 「ペットボトル・リサイクルの動機として訴えるべきは、もったいないという日本人古来の気持ちだ」という説明でしたから、それ以上の理論武装はないんだなと思ったんです。ペットボトルがリサイクルされないとつぶれてしまうような工場の人が、そういうふうに理論的な部分でまったく丸腰であるということは、ペットボトル・リサイクルという取り組み自体がまったく丸腰なのかな、と。引用した記事の工場のようなものがあったにもかかわらず数字としての根拠を出さないというのはつまり「意図的な丸腰」ということなんだと感じました。結果的にうそになってしまうような悪意あるデータ抽出よりはまし、とすべきなのでしょうか。
 「リサイクル」として宣伝しているにもかかわらず、実態としては正式に「よくわからない」とお茶を濁される。ペットボトルだけが悪いとは思っていません。いい面と悪い面があるのは世の常で、ペットボトルも例外ではないと思います。

 でも。
 ペットボトルが「普通」になる前から生きてきた人間として、ペットボトルの利便性と引き換えに失ったものに思いを馳せると、ちょっと切ない気持ちになります。
 僕が「できるだけペットボトルを使わない」「使えるだけ使ったペットボトルは燃やすゴミとして捨てる」という結論に達した経緯と理由、理解していただけたでしょうか?
 今後「もうペットボトルは使わないことにしましょう」というのが一番すっきりするのかもしれません。しかし、コンビニに行けば飲み物はほとんどペットボトルで売られていて、それを買って持ち歩くというライフ・スタイルが定着してしまっているというのが現実です。そういう世の中で、ペットボトルを使うなと主張するということはみんなに我慢を強いることになるわけで、それに同調してくれる人は少ないでしょう。こういうようなケースでは、「何かを我慢すること無しに実現する方法を考えつかないと実現しない」というのが僕の考え方ですから、ペットボトルを使わないでおこうという提案をどういう形で進めていくのか?ということが課題になっていくと思っています。
 同時に、検証も続けていきたいと思っています。正直、思っていたよりも奥が深くて、きっとほかのリサイクルや環境問題といわれていることにも同じような深みがあるのだと思うとわくわくします。今後もできる限り楽しく、面白い視点をお届けできるようにがんばりますのでどうぞよろしくお願いします。

 

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