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vol.14 「環境」について考える、ということのぼんやり学会的意味

  • 2009年1月22日

 みなさん、こんにちは。ゴスペラーズの北山陽一です。

 去年の秋の金融危機以来、いわゆるエコ・ブームも一段落してきた感じもありますが、そのなかでも相変わらずやり玉にあがっているのはなんと言ってもCO2です。地球温暖化の張本人ということですっかり悪者になってしまっていますが、じつは僕はCO2ってそんなに悪者なのかい?”と思ってるんです。

 たとえば、いまは地球規模で言えば1秒間に3人か4人ずつくらい人口が増えているわけで、つまり人口が爆発的に増えているんだから、その人たちがそれぞれに生命活動をすれば、環境も激変しないわけがないんですから。あるいは、CO2が本当に悪者だとして、逆の発想に立ってみるのはどうなんでしょう? つまり、CO2はCがないとできないわけで、ということはCを使い切ってしまえばCO2はできないはずだから、使いたいだけ使ってCをなくしてしまえばいいんじゃないかっていう。それから、去年の暮れに科学技術ジャーナリストの赤池学さんと対談する機会があったんですが、赤池さんは「CO2は植物を育てるという意味では原料なんだから、森を守ろうと思えばCO2はあったほうがいいんだ」という話をされていました。要は、CO2削減のいろいろな取り組みが「もったいない」とか「資源を有効利用する」というところにちゃんと向かっていればいいんですが、単純に「CO2を出さないために」とか「CO2オフセット云々」とか、そういう曖昧な説明で進められていることについてはビジネスに上手く操られている部分が多いという一面をちゃんと理解しておくべきだと思うんです。

 もちろん、世の中には「もったいない」ことが確かにたくさんあって、そういうことについては節電とか節水とか、いわゆる節約をする必要があるでしょう。そこで“我慢”とのトレードオフという問題が出てきます。で、“我慢”は嫌だから節約しないという人もいるわけですが、僕はそういう対応はある意味では自然なことだと思うんです。人間はある程度の年齢になったらそれぞれの価値観ができあがっているはずで、その価値観をねじ曲げてまで“〜を我慢しろ”というのはおかしいんじゃないかなっていう。ただ、それと同時に、“我慢”ではなくて価値観の再発見だというふうに捉えてみるといいんじゃないかというふうにも思うんです。

 たとえば、僕はいま部屋の灯りを全開というか最高度に明るくした状態でこの原稿を書いているわけですが、この作業のためにこれだけの光の量が必要か?と考えてみる。キャンドルをひとつ灯していれば、作業は問題なくできるじゃないか? 逆にそのほうが雰囲気が出るかも…。そういうふうに発想することは、「環境」に対する能動的なはたらきかけだと思うんです。“与えられた環境だから、それはそのままで”というふうに進めればうまくいくケースがほとんどでしょうが、ちょっと立ち止まって考えることがあってもいいんじゃないでしょうか。ひとつの物事を進める方法は何通りもあるし、何が正解かという話でもなくて、関わっていることの一つ一つに気を配っていけば、発見がたくさんあるはずです。

 社会が進歩してきたなかで、人間はブラックボックスを簡単に受け入れるようになってしまっていますよね。電源を押せばテレビが映る。そこで、誰も“なぜ?”とは考えない。“そんなヒマはないんだよ”という人も多いでしょうが、そういうふうに思ってしまうのも結局いろいろなことの仕組みが高度になり過ぎたために“なぜ?”と考えない、つまり思考停止も止むを得ずという状況になってしってしまっているということだと思います。そして、思考停止こそ推奨されていたりするから、情報は与えられるもの、環境も与えられるもの、であって、その与えられた条件のなかから選ぶことが選択なんだと思い込まされていることが非常に多いですよね。

 もちろん、そのブラックボックスの中は本当にむずかしくてわけがわからない内容である場合も多いと思いますが、それでもわからないなりに、というかぼんやりなりに中を覗いてみるべきだと思うんです。たとえば魚を焼くのに、炭火で焼くのと、ラップでくるんで電子レンジにかけるのと、ガスオーブンで火を通すのと、どれを選ぶかと聞かれればたいていの人は炭火を選ぶでしょう。で、その理由を聞くと、だいたい「炭火だから」みたいな答えが多いと思うんですが、さらに「炭火だとどうしておいしいと思うのか?」と考えていった場合に、料理本を開くと遠赤外線がどうのとかけっこうちゃんと解説してあったりするんですよね。その料理本を開くことも、電子レンジというブラックボックスの中を覗いてることになるんです。そういうふうに、“なぜ?”と思うことがあれば、なんでも調べるなり、誰かに聞いてみるなりするっていうことを僕はやっているし、そうすることによってすごく大事なことが見えてきます。

 ここで最初の話に戻るんですが、「CO2を減らしましょう」と世の中でしつこく言われているけれど、その根本の理由を自分なりに理解するためのきっかけとしてエコ・ブームに乗り、情報をいろいろ集めてみる、みたいな感覚はすごくいいと思うんです。もちろん、ネットでいろいろ検索してみるのもいいですよね。「教えてgoo」を使うのも、すごくいい(笑)。

 「環境」についての本当の選択とは環境の状態すらも選ぶということだと思うんです。“これがわたしの環境だ”と思っているものに疑問を持つ習慣ができるようになれば、ぼんやり学会的にはガッツポーズですね。本当に環境として動かないものなのか?じつは動くのか?その環境は植え付けられたものなのか?自分が作り上げたものか?その欲求は自分から出てきたものか?何かの影響か?そういうふうに、当たり前だと思っていることに疑問が持てたら、そこからまた新しい暮らしの形が見えてくると思います。


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