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このコンテンツは、地球・人間環境フォーラム発行の「グローバルネット」と提携して情報をお送りしています。

第29回 まちづくりと大型店立地問題

  • 2006年6月15日

このコンテンツは、「グローバルネット」から転載して情報をお送りしています。

福島大学 鈴木浩

無断転載禁じます

 10月13日、福島県議会は「福島県商業まちづくりの推進に関する条例」を可決した。地方都市における中心市街地空洞化と大型店の郊外出店との関連を見据えた上での立地に関わるルールを定め、大型店の地域社会との共存の方向を指し示していこうとしたものである。予想されていたことではあるが、大型店業界からは現在の「市場原理」や「競争原理」、そのための規制緩和に逆行するものであるという批判が表明され、「憲法違反」という表現まで飛び出した。中心市街地の空洞化に直面している市町村では、おおむね歓迎の反応のようだが、大型店の立地を期待する近郊農村などからは疑問が示されている。
 大型店立地問題は、地方都市や地域社会にどのような影響を与えるのか、今後のまちづくりに向けてどのような対応が求められているか、少し広範な視点から検討してみたい。

地方都市における中心市街地の空洞化

 全国各地の地方都市は、長い間、中心市街地空洞化に直面し、対応に苦慮している。その要因として考えられるのは、(1)車社会の進行(2)市街地の拡大と住宅や公共施設などの郊外化(3)バイパスや幹線道路沿いのロードサイドショップの乱立(4)中心市街地居住人口の減少と高齢化(5)複数の市街地を商圏とした広域型大規模集客施設の農村部への立地——などである。
 ショッピングセンターなどの大規模集客施設の立地は、中心市街地から市街地縁辺部へ、そして現在は、一つの市街地だけではなく、いくつかの市街地を商圏に巻き込むような農村部の幹線道路沿いへの立地が目立ち始めている。中心市街地に立地していたときには、地元商店街も共存の方法を探していたし、一定の相乗効果もなかったわけではない。しかし、複数の市街地を商圏に巻き込んだ広域型のショッピングセンターの立地は、既存の中心市街地商店街に大きな影を落としている。シャッター街などの出現である。
 地方都市における中心市街地は、周辺の農村社会を含む広域的な生活圏の中心であった。地域社会の産業経済の集積地というだけでなく、教育文化、医療福祉、行政サービスの拠点でもあった。そのさまざまな蓄積が、地域社会の個性や人びとの誇りをもたらす源泉でもあった。だから、地方都市や地域社会は、この中心市街地の再活性化に執着するのである。
 経済や行財政の規模が、高度経済成長時代のような拡大基調は望むべくもなく、それまで長い間かけてきたインフラなどの社会ストックの蓄積も、どう活かすかという時代になってきた。地域再生や中心市街地再活性化への険しい取り組みを強いられている地域社会や自治体にとって、大型店の郊外部への出店は、地域の実情や取り組みとはかけ離れたものであるが、そのことについて地元の行政、商店街、住民そして大型店、それぞれの認識が歩み寄れないできてしまった。
 市街化区域では、市街地におけるインフラ整備などの財源を確保するために、不動産所有者に固定資産税とともに都市計画税が課せられる。農村部に立地した大規模ショッピングセンターには、これが課せられない。そして農村部に立地した都市型の施設が既成市街地の存続を危うくしている。品揃えや利便性など、消費者の多様なニーズに応えているではないかと大型店は主張する。とは言え、地域社会や中心市街地の再生に、どのように寄与しようとしているのであろうか。

「市場原理」「競争原理」が地域社会に及ぼす影響

 これらの議論は、「市場原理」「競争原理」そしてそれらのための「規制緩和」が、地方都市の中心市街地や地域社会にどのような影響を及ぼすか、という問題でもある。簡単に言えば、地方都市や地域社会の存立基盤やこれまでの仕組みとは、関わりのないシステムが押し寄せてきていることになる。しかも、地方都市や地域社会における大規模ショッピングセンターなどは、そのほとんどが東京を中心にした大都市に本社をもつ大企業の経営によるものである。地域の人びとの投資や消費によるマネーフローは、ほとんどが本社のある大都市に還流してしまう仕組みである。大規模ショッピングセンターに限らない。電気器具や衣料の量販店、消費者金融、コンビニ、そして住宅やマンションのディベロッパーなども同じである。「市場原理」「競争原理」とはそういう仕組みである。
 すでに述べたように、大規模ショッピングセンターは、複数の市街地からアクセスしやすい幹線道路がある農村部に立地するようになってきた。これは農村や農業の事情や都市計画そして車社会における幹線道路整備などの動向を巧みにとらえた立地戦略ということもできる。つまり、農業に見通しを失いつつある農村や町村、安い地代で借用しやすい農地と農家、都市計画制度の制約を受けず、安い固定資産税と都市計画税のかからない立地、施設建設や管理そしてパートタイムなどの雇用でも受け入れてくれる地域社会、などなどである。

農漁村との有機的連携をもつ循環型地域経済の構築を

 地方都市や地域社会は今後さらなる少子高齢社会を迎えていく。一方で、これまでの国土計画、少なくとも第四次全国総合開発計画(1987年)までの国土の格差を是正する施策は、これからは期待できそうにない。「地方でできることは地方で」というスローガンは、高齢化が進み産業や中心市街地の空洞化が進む地方都市や農村社会には、余りにも空々しい。まして「民間でできることは民間で」と言った場合には、その民間が地方ではなかなか厳しいし、多くの場合は、東京マネーで動いているから、地域における循環型経済を促していくことにはなっていない。そういう状況でも、地域社会の再生を目指すまちづくりに取り組んでいかなければならない。
 そんな中で、冒頭で紹介した福島県の取り組みのほかにも、全国各地でいくつかの考え方や取り組み方が示されつつある。地域社会の側から大型店の迎え入れや共存を目指す取り組みだ。
 コンパクトシティあるいはコンパクトなまちづくりの方向が多くの自治体で模索されている。地方都市におけるコンパクトなまちづくりは、当然、周辺の農漁村との有機的な連携が前提である。でなければ、中心市街地の再生は農漁村の共感は得られない。地方都市に個性や特質を見出すためには、周辺の農漁村や自然との関わりを重視していくことが重要であるし、有効であろう。そのような農漁村との有機的な連携を含めて、循環型地域経済の構築に関する議論が急速に展開されてきている。EU(欧州連合)の各国が示しているような「生活の質」を基本的な視角にした地域社会の再生を展望すれば、グローバルマネーや東京マネーが地方都市や地域社会を席巻するだけではない、循環型地域経済の構築は、きわめて重要な方向を指し示していると言えよう。
 「まちづくり三法」の見直しが、日程に上っている。私は、都市計画制度と農村計画制度の整合性を実現すべきと考えている。少なくとも、開発や土地利用における社会的なルールには、軽重や精粗があってはならない。計画や開発におけるコントロールのギャップが、開発者の動機づけになっていたのでは、フェアな地域社会が生まれにくいだろう。
 そして、今後何よりも自治体と地域社会における「政策形成能力」と「合意形成能力」が問われていくであろう。自治体が旧来の行政内部での決定プロセスにこだわっていては、今日の困難な課題には立ち向かえない。産業界、NPOや住民、研究者や専門家などとのフラットな「協働」ができるかどうかが試されている。

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