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今日から彼岸入り 「ぼた餅」と「おはぎ」の違いは?

  • 2024年9月19日
  • ウェザーニューズ

2024/09/19 05:00 ウェザーニュース

今日9月19日(木)は彼岸の入りです。先祖を敬い亡くなった人々をしのび供養する行事のひとつとして、春と秋に「お彼岸」があり、墓参りへ出掛ける人も多いのではないでしょうか。

2024年の秋のお彼岸は、国民の祝日「秋分の日」でもある9月22日(日)を中日(ちゅうにち)とし、前後3日間を加えた7日間になります。初日の19日(木)は「彼岸入り」、最後の25日(水)は「彼岸明け」と呼ばれます。

お彼岸には仏壇や墓所への供え物や親族同士のお茶請けなどとして、春には「ぼた餅」、秋には「おはぎ」がよく食されます。

どちらもコメをゆるめに搗(つ)いた「餅」を、あん(餡)でくるんだ同じような和菓子に見えますが、ぼた餅とおはぎにはどういう違いがあるのでしょうか。材料や由来なども含めて、歳時記×食文化研究所代表の北野智子さんに解説していただきました。

春は「ぼた餅」秋は「おはぎ」の理由

一見しただけでは、ぼた餅とおはぎは同じもののようにも思えます。

「本来、ぼた餅とおはぎは同じもので、江戸時代初期の1695(元禄8)年の『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん、人見必大著)』には――母多餅 一名 萩の花(ぼたもち いちめい はぎのはな)――とあります。

当時は、ぼた餅には『母多』という文字が使われ、おはぎは『萩の花』とも呼ばれていたことがわかります。

ぼた餅とおはぎ、どちらが先かは不明ですが、『本朝食鑑』の表記からは、初めに『母多餅』という名前があり、その別名・異名として、『萩の花』があるというふうに読み取れます」(北野さん)

呼び方の違いはどんな理由によるのでしょうか。

「ぼた餅とおはぎの呼び分けについては、春のお彼岸には春に咲く牡丹(ボタン)の花に見立てて『ぼた餅』と呼び、秋のお彼岸には秋に咲く萩(ハギ)の花に見立てて『おはぎ』と呼んだという説が、多く語られているようです。

餅とあんを用いた菓子を、牡丹と萩の花に見立てた記述として、1712(正徳2)年の『和漢三才図会(わかんさんさいずえ、寺島良安著)』に、――牡丹餅・萩餅・保太毛知・波岐乃波奈云々、いわゆる牡丹餅および萩の花は、形色をもつてこれに名づく――とあります」(北野さん)

江戸末期の資料にも同じような記述があります。

「1844(天保15)年に著された『世事百談(せじひゃくだん、山崎美成著)』では、以下のとおりです。

――ぼた餅は牡丹餅と書くのが正字にて、あんをつけたる餅を盆に盛り並べたる形の牡丹花のごとくなれば、見立てて名とせり。

(中略)またまるめずに器に盛りて、その上に小豆あんをかけたるを萩の花という。女詞にはおはぎともいえり。これは萩の花に似たればなり――。

また、江戸中期の1775(安永4)年の諸国方言辞書『物類称呼(ぶつるいしょうこ、越谷吾山著)』にも、――『萩の花』は煮た小豆を粒のまま散らしかけたのが萩の花の咲きみだれた様子に似ているからで、女の詞で『おはぎ』という――とあります。

萩の花(萩餅)がおはぎと呼ばれるようになったのは、京都の宮中の女房詞(にょうぼうことば)で、萩の頭に丁寧語の『お』をつけて、おはぎになったからといいます。これは、まんじゅうが『おまん』、せんべいが『おせん』になるのと同じ用例です」(北野さん)

鎌倉時代にはすでに作られていた?

ぼた餅やおはぎは、いつ頃から作られるようになったのでしょうか。

「ぼた餅は、鎌倉時代には宴席などに用いるごちそうとして作られていたようで、古くは『かいもち』と呼ばれていました。かいもちは掻き餅ひ(かいもちい)の音便で、掻き練りもち、粥餅の転訛(てんか)したものという説もあります。

鎌倉時代の1210〜21(承元4〜承久3)年頃に書かれた『宇治拾遺物語(うじしゅういものがたり、編著者未詳)や、1330〜31(元徳2〜3)年頃の『徒然草(つれづれぐさ、吉田兼好著)』にも『かいもち』の表記があります。

かいもちがいつ頃、ぼた餅と呼ばれるようになったのかは定かではありませんが、似たような菓子そのものは、鎌倉時代にはすでにあったようです」(北野さん)

地域によって呼び名が違う?

ぼた餅とおはぎの呼び方には、地域差がみられるのでしょうか。

「現在では、全国的におはぎが一般的な名称となっているようです。歴史的には、東京がおはぎ、大阪がぼた餅と呼ぶことが多かったという説もあります。

『物類称呼』では、現在の関西地方や石川県南部で『かいもち』、秋田県で『なべしり餅』、栃木県・福井県東部・新潟県で『餅のめし』、千葉県北部で『合飯(ごうはん)』などの名があると記しています。

地域差とは言い切れませんが、ぼた餅とおはぎには様々な呼び名があります。

餅の材料のコメを半搗きにして作るため、いつ搗いているのかわからないという意の『搗き知らず』が『着き知らず』に転じて、いつ着くのかわからないもののたとえとして、ぼた餅やおはぎを『夜舟』と呼ぶ例もあります。

そのほか『隣知らず』や月入らずから『北窓』、付くところも付かぬところもあることから『奉加帳(ほうがちょう)』ともいわれ、いずれも『ツク』に掛けられた呼び名になります。

また、コメを半搗きにすることから『半殺し』という物騒な異名もあります」(北野さん)

なぜ、お彼岸に供えるようになったのか?

秋のお彼岸におはぎ、春のお彼岸にぼた餅を供える風習は、どのような由来によるのでしょうか。

「江戸時代から春秋の彼岸には、ぼた餅を作って仏前に供え、近隣や親類とぼた餅を贈り合う風習がありました。

供える理由は、昔から小豆には邪気を祓(はら)い、病を除(よ)ける効果があるという民間信仰があったことが、先祖の供養に結びついたのだと思われます。

江戸時代には、お彼岸以外にも、四十九日の忌明けや旧暦10月の亥(い)の日にも、ぼた餅を作っていたようです。

これらは伝承していきたい、古き良き日本の風習だと思います」(北野さん)

春の牡丹に由来するぼた餅とともに、秋を代表する萩の花が由来のおはぎ。呼び方はそれぞれ異なるかも知れませんが、近づくお彼岸には先祖の供養とともに、季節のうつろいを愛でたいにしえ人への思いもはせながら、味わってみてはいかがでしょうか。


参考資料
『図説 江戸料理事典』松下幸子著/柏書房、『江戸 食の歳時記』松下幸子著/筑摩書房、『たべもの起源事典』岡田哲編/東京堂出版、『たべもの語源事典』清水桂一編/東京堂出版、『事典 増補改訂版 和菓子の世界』中山圭子著/岩波書店、『絵でみる 江戸の食ごよみ』永山久夫著/廣済堂出版、『どっちがうまい!?東京と大阪・「味」のなるほど比較事典』前垣和義著/PHP研究所

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