ジェントルマンズ・クラブと呼ばれる紳士の社交場が政治や経済を動かしてきた!? 完全紹介制の知られざる英国のサロンとは一体どんなものなのか。その一端に触れてみるとロンドンという街の奥深さを垣間見ることができる。
ジェントルマンズ・クラブとは、ガイドブックを片手に入れる世界ではなく、京都の一見さんお断り文化に通じるものがある。そんな密やかな英国のクラブについて私の経験からお伝えしよう。
英国には「共通の趣味嗜好を持つ人が2人いれば、クラブができる」という言葉があるほどで、最盛期には400を超えるクラブがロンドンにあったそうだ。制限のある職場や家庭でもなく、自由闊達に会話を楽しめる男性たちの溜まり場、現代でいうところのサードプレイス的な存在であったことから「ジェントルマンズ・クラブ」と言われるようになったという。
だが、日本人にとって何気ない言葉であるが、現代のロンドンではジェンダー差別と攻撃されることもあり、最近はジェントルマンズ・クラブと名乗るクラブは少なく、一般にはプライベート・クラブと呼ばれている。
クラブと言ってもその種類は様々で、政治やアート、自動車などの趣味から、出身学校や軍隊などの所属まで、各クラブのアイデンティティは多岐にわたる。クラブの会員になるには、多くの場合、無限責任が問われる2名以上の推薦制度や、コミッティによる面接、資産、家族構成、趣味嗜好など個人情報丸出しの厳格な審査を潜り抜けなければならない。
その上で、6カ月以上、時には2年程度待たないと承認が降りないこともあるようだ。その厳格な審査を潜り抜けた会員同士だからこそクラブの良質なコミュニティが維持され、時に政治やビジネスにおける大きな意思決定が行われる場合もあるという。
そういったことから、メンバーの資質は信頼を得るために大切な要素。それに気付かされたのは、数年ぶりにロンドンを訪れた時のことだ。
私は旧友であるジェレミー・ハケットと彼の所属するクラブでランチをすることになっていた。「ハケット・ロンドン」の創業者である彼は、最高のジェントルマンスタイルの伝道師として知られている。懐かしい友人とのランチに私は心が躍っていた。だが、待ち合わせ場所のカフェでくつろぐ彼に声をかけたその時、笑顔だったジェレミーの目がすっと曇ったのがわかった。
「さて、靴を買いに行こうか、トシ」
訝しげな彼の目線に合わせて、ふと自分の足元を見ると、白いレザースニーカーがキラキラ輝いていた。あ、やってしまった……。格式高いクラブにスニーカーがご法度なのを知らないわけないよね、英国とは長い付き合いがあるはずなのにキミは一体何をやっているんだ、と彼の目が静かに語っていた。
当然のことながら時と場所や機会によっては、革靴を求められる。結局は、彼がクラブに連絡し、日本人のゲストだからと許可が下りたのでことなきを得たが、無言のルールについて再度考えさせられる機会となった。勘違いしていただきたくないのは、これはクラブがルールとして守るべきと設定したものではない。限られた会員たちが気持ち良く過ごすためのエチケットであり、マナーである。紳士の共通認識的な「プロトコル」といった方がよいだろう。
伝統的なクラブの多くは、セント・ジェームズ宮殿に繋がるパル・マル通りやセント・ジェームズ地区に位置し、ほとんどのクラブには、フォーマルなメインダイニングやラウンジ、バーがあるが、宿泊施設、プール、ジム、図書館などを備える所もあり、定期的にクラブの特色を生かしたイベントが開催されることが多い。
私のお気に入りは「サイレント・ルーム」と呼ばれる部屋だ。ここでは、言葉を発するのはもちろん、新聞のページをめくる音すら控えるほどの静寂が保たれる。その独特な緊張感の中で行う読書こそ、何事にも変え難い至福の時間である。クラブで過ごす時間は、自由様々。クラブで知り合った仲間と話すもよし、私のように誰にも縛られず自分ひとりのゆっくりと濃密な時間を楽しむもよし。
私が入っていたアーツ・クラブの名を伝えると一目置かれたのが懐かしい。所属するクラブは、英国における名刺代わりとも言えよう。所属するクラブによって、お互いにその人柄や趣味が見えてくるというのは、実に奥深いイギリス文化だ。
クラブの中に入っているレストランはそれぞれの趣向が凝らされており、拘りのある人々が満足できる食事と飲み物を提供している。うちのクラブではコレが美味しいよ! と互いに勧め合うのも一興である。もちろん、ジェレミーと私がその日にクラブで居心地の良いひとときを過ごしたのは言うまでもない。
田窪寿保(たくぼ・としやす)
ヴァルカナイズ・ロンドン代表取締役CEO。英国ヴァージン アトランティック航空日本支社に勤務後、グローブ・トロッター 英国本社の取締役副社長などを務める。複数の英国プライベート・クラブに所属。
かつてプライベート・クラブだったホテルや会員制レストランなど様々な形で残っているサロン文化の趣を体験してみる。
人目を逃れるように袋小路に佇む密やかなホテルは、1857年にセント・ジェームズ・クラブとして誕生したのが始まり。2人の外交官によって創設されたクラブで、当時は政治や経済界のエリートたちの溜まり場となっていた。
現在は多くのセレブリティに愛されている5ツ星ブティックホテル。館内は何度も改装されているが、クラブの面影を残しているのが地下1階のミーティングルーム。当時も同じ場所にあり紳士たちがウイスキーを片手に熱い議論を交わしていたのかもしれない。
「昔はあの扉の向こうにワインセラーがあって、その後ろの通路がバッキンガム宮殿に続いていた。そんな逸話があるんですよ」とスタッフの方が教えてくれた。嘘か実かはわからないが、秘密の通路を使い誰が何を? とドラマを想像できるのが物語のあるホテルの面白いところ。
客室数60室というアットホームな雰囲気に居心地よさを感じながら悠久の時間に浸ってみたい。
St.James's Hotel&Club Mayfair(セント・ジェームズ・ホテル・アンド・クラブ・メイフェア)
所在地 7-8Park Place, London SW1A 1LS
電話番号 020 7316 1650
客室数 60
料金 300ポンド〜/1室
https://www.stjameshotelandclub.com/en/
高級レストランがひしめくロンドンで、別格の存在として知られるのが英国王室御用達の会員制美食クラブ「モシマンズ」。館内には訪れたセレブリティの写真が飾られ、錚々たる顔ぶれに驚かされる。
創業者のアントン・モシマン氏は名門「ザ・ドーチェスター」の料理長に史上最年少で就任し、フランス国外のホテルダイニングとして初のミシュラン2ツ星を獲得した伝説のシェフ。
1988年に古い教会を改装し、新たな活躍の舞台を開いた。歴史を感じさせる美食の館には、会員限定のメインダイニングのほか、非会員も利用できるプライベートルームも用意。
“ラリック”などスポンサーの世界観で統一された個室のほか、格式を感じさせる“ザ・ウィンザー・ルーム”も。ウィリアム王子とキャサリン妃の婚礼晩餐会のケータリングを担当するなど、王室と縁の深い調理チームが繰り出す一皿を特別な空間で味わう。
これぞ最も英国らしい美食体験なのだ。
Mosimann's(モシマンズ)
所在地 11B West Halkin Street, Belgrave Square, London SW1X 8JL
電話番号 020 7235 9625
インターナショナル会員 入会金 250ポンド/年会費 750ポンド
https://www.mosimann.com/
文=田窪寿保、梅崎奈津子、矢野詔次郎
写真=志水 隆、橋本 篤
コーディネート=田中敬子、長南ミサ