漫画家・荒木飛呂彦の人気シリーズ「岸辺露伴は動かない」より、ファンからの人気も高い“原点”の「懺悔室」が待望の映画化。この度も主演を務めた高橋一生さんは、2020年のドラマ化、2023年の映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』を経て、本作で露伴を演じて6年の月日が経った。『岸辺露伴は動かない 懺悔室』映画化とシリーズへの思い、現場での手応え、邦画初のイタリア・ヴェネツィアでのオールロケについて。そして今回のテーマである“幸せと絶望”、“愛と覚悟”に対する考え方まで、高橋さんに話を聞いた。
――今回は岸辺露伴シリーズの原点『懺悔室』の映画化です。原作ファンからも人気の高い、原点と呼ばれるエピソードをついに映画化すると決まった時の気持ちはいかがでしたか。
「ついに」という感じはありましたね。いつだろうと思っていたけれど、満を持して、やっぱりこのエピソードが映画になるんだな、という感覚でした。
――高橋さんは『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズの愛読者で、岸辺露伴が一番好きなキャラクターであり、「もはや露伴と自分は一心同体」とお聞きしています。ドラマから6年、長く演じているなか、最初から変わらない気持ち、変わってきた感覚など、手応えに変化はありますか?
僕はもともと、お芝居で「こう演じよう」といったプランニングはあまりしないタイプなんです。ただ露伴を長く演じる中で、自然と「露伴ならこうするだろうな」とできるようになってきて。それが理屈抜きで、感覚でわかるようになってきています。これは俳優としては危険なことでもあるんですけれど(笑)、それを面白がっている自分もいますね。
――俳優として危険、というのはどういう意味でしょうか?
露伴という役が染み込んで、他の役ができなくなる、芝居がしづらくなることもあるだろうか、と自分で考えるくらい、という意味です。
――高橋さんの代表作のひとつになったということ。
そうなったんだなと、そういったご質問でわかります。もともとは、「僕らでひっそり楽しくやろうぜ」というのがこのシリーズの始まりなので、まさかそんなふうに言っていただけるようになるとは、いまだに不思議な気持ちです。
――軽やかなお話しぶりで、とても楽しんで演じていらっしゃるのが伝わってきます。
すごく楽しんでいます。スタッフのみなさんも楽しんでいますし、作品に注ぐ愛情がベースにあることはとても大事だなと感じます。どのような作品においても、このくらいの思い入れを持って作るのが、本来の作品づくりの基本なんじゃないかと思います。
幸せの最中に絶望がくる、ままあることだなと。
――幸せと絶望はだいたいセットだと思います。
そうですよね。だから、その次に何が来るかを予測しながら歩いている、という感覚はあります。でも、どちらにしても結果的に自分にとって悪いことにはならない気がしています。むしろ、あの絶望がなかったら今ここにいない、という出来事もたくさんある。陰陽図みたいなものですね、本当に。
――渡辺一貴監督は、この物語は「呪い」の物語でもあるが、「愛と覚悟」の物語でもある、と話しています。このテーマについて、高橋さんはどう思われますか。
愛というテーマも、幸運と同じくらい曖昧だなと感じます。いろんな種類の愛があるし、人それぞれの捉え方もある。自己愛もあれば、他者への愛もあるし、もっと大きな愛もある。今回の作品においては、一貴さんが話しているように、幸せを受け入れる覚悟やその根本にある愛について寓話性を通して、それぞれに感じてもらえたらと思います。
――いろいろな感じ方が自由にあるのですね。
観てくださる方には、まずは楽しんでもらうことが一番大事だと思っています。作品そのものに強度があるか、それが説明不要の作品であるということの根本だと思うんです。まず観ていただけたら、面白いか面白くないかのリアクションが自然と生まれる。その感覚を信じたいです。
――同じ作品でも、観る年齢や時期によって印象が変わることもありますよね。
作品に出会うタイミングは観る人の状況によって全然違うものになりますから。あとはその作品が世に出る時期の機運というのもありますし、そればかりは作り手がどうこうできるものではない。俳優としては、いい作品に参加させていただく機会を作っていただき、その作品にどのように臨んでいくか、そこに集中すること。いかに真摯に取り組むかを大切にしています。
――『懺悔室』はジャンルがひとつじゃなく、人間ドラマや怪奇、家族や恋愛などさまざまなテーマが含まれている面白さがありますよね。
そうですね。まるでおもちゃ箱のようなところがあります。いろんなものが詰まっていて、それが綺麗にパッケージされているような。そういう感覚を楽しめる映画になっていると思います。
――今回の撮影は、邦画初のイタリア・ヴェネツィアにてオールロケであり、サン・マルコ広場をはじめヴェネツィアを代表する名所での大規模ロケを実施したとのこと。高橋さんが特に印象的だった場所や気に入った空間について教えてください。
サン ロッコ教会の撮影ですね。僕らが撮影するために200年ぶりに開けたという扉があって。そこが教会と外の敷地の狭間みたいなところで、僕は撮影の合間そこで休憩していました。その空間が本当に独特でした。
――とてもくつろいでいられた?
イタリアのスタッフの方々はジョジョが好きで集まってくれた人もいらっしゃったので大きな熱情があって、それもとてもよかったです。彼らが機材を運びながら「コーヒー飲む?」とか何かと声をかけてきて、何気ない会話から、どんどん仲良くなっていって。200年ぶりに開けたドアの横で、そんなやりとりをしているのが楽しくて、面白いなと思ってました。
――そこが、劇中の“懺悔室”のある教会なのですね。
そうです。サン ロッコ教会にあります。また、終盤のシーンで露伴が立っている場所の左右の壁にはペストの時代の絵が描かれていて、一方がペストに苦しんでいる最中で、もう一方が克服後なんです。その真ん中に露伴が立っている構図が、非常に象徴的になっています。だからあのシーンではあまり動きを加えずに芝居をしています。
――シーン全体が一枚の絵になっている感覚ですね。露伴シリーズではこれまでも印象的なロケ地が多かったなか、今回のヴェネツィアもとても美しいですね。
これまでのシリーズでも、ルーヴル美術館はもちろん、国内外のいろいろな場所で撮影してきましたので、その延長線上という気がしています。ヴェネチアの空気感は映像にはっきり映っていると思うので、観客の皆さんにはそのあたりも楽しんでもらえたら嬉しいです。
――映画では原作の“その先”が描かれています。原作にないストーリーを演じることについてはいかがでしたか?
もともと荒木先生が書かれているものからその先に行った内容であったとしても、これまでに露伴を何度も演じてきた経験から、露伴ならこうするだろうと調律する感覚があります。また完成作を観た集英社の編集担当の方々が「まったく違和感がなかった」と言ってくれた時は、やっぱり嬉しかったです。
――最大のお墨付きですね。
それはとても大きかったです。僕たちも違和感はまったくなかったですし、(小林)靖子さんの脚本力と、これまで積み重ねてきたチームとしての自信が背景にあったので、何の不安もなかったです。
――完成した映画を初めて観た時、高橋さんご自身はどう感じられましたか?
「これは面白くなったな」と思いました。初号試写を観終わった時の手応えがはっきりあって、「これでダメなら諦めるしかない」というくらいの満足感がありました。それは非常に貴重なことで、何かに迎合せず、やりたいことをやりきれた達成感がありました。
――きっぱりと確かに確信されたのですね。泉京香とのバディ関係も、今やシリーズの定番になっていますね。
そうなんです。ただ今回、京香は序盤あまり出てきません。原作のストーリーの部分には登場しないで、そこから別のストーリーに切り替わると登場する。そうした部分を靖子さんがうまく活かしてくれました。出てきた時の印象が強くなるように配置されていて、構成としてとても秀逸だなと感じました。
――井浦 新さんをはじめ新しいキャストの方々と、役作りについて話をしましたか。
いえ、話さないんです、基本的に。みんな登場人物についての話はあまりしません。俳優同士、芝居で対話する、という思いで臨んでいます。
――渡辺監督とのやりとりも最小限だったのでしょうか。
そうです。一貴さんとはもう1作目からお芝居について具体的な話はほとんどしていません。その代わり、芝居で提示していくんです。まず自分ができる限りのことを芝居で表現して、それを見てもらう。それが僕にとっての監督との対話なんです。
――露伴を演じて6年になり、いま実感されていることとは。
2020年にこのシリーズが始まってから、ずっと幸せが続いている感じがしています。
――『懺悔室』のコピーは、「最高の幸せは“最大の絶望”を連れてくる」ですね。
そう、ある意味で“絶望的”ですよね(笑)。この露伴を超える作品があるのかとか、今後ずっとそれを聞かれ続けるのかと思うと。でも、それでいいんじゃないかと思います。
――心からの充足感があるのですね。これから高橋さんが演じてみたい役や挑戦してみたいことは何かありますか。
ないですね。本当に。僕自身、やりたいことはもう全部叶ってしまったと思っていて、これ以上望むと反対に怖いなと思うぐらいです。もちろん、小さな興味や願望はあるんですけれど、それを具体的な目標として掲げることはあまりしないようにしています。言葉にしてしまうと、叶わないような気がするんです。
――あえて言葉にしないようにされているのですね。
僕は自分が“エラーコード”っぽいなと思うことがあって。エラーコードはエラーでしか対応できない。だからエラーコードなりの人生が待ってるのかと思うとワクワクしてるというくらいで、それ以外はあまり考えていないんです。予測できないことが次々起こる、まるでバグの連続みたいな人生。でも、それがとても面白い。
――どこか岸辺露伴シリーズともリンクしますね。
まず僕らが本当に楽しんでやろうという発想自体、エラーの上に成り立っていますから(笑)。最初から、この作品はどこか“バグ”のような存在でした。それがこんなにも大きく育っていった。顔色をうかがって無難にやろう、というような空気じゃなくて、みんなで本当にやりたいことをやってきた。それが今、こんなに多くの人に届いているのは、本当に幸せなことです。
本作は1本の作品としての強度が強いので、前作を観ていない、漫画を読んでいないという人でも、まったく問題なく楽しめるように作られています。露伴というキャラクターを知らなくても、独立した1本の映画として楽しめる。それは間違いないです。
この作品は、よくある日本映画のフォーマットとはちょっと違うと思うんです。ハリウッド的でもないし、邦画的とも言い切れない。だからこそ、違和感を覚える人もいるかもしれない。でも、それはすごく良いことだと思っていて。「よくわからないけれど、面白かった」と言ってもらえるのが、僕らにとっては一番の幸せです。ぜひ、気軽な気持ちで観に来ていただけたら嬉しいです。
高橋一生(たかはし・いっせい)
1980年生まれ。東京都出身。映画、ドラマ、舞台と幅広く活躍。舞台「天保十二年のシェイクスピア」(20)で菊田一夫劇賞、NODA MAP「フェイクスピア」(21)で読売演劇大賞・最優秀男優賞を受賞。主な出演作に映画『ロマンスドール』(20)、『スパイの妻』(20)、ドラマではNHK大河「おんな城主 直虎」(17)、「岸辺露伴は動かない」(20–24)、「6秒間の軌跡」(23–24)、「ブラック・ジャック」(24)など。連続ドラマW「1972 渚の螢火」(WOWOW)が今秋放送予定。
映画『岸辺露伴は動かない 懺悔室』
2025年5月23日(金)より公開中。
出演:高橋一生、飯豊まりえ、玉城ティナ、戸次重幸、大東駿介、井浦 新
原作:荒木飛呂彦「岸辺露伴は動かない 懺悔室」(集英社ジャンプ コミックス刊)
監督:渡辺一貴
脚本:小林靖子
音楽:菊地成孔/新音楽制作工房
人物デザイン監修・衣装デザイン:柘植伊佐夫
配給:アスミック・エース
© 2025「岸辺露伴は動かない 懺悔室」製作委員会 © LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社
文=あつた美希
撮影=平松市聖