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大会史上初めて聖火台・聖火トーチの燃料に利用された水素を提供したENEOS。前回の東京大会から『東京2020オリンピック・パラリンピック』へつながる思いとは

  • 2021年10月25日
  • Walkerplus

東京2020オリンピック・パラリンピックを支えたパートナー企業の“知られざる裏側”を紹介する特集『THE BACKGROUND TOKYO2020』。今回は大会にかかわるエネルギー供給を行ったENEOSを紹介。さまざまなエネルギーで大会を支え、特に水素の供給を通じて新たなエネルギー社会の創造に貢献したENEOSの東京2020オリンピック・パラリンピック推進室長・内田倫義さんに話を聞いた。

ENEOSとオリンピックとの関係には歴史がある。1964年に開催された前回の東京大会で、国立競技場と江の島会場の聖火台にLPガスを供給。また、聖火トーチランプ用の“聖火灯油”を開発し供給した。「“煙が出ない”、“臭いがしない”、“きちんと燃えて持続する”という当時では難しい条件をクリアするため、精製の方法を試行錯誤してようやく誕生した“聖火灯油”を聖火リレートーチのバックアップ燃料として供給しました。この時の経験があったこと、そして、自国での開催という特別な大会ということで、エネルギー企業としてはぜひとも協力したいと考え、今回も大会をサポートすることになりました」と内田さんは話す。「そして、もう一つ大きな理由は、ENEOSには全国に1万3000カ所あるサービスステーション(SS)を“聖火リレー応援団”として巻き込み、大会を盛り上げることができると考えました」

東京2020オリンピック・パラリンピックでのエネルギー供給とひと言でいっても、その内容はさまざま。ゴールドパートナー(石油・ガス・水素・電気供給)として、大会期間中、大会車両へのガソリン・軽油、競技場・大会施設への電気・ガス(都市ガス・LPガス)、各会場に設置された発電機燃料(軽油)、競技用船舶燃料(ガソリン・軽油)、聖火トーチ(LPガス)を供給した。「大会期間中、7カ所の水素ステーションを24時間営業し、大会車両として使われた500台のFCV(燃料電池車)に水素を供給しました。さらに、大会史上初めて水素が燃料として使用された聖火台、水素聖火トーチへの水素供給、大会期間中の大会施設への再生可能エネルギー由来の電気供給など、持続可能性に配慮した大会運営をサポートし、大会の成功に貢献しました」と内田さん。

「水素ステーションは、FCVの普及が遅れていることもあり、1日に数台の利用しかなかったのですが、今大会で連続充填を行い、500台に安定的に水素を供給するという、世界的にも初めての経験ができました。大会のサポートとともに、当社としても今後にむけたノウハウを蓄積できたのは大きかったです。今すぐどうこうできるというものではないですが、5年後か、10年後かわかりませんが、将来的に必ずこの経験が生きてくると考えています」と内田さん。大会史上初の聖火台・聖火トーチの燃料として水素が採用され、その燃料をENEOSが供給し、聖火台の炎がENEOSの水素で灯されたことは、1964年大会のLPガス・聖火灯油の燃料供給に続くレガシーだと話す。

ほかにもENEOSは他企業がやっていないことを行った。“ENEOSエネルギーソング”を作ったことだ。内田さんは「歌を作ったのは当社だけです。東京2020オリンピック・パラリンピックに向け、元気を届けるエネルギーソングを作りたいと思い、DREAMS COME TRUEに依頼しました」と話す。それが、テレビCMなどでも耳にしたことがあるだろう『その日は必ず来る』だ。
また、全国1万3000のSSを通じて、地域ごとに盛り上がりを作り、日本中の期待を高めるため、「ENEOS応援団」を設立。聖火リレールートウォークや、聖火リレー応援キャンペーンなどの施策を展開。社員向けに東京2020大会に向けてボランティアセミナーを開催し、延べ約2000名の社員が参加。ボランティア休暇制度を創設し、参加しやすい環境を整えた。「600人にのぼる社員がボランティアを希望し、延期によって状況が変わった人もいましたが、最終的に247名が東京2020大会のボランティアとして参加しました。オリンピックという大きな大会に参加できたことは、個人個人にとっても大変いい経験になったと思います」と内田さん。

パラリンピックでは、社員向けコミュニケーションとして、パラリンピック応援プログラム(ENEOSサポーターズ)を実施。パラリンピアンのトークショー企画など、1800名の社員が参加した。「それまで障がい者に対して、あまり理解ができていなかった人が、例えば道路の段差が車いすでの移動の妨げになっているのではないかと気付くようになる。本当に些細なことですが、今まで気付かなかったことに気付けるようになったのは大きいと思います。そうした意識の変化が出てきたことは大切なことです」と内田さん。

いろいろな形で東京2020大会と関わり、サポートをしてきたENEOSだが、開催延期が決まった時点では辛い思いをしたという。「それぞれのアクティベーション施策の準備はかなり進んでいたこともあり、大会延期が決まった時の落胆は大きかったです。スポンサー契約延長の話があるまでの半年間は動くこともできず、非常に辛い時期でした。2020年の10月に延期後の施策の検討を再開してからは、これまでの施策にコロナ対策という難しいテーマを加えた形で準備を進めました。無観客となってしまい、聖火リレー、ホスピタリティプログラム、チケットキャンペーン、ショーケーシングなど、予定していたアクティベーションは思い描いていたようにはなりませんでしたが、オリパラ室のメンバーが一丸となって準備を進めてきた時間は大きな財産です」と当時を振り返る。

イレギュラーなことばかりの大会だったが、パートナーとして参加できたことはよかったと内田さんは話す。「今、具体的に何かということはないが、やってよかったことは間違いないと思っています。コロナで大会の開催も危ぶまれたような東京2020大会は、東京だからできた大会だったと思います。それが今後もっと評価されるようになり、“あの大会に関わっていた”という経験も生きてくると考えています」。ガソリンがあって当然、電気が使えて当然という、その“当然”を安定供給できた。水素エネルギーについても500台に供給するという未経験のことを実践し、ノウハウをためた。そして、何より、東京2020オリンピック・パラリンピックに参加したことを社員が誇りに思っている。エネルギー企業として大きな役割を果たしたENEOS。「ENERGY for ALL」を合言葉に取り組んだ東京2020オリンピック・パラリンピックからかけがえのないものを得たといえるだろう。

素材提供:ENEOS

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