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Vol.101 あの出来事を境に大きく変わった状況のなかで、あらためて自分で考えるということを意識したい

  • 2012年7月12日

  みなさん、こんにちは。ゴスペラーズの北山陽一です。

 2回にわたってエコについての基本的な考え方に関わる話を書いてきましたが、前回も書いた通り、個人的な倫理観や美意識に因って立つエコの考え方というのはありだと思うし、そうすると社会の状況や科学技術が変化していっても、その変化に翻弄されることが少ないというのはひとつのメリットであるようにも思います。でも、これは強く言っておきたいんですが、そうした個人的な考えに寄りかかり過ぎると、結局は思考停止しているのと同じ状態に陥ってしまいます。いつでも正しい情報/知識を広く求めていくことが、エコという分野に限らず、まっとうに生きていくには欠かせないと思います。

あの出来事を境に大きく変わった状況のなかで、あらためて自分で考えるということを意識したい
 この国では、昨年の原発事故によって、「電力供給には限りがあります、ジャブジャブ使っていい時代は終わりました」ということになったわけですよね。原発が再稼働プロセスを開始しましたが、なんにせよ電力供給の上限がはっきりするでしょう。そこで、北極海のシロクマを助けるとかどこかの森の消失を防ぐとか、そういう問題以前に、自分たちの生活や社会が成立するために、産業や経済を守るために、それぞれがどうやって電力消費量を減らせばいいのか?ということ、どういうことをするとどれくらいの効果があるのか?ということを、みんなが正しく知ることがいよいよ必要とされてきます。それは、悪いことではないというか、普通の生活を送るために正しい情報をちゃんと受け取って、それをもとにそれぞれが考えるという状況が具体的に迫ってきたということだと思います。

 先日、NHKの番組を見ていて、ちょっとショックを受けました。スイスでは、原発について新しい脆弱性が発見されたら、もしくは安全性を向上させる技術が新しく生まれたら、その対策はすべての原発に必ず導入されなければいけないことになってるんだそうです。そうすると、当然コストはかさみます。だから、原子力発電が安いというのは安全性を無視した話であり、安全性を追求すれば原発を運営していくのは割に合わないということで、原発をやめる方向に舵を切ったそうです。その安全基準についての考え方に、僕は愕然としました。だって、日本とは全然違いますもんね。そして、自分は「安全」ということについて、人の話をかなり鵜呑みしていたんじゃないかと思ったわけです。

 自戒も込めて言いたいのですが、人の話を鵜呑みにするということは無意識のうちに責任を相手に押し付けるということなんだということを再認識したほうがいいと思うんです。人から言われたことをそのままやって、すべてうまくいってれば、それは言わばノーリスク・ハイリターンということですよね。でも、現実には、そんな都合のいいことはこの世の中にはないんですよ。一見うまくいってるように見えているということは、どこかに無理が生じているということであって、その無理が爆発した時にはもう取り返しがつかないということを僕たちは昨年3月に経験したわけですよね。どんなことにも、ちゃんとエネルギーを割いてリスクをとり、自分の判断のもとに行動するということをやっていかないといけないとあらためて思います。

 僕自身、どちらかと言えば、鵜呑み体質だと思います。生活のなかには普段から“なんで?”ということがしばしばあると思うんですが、そのほとんどは“まあ、しょうがないか”というふうに自分と切り離して考えてることで心を守っている気がしています。それは、日常生活を送るうえで必要なひとつの能力ではあると思いますが、でもその“しょうがないか”ということの数%だけでも関わり方を変えるだけで、まったく違う世界が見えてくる気がします。僕個人としても、いろんなことに興味を持って調べたり、あるいはなにがしかの欲を持って取材に出かけたりするにしても、それを自分が接している社会にどう還元するのかということについてちゃんとイメージできているのかと言われれば、それは決して十分ではないと思います。もちろんそれでいいとは思っていません。自分の中にイメージを確立していくために出来ることの一環として、次回は久しぶりに見学取材に出かけたいと思います。

 どうぞ、お楽しみに。


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