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【解説】オランウータンが「薬草」で傷を治療、野生動物で初観察

  • 2024年5月10日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

【解説】オランウータンが「薬草」で傷を治療、野生動物で初観察

 2022年の夏、かつて誰も見たことのないオランウータンの行動が観察された。「ラクス」という愛称で親しまれているスマトラオランウータン(Pongo abelii)が、抗菌、抗炎症、抗真菌、抗酸化作用のある「薬草」を使って、頬にできた大きな擦り傷を丁寧に手当てしていたのだ。その様子を記録した論文が、2024年5月2日付けで科学誌「Scientific Reports」に発表された。

「わずか数日でひどい傷が治り始め、さらに2日後には傷口が完全に閉じていました」と、論文の筆頭著者で、ドイツにあるマックス・プランク動物行動研究所の霊長類学者のイザベル・ラウマー氏は話す。「薬効のある植物を使って傷を治療する野生動物が観察されたのは、これが初めてです」

 ラクスの行動は、インドネシア、スマトラ島のグヌンルセル国立公園内にあるスアックバリンビン研究ステーションを取り巻く熱帯雨林で観察された。研究センターは1994年から、周囲の保護林に生息したり、頻繁に姿を見せるオランウータンを観察してきた。動物たちに干渉することなく、あくまで見守る形で、その動きや行動を注意深く追跡、監視、記録している。

「決して彼らの邪魔にならないように数十年間観察を続けてきた結果、向こうも私たちのチームが近くにいることにすっかり慣れてしまいました。人間の存在を無視してもいいのだとわかり、完全に野生のままの姿を見せてくれます」と、ラウマー氏は言う。

 研究センターの周辺の熱帯雨林は、スマトラオランウータンが地球上で最も密集している地域だ。オランウータンの生息地は、森林伐採によって年々縮小している。そのため、本来単独行動を好むオランウータンたちが、お互いに近い場所で暮らさなければならなくなっている。

 国際自然保護連合(IUCN)の推定によれば、スマトラオランウータンは現在約1万3800頭しか生存しておらず、危機のランクを「近絶滅(Critically Endangered)」としている。絶滅の危機に瀕している類人猿の驚くべき行動を観察して共有し、彼らがどれほど特別な存在で、人間に似ているかを人々に知ってもらい、絶滅から救う取り組みにつなげられればと、ラウマー氏や研究仲間たちは期待している。霊長類学、民族植物学、生物進化人類学の分野の他の研究者も同じ思いだ。

驚きの光景

 ラクスは、2009年から研究センターのなかやその周辺で暮らしている。2022年6月のある朝、研究者たちは、ラクスの右目の下の頬に大きく擦りむいた傷があることに気づいた。

 その前に、ラクスは監視エリアの外に出て行っていたため、どのようにして負傷したのかは誰にもわからない。おそらく、木から落ちて枝にぶつかったのか、他のオランウータンと争ったときに負った傷だろうと思われる。

 いずれにしても、傷はその後数日間膿み続け、「かなり悪いように見えました」と、ラウマー氏は言う。

 3日目に、研究者たちはラクスがアカルクニン(Fibraurea tinctoria)というつる植物を探し求め、それを食べている様子を観察した。一般に傷の手当てや赤痢、糖尿病、マラリアの治療に使われている植物だ。

 わざわざアカルクニンが生えている場所まで行って食べるという行動自体が極めて珍しいと、ラウマー氏は指摘する。「私たちのデータを見ると、ここに生息するオランウータンが食べるもののうち、アカルクニンが占める割合はわずか0.3%です」

 ラクスの傷が感染症を起こしたり、発熱していたりしたら、理論的にはアカルクニンを食べることで症状は改善しただろう。ラクスがそうと理解してこれを食べていたのだとしたら驚くべきことだと、研究者は考えた。とはいえ、その時点ではまだ単なる憶測にすぎなかった。

 しかし、次にラクスが取った行動は意図的としか思えないものだった。

次ページ:ラクスが取った驚きの行動とは

「ラクスは、葉をちぎって口に入れると、飲み込むことなくそれを噛み、抽出した液体を直接自分の傷口に塗っていたんです。それを何度も繰り返していました」

 このようにして7分間傷の手当てを続け、その後さらに約30分にわたってアカルクニンを食べ続けた。

「植物の液を傷口だけに塗っていたという点が重要です。体のほかの部分には付けていませんでした」と、ラウマー氏は強調する。そして今度は、噛んだ後の葉を「湿布のように」傷口に貼り付けた。

 翌日も、ラクスはまたアカルクニンを食べに戻ってきた。3日後、傷口はふさがれ、順調に回復しているように見えた。1カ月ほどで、傷はほとんど目立たなくなった。

 米オハイオ州にあるケント州立大学の人類学部長で生物人類学者のメアリー・アン・ラガンティ氏は、ラクスの行動について「注目すべき発見」としながらも、「オランウータンの高い知能を考えれば、それほど驚くことでもありません」と話す。

薬効をどうやって知ったのか

 ラウマー氏も、オランウータンの高い知能に関してラガンティ氏の意見に同意するが、ではラクスはどのようにしてアカルクニンが持つ治療効果を知りえたのだろうか。

「アカルクニンを食べていて、たまたまそれを触った手で傷に触れたら、すぐに痛みが和らいだことに気づいたため、何度も傷に塗るようになったのかもしれません」

 または、子どもの頃に母親か別のオランウータンの行動を見て学んだ可能性もある。これを、「覗き込み行動」と呼ぶ。「霊長類、特に類人猿は、子ども時代が長いという特徴があります。その間に多くを学べます」と、ラガンティ氏は言う。

 オランウータンの母親は、子どもが生まれてから7〜8年間集中的に育児を行うため、ラクスもこれを母親から学んだ可能性がある。しかし、おとなのオランウータンにも覗き込み行動が見られた記録がある。ラクスもおとなになってから学んだということも考えられる。

 さらに、人間と類人猿の最後の共通祖先が似たような行動を取っていた可能性もある。

過去の観察記録

 野生の霊長類が薬効のある植物を噛んだり、飲み込んだり、使用しているのが観察されたのは、これが初めてではない。

 1960年代初期に、有名な霊長類学者で人類学者のジェーン・グドール氏が初めて、タンザニアのチンパンジーのフンの中から、薬効のある植物の葉が見つかったことを報告している。それ以来、他の群れでも、傷口をきれいにしたり、病気を癒すために、植物や昆虫を食べたり使用したりする行動が観察されてきた。

 しかし、米デューク大学の著名な名誉教授で進化人類学者のアン・ピュージー氏は、いずれの場合も「どんな葉を使ったのかまでは特定されていませんでした」と話す。2022年2月7日付で学術誌「Current Biology」に発表された論文では、アフリカのガボン共和国でチンパンジーが昆虫を傷口にこすりつけるという行動が報告されているが、このときも、どんな昆虫が使われたのか、どのような効能があったのかなどは特定されていない。

 ラクスの行動が重要なのは、使用した葉に薬効成分があることがよく知られているためだ。また、ラクスはゆっくりと時間をかけて、丁寧に傷の手当てをし、治りも早かったと、ピュージー氏は言う。

「研究対象の集団でまだ1度しか観察されていないため、その起源については多くの疑問が残ります。しかし、自分で自分を治療するという行為は、私たちの進化の過程に深く根差しているのかもしれないということがここからも読み取れます」

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