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【漫画】お経は誰のために読まれるの?普段の生き方について私たちが考える機会/ヤンキーと住職

  • 2022年12月6日
  • Walkerplus

仏教やお経と聞くと、なんとなく堅苦しいイメージを抱く人も多いのでは?現役の僧侶(浄土真宗本願寺派)である近藤丸さん(@rinri_y)が描く漫画「ヤンキーと住職」は、仏教が大好きなヤンキーと少々頭でっかちな住職とのやりとりから、仏教の教えを伝える漫画。読者からは「興味深い」「ためになった」「書籍化してほしい」との声が多く寄せられている。

ウォーカープラスではそんな「ヤンキーと住職」の中から特に印象的なエピソードを厳選し、近藤丸さんのインタビューと共にご紹介。今回は、檀家の家へ向かう途中で事故を起こしてしまった住職の代わりに、お勤めを果たすヤンキーのエピソードだ。

自分の代わりができるのだろうか?と思っていた住職だが、「頼れ!」と力強く語り掛けるヤンキーに、彼がいたのも何かの縁だと感じ、「分かった行ってくれ」と伝える。そしてヤンキーは、待っている檀家のもとへバイクを走らせる…。

■宗派によって、読まれるお経は違う
住職の代打として堂々とお経を読み上げるヤンキーに、檀家のおばあさんも思わず「ええ声~」とうっとり。以前のインタビューで近藤丸さんに「お経にはさまざまな悩みの解決方法やお釈迦さまからのメッセージが書かれている」と教えてもらったがその数はとても多く、宗派によって用いるお経は違うのだそう。

「お釈迦さまは、さまざまな人の悩みや資質に合わせて、臨機応変に教えを説かれました。最終的には『八万四千の法門』と呼ばれるような多くの教えを、お釈迦さまは残したといわれています。現代の私たちが法要や日々のお参りの中でお経を聞く中心的な意味は、私たちが今ここで教えを聞き、大切なことに目覚めていくということになってきます。

さて、仏教には沢山の宗派がありますが、『どのお経を大切にするか』ということが宗派の違いを生んだと言っても間違いではないでしょう。例えば『般若心経』は多くの宗派でお勤めされますが、浄土真宗では用いません。大事にしていない訳ではなく、用いないのです。したがって、供養で読むお経も宗派によって異なってきます。

浄土真宗では、『浄土三部経』(『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』)が根本のお経です。これらには阿弥陀如来という仏さまが、どのようなことを願っているのか、どのように仏さまに成られたのかなどが説かれています。また、私たちがどのような生き方をし、どういうことで苦しんでいるのか、何に悩んでいるのかということも書かれています。

例えば『仏説無量寿経』の中には次のような言葉があります。『世間に生きる人々は、軽薄で俗っぽく、急ぐ必要のないことで、急ぎ、皆が争い合っている…(中略)…それは、貧しい者も富める者もそうなのである。どういう生まれかとかに関らず、皆がそうである。富める者は物が有るゆえに悩みが多くなり、貧しいものはないことを悲しんで、貧富ともに苦しんでいる。』『田を持っていれば田を持っている事で悩み…(中略)…田が無ければ、田が欲しいと悩む。…このように憂え苦しんで求め探しても、思うように得ることはできない。』(『仏説無量寿経』意訳)

ここに書かれているのは、我々の痛ましい姿そのものではないでしょうか。お経は鏡のように私たちの生き方を照らし、問いかけてくるのです。では、このような争い傷つけあうあり方をどうすれば超えていけるのか?お釈迦さまの説かれた教えが、お経に書かれています。今その内容を全てお伝えするのは難しいですが、一人ひとりお経に直接あたり、時間をかけて確かめてみることが大切だと考えています」

■法要の時に読まれるお経は亡くなった人のためではなく、私たちのもの
あまり仏教の知識がない人にとっても、お盆はなじみ深い仏教行事のひとつ。近藤丸さんは、この成り立ちについて教えてくれた。

「お盆は仏教行事の一つですが、『仏説盂蘭盆経』というお経に由来します。そのお経には、お釈迦さまのお弟子である『目連尊者』のエピソードが書かれています。目連尊者は、神通力(今でいう超能力のような不思議な力)が使えたそうです。そしてある日、その力を使って亡くなった自分の母親の様子を見たところ、餓鬼道という苦しい世界に生まれ堕ちていることを知りました。目連尊者はお釈迦さまの教えを受け、修行に励んでいる僧侶達を食べ物などで供養したことにより、母親を餓鬼道から救ったと書かれています。お盆とは、そのときに食べ物を盛った「盆」のことを指すと言われています(諸説あります)。

また別の説のひとつには、古代インドの言葉『ウランバーナ』を翻訳した『盂蘭盆』の意味として『倒懸(とうけん)』という言葉が伝わっています。これは『さかさまになっている・木にさかさに吊るされたような苦しみ』という意味で、お盆という言葉には『さかさま』という意味があると、一説では言われているのです。私たちは亡き人を供養したい、亡き人が安らかにありますようにと思っています。それは自然な気持ちですし、大切なものです。しかし私たちは、『物事をさかさまに見ている』と教えられているのです。

本当は先立っていった人たちから私たちの方が、『大切なことに気づいてくれ、大切なことに出会ってくれ』と願われているのです。亡くなっていった人々をしのぶお盆をはじめ、さまざまな法要の場で、私たちはお経を聞く縁を頂きます。そこで想う身だと思っていた私たちの方が、願われ、心配され、教えられている。我々が普段どのように生きているのか、そして仏さまが何を願われているのか、考えてみる大切な機縁がお盆であり、さまざまな法要と言えるのです。

さて、私は浄土真宗本願寺派の僧侶なので、浄土真宗の教えを通して聞いてきたことや、学んできたことをここでは述べさせて頂きました。先ほども言いましたように、宗派によって読むお経は違いますので、ぜひご縁のあるお寺に行って、お盆にどんなお経を読んでいるのか尋ねてみてはいかがでしょうか。

今回のインタビューに答えるために岡崎秀麿先生・冨島信海先生の『ねぇ、お坊さん教えてよ どうしてお葬式をするの?』(本願寺出版刊)、天岸淨圓先生・佐原多賀子先生・小林賢五先生・武田晋先生著『お盆』(本願寺出版刊)、延塚知道先生著『無量寿経に聞く~下巻~』(教育新潮社刊)、香川秀夫先生・畝部真紀先生著『お盆』(東本願寺出版刊)を参考にさせて頂きました。より詳しいことが知りたい方は是非これらの本を手に取ってみて下さい」

■強面だけど超いいやつ!ヤンキーのキャラクターには言うべきことを言ってくれる友人や先生を反映
一見怖そうだが、とてもいいヤツで義理堅いヤンキー。はじめて会った檀家のおばあさんにもすっかり気に入られ、住職もなんだかんだで頼りにしている。近藤丸さんにもヤンキーのような友人はいるのか聞いてみた。

「そうですね、自分には典型的なヤンキーの友人はいませんが、変に遠慮したりせずに裏表なく、言うべきことを言ってくれる友人や先生はいます。そういう人がいたから、ここまで教えを聞いてこれたのかもしれません。そうした方々を、ヤンキーのキャラクターに反映させているところがありますね。

仏教を聞いていると、どうしても自己満足の聞き方になってしまいます。そういう時に注意してくれたり、全然違う考え方や見方を教えてくれる人の存在がすごく大事なんですね。本作で言えば、ヤンキーと住職が学び合うのが、すごく良い事かもしれないなと感じています。宗教を求めていくと、自家中毒みたいになる危険性があります。だから誰かと共に学んだり聞くことは、とても大切です。一人で学ぶ時間ももちろん大切ですが、誰かと共に聞く、誰かと共に学ぶということを大事にしたいなと考えています。

もし、読者の方でもっと仏教を聞いていきたいという方がおられたら、ぜひよく調べてから訪ねてください。というのも、中には問題性が指摘されていたり、社会問題化しているような団体もあるからです。例えば自分たちの団体名・正体を明かさずに、布教活動をしているような団体ですね。共に教えを学んでいくことはすごく大事なのですが、純粋に道を求めたいという思いに付け込もうとする団体や宗教も存在します。それには気をつけなければなりません。

健全な団体なのか、不安や恐怖心を煽って布教するような団体ではないか、問題が指摘されている団体ではないかということを、よく確かめることも大切にしてほしいと思います」

生きるうえで大切なことを、とっつきやすい漫画で教えてくれる「ヤンキーと住職」。これからの展開も楽しみにしてほしい。

取材・文=石川知京

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