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子どもの将来のためには、やりたいゲームもガマンさせるべき? ゆるっと哲学(9)

  • 2020年9月2日
  • レタスクラブニュース


なぜ私だけが家事をしなくてはならないの? 「ていねいな暮らし」ができない私ってダメ人間??
外から入ってくる情報や「こうあるべき」という思い込みに縛られて、不安が募ったり焦りにかられるなんてことありませんか。
それは、不安や焦りの正体を正しく把握できていないから。その正体を解明し、上手に付き合うことで、不安は生きる力に変わります。
哲学の賢人たちに、生き方のヒントを学べる『不安を力に変える ゆるっと哲学』の著者、ただっちが、レタスクラブニュースの読者のために描き下ろした4つのストーリー。
今回は『不安を力に変える ゆるっと哲学』(1~6話)に続く、第9回目をお届けします(全10回)。



















私たちが生きていく中で、かなり難しい問題の一つに「子育て」があります。
「子育て」というと、よく聞くのは、「子供にどんな習い事やスポーツをさせようか?」という悩みです。

小さい頃から、小学校受験や中学校受験などに向けて、塾に通わせて、早くから知識を詰め込むことが大事だという家庭もあります。また、プログラミング、ピアノ、英会話教室など、様々な習い事をさせる家庭もあると思います。

これらの家庭は「教育熱心」と呼ばれており、時によっては良い教育だと思われています。しかし、本当にこれは子どものためになっているのでしょうか?

「子育てとは何か?」ということを考える上で、とても深い示唆を与えてくれるのがフランスの哲学者、ジャン=ジャック・ルソーの『エミール』という本です。

この『エミール』という本は、エミールという少年が赤ちゃんから大人まで育つ過程を小説形式で描いた教育論で、個性・自由を尊重する現代の教育観に多大な影響を与えた本です。

まず、ルソーは教育とは人間によってのみ行われるものではないと指摘しています。そこで、教育の原理として「自然の教育」「人間の教育」「事物の教育」の3つ(「3種類の先生」)を挙げています。

一つ目の「自然の教育」は、人間が自然に成長することです。例えば、手足を自由に動かせるようになったり、立って歩けようになったりすることも人間の自然な成長、すなわち「自然の教育」の成果なのです。
二つ目の「人間の教育」は、親や先生など大人による教育のことで、いわゆる一般的な意味での「教育」のことを指します。
三つ目の「事物の教育」とは、実際のさまざまなものや出来事に触れることで経験から学ぶことを指します。

ルソーは、この3つの原理を挙げた上で、この3つの教育が調和すること、つまり、その時の自然な成長ペースに合わせた教育が重要であることを指摘しています。

引用----
だからわたしたちはみな、三種類の先生によって教育される。…(中略)…それらの教えが一致して同じ目的にむかっているばあいにだけ、弟子はその目標どおりに教育され、一貫した人生を送ることができる。こういう人だけがよい教育をうけたことになる。

『エミール(上)』
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さて、このように、3つの教育原理の調和が大事だとするルソーは、小さい頃からさまざまな習い事をさせたり、知識を詰め込んだりすることをよしとするのでしょうか?
ルソーはおそらくノーというでしょう。なぜなら、子どもたちに無理やりさまざまな教育を施すことは、その子どもの幸せの時間を奪うことにつながるからです。

引用----
人間よ、人間的であれ。それがあなたがたの第一の義務だ。…(中略)…子どもを愛するがいい。子供の遊びを、楽しみを、その好ましい本能を、好意をもって見まもるのだ。…(中略)…自然がかれらにあたえている短い時をうばいさって、あとでくやむようなことをしてはならない。子供が生きる喜びを感じることができるようになったら、できるだけ人生を楽しませるがいい。

『エミール(上)』
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確かに、何かを身につけさせようと思ったら、早ければ早いほど将来的に有利に働くような気がします。しかし、子どもには子ども時代にだけ味わえる幸せがあり、その時に得た幸せは、のちの人生にとって、生きるための基盤にもなります。
したがって、「子どもの将来の幸せのために!」と、子どもがやりたがっていないことを無理やりやらせようとするのは、親の傲慢にすぎず、逆説的に子どもの幸せを奪う可能性があるのです。

では、ルソーはどのような教育方針を取るべきだと言っているのでしょうか?それは、「消極教育」という教育のあり方です。
「消極教育」とは、何かを無理やりさせたり、教え込んだりすることではなく、子どもの発達段階に応じて、子どもの感覚を育てていく教育の在り方です。つまり、何かを大人の側から教え込むということをしないという点で「消極」的なのです。

この「消極教育」について、ルソーは「なに一つ命令しないで、なに一つ禁止しないで、説教しないで、勧告しないで、無駄な教訓を並べ退屈させることもしないで、わたしは考えたことをすべてその子にさせることに成功した」(『エミール(上)』)と言っています。

『エミール』では、この「消極教育」の具体的な例や説明などが豊富に書かれていますが、特に重要なのは、子どもの自発性を促していくことです。
確かに、「消極教育」では、積極的に子どもにあれこれ指示を出すわけではありません。しかし、なにもしなくて良いということでもありません。ここで大人に求められる役割は、子どもが自然に興味を持ち、自分で活動するような環境や状況を作り出してあげることなのです。

引用----
第一に、生徒が学ぶべきことをあなた方が指示してやる必要はめったにない、ということをよく考えていただきたい。生徒のほうで、それを要求し、探求し、発見しなければならないのだ。あなたがたはそれをかれの手の届くところにおき、巧みにその要求を生じさせ、それをみたす手段を提供すればよいのだ。

『エミール(上)』
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無理矢理何かをさせるのではなく、子どもの成長速度に応じて、物事に興味を持つように誘導する。そして、子どもが自主的に経験を通じて学んでいく。これこそが、「消極教育」の核心なのです。
「好きこそ物の上手なれ」という言葉がありますが、子どもの幸せ−現在の幸せも将来の幸せも−や子どもの成長を考えるならば、その自主性を重んじることが重要なのではないか、ということを『エミール』は示唆してくれています。

「子育て」や「教育」は、決して決まった答えのないものですが、その子の幸せを思い、大人が行っていかなければいけないものです。
一方、子どもにとって、「教育」とはある意味、新しい人間として生まれ、自分の人生を歩んでいくために必要なものでもあります。そのことをルソーは次のように一言でこう言います。

引用----
わたしたちは、いわば、二回この世に生まれる。一回目は存在するために、二回目は生きるために。

『エミール(中)』
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著=ただっち






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