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Vol.13 「RIVER」

  • 2012年7月5日

 ライブツアー先の大阪で「RIVER」という映画を見ました。この映画は、2008年6月8日に起きた秋葉原無差別殺傷事件を取り上げています。そしてその4年後、2012年6月10日に大阪・心斎橋で通り魔事件が起きました。ついこの前のことです。東京でも公開されていたこの映画を、僕は大阪であえて見ようと思いました。

 最近ではオウム真理教の地下鉄サリン事件の容疑者が立て続けに掴まり、大きなニュースになりました。この日本で無差別殺人はなくなるどころか、よく行き来する都会の真ん中で今も起きていることに、あらためて気付かされます。また心斎橋通り魔事件の被害者のひとりは、元ミュージシャンで当時も音楽関係のスタッフとして活躍しており、知人だった人も僕のまわりにいます。業種も年齢も近いのでどこか他人事に感じられず、この事件を知ったときは非常に胸が苦しくなりました。この場を借りて、ご冥福をお祈りいたします。

 人の心はどうしてここまで荒んでしまったのでしょうか。人が日々吸い込まれては吐き出される都会という「環境」は、新しい建物や名所が増えればウットリするような玩具や魔法の如く映りますが、僕らの手に負えない怪物のような形相をいつも隠し持ってます。そしてあの街を、この街を、何事もなかったかのようにたくさんの人が歩いて行きます。

 映画「RIVER」のなかでは、秋葉原の事件で恋人を奪われた蓮佛美沙子さん演じる主人公の女性が、実際の秋葉原をあてもなく、ただひたすらに歩き続けます。やはり何事もなかったかのように、人でごった返す街。そこで色々な境遇の人に出会い、それぞれの初めての会話から、街の横顔が少しずつ映し出されて行きます。風景や人物をじっくり映すだけの実験的な長回しシーンもたくさんあり、多くを語らずとも、声なき声を感じ取ってほしいという作り手の想いが、強く感じられました。

「RIVER」 

 実は「RIVER」は、僕の妻・Quinka,with a Yawnが音楽を担当し、本人役で出演もしています。前回の連載のショートフィルム「京太の放課後」での、僕の役回りと偶然にも似ています。劇中で彼女が「はるにれ」という曲を全編歌うところがあるのですが、その曲を制作していた当時いろいろとアドバイスをした経験があるので、僕としても思い入れのある曲です。そこでこんな詩が出てきます。

泥だらけの私 流さないで
時の雨よ 小さな愛を

 追い込まれて極限まで人間が弱くなったとき、本来の攻撃の対象を見失うことがあると聞きます。ときにはそれが拡散することも。もしかしたら僕らの街はすでに街ではなく、ひとつの川かもしれません。泥だらけの僕や私を膝まで浸からせる、目には見えない川。その場所で少しでも強くなれる方法を、明日も吸い込まれるであろう都会から逃げずに、考えたいと思います。

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