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少女の成長と消えていく街並みを描く物語 映画『わたしは光をにぎっている』主演の松本穂香・中川龍太郎監督インタビュー

  • 2019年12月5日
  • Walkerplus

ふるさとを離れ東京で懸命に生活を始める少女の姿を描いた松本穂香主演の映画『わたしは光をにぎっている』。人と接することが不器用ながらも成長する主人公・宮川澪を演じる松本穂香と本作のメガホンをとった中川龍太郎監督にお話を伺った。

幼い頃に両親を亡くした宮川澪(松本穂香)は育ててくれた祖母が入院することになったため、東京の下町で銭湯を経営する父の友人・三沢京介(光石研)を訪れる。その中で澪は自主映画を撮っている緒方銀次(渡辺大知)、OLの島村美琴(徳永えり)と出会い自分のやりたいことを見つけながら成長していく物語。中川監督自身「翔べない時代の魔女の宅急便」と語る本作。都会の中で自分の居場所を見つける若者像と澪が親しみを抱き出した東京の下町が描く作品となっている。

主演の松本は澪というキャラクターを「中川監督が当て書きしてくれているキャラクターで、主人公に共感しながら演じることができました」と語る。人とのコミュニケーションが不得手でなかなか東京の生活に馴染めない澪。松本自身も同様にコミュニケーションが苦手だったと話し、劇中美琴に「話さないことで自分を守っている」と澪の痛いところを指摘される場面もショックだったと振り返る。松本は「澪は祖母に、私だと母親に守られて察してもらいながら生きていて、自ら動かないことでプラスにもマイナスにもならない、ずっと0のようなところがすごく近い役柄になってたと思います」と自身の役柄を語る。

本作では区画整理により澪が暮らす銭湯・伸光湯や商店街が消えてしまう悲しみも描かれており、中川監督は「僕自身も下町のような場所でずっと育ってきて、久々に帰るとそこにはビルが立ち並ぶ場所へと変貌していたんです。住所としては同じ番地を指すんだろうけどもう故郷でも何でもないような感覚になってしまいました」と本作を制作のきっかけを語る。

大阪・堺出身の松本は地元に帰ってもまだそういった実感が乏しいと話し「近くのショッピングモールの中のお店が変わってしまったりとかそういうことしか経験がないです。商店街とは大きさが全然違うけどやっぱり切なかったりしますね」と語る。学生時代にはモールにあるフリースペースの椅子に腰掛け、友達と買ったものを食べたりするのが好きだったと振り返り、大きいモールで生活できるものすべてを買えると話す。中川監督は「それによって近く商店街が消えているけど、モールの中の店舗が変わっていたりすると照明の感じとか匂いとか、また別の失われるものがあるのでは」と話す。

そんな「風景を残したい」と話す中川監督は映画の持つ大事な要素として『アーカイブ性』があると解説。市川崑監督の『東京オリンピック』(1965)を挙げて「あの作品には美的なスポーツを描く以上に当時の日本の普通のおじさんやおばさん、東京の街並みが収められています。日本の街並みが変化していることや、当時の高齢の方と今の高齢の方を比べても全然違う。顔つきや身長など資料的にもその違うと言うことに価値があるんです」と話す。

映画はその空気感も記録することも重要視されるものだと言い「今はCGで何でも作れるような時代です。そうではなくその時間、その場所にしかないものを撮る。そんな映画があってもいいのでは」と話す。さらにただ記録するだけでは「マニアの収集にしかならない」と話し『わたしは光をにぎっている』では主人公・澪のストーリーをどのように上手く組み込むかということにも注力したのだと言う。「主人公の澪や銭湯の立ち退きを迫られる京介通して物語に共感してもらう必要でした。そのなかで女優『松本穂香』の存在は街の中に居ても浮かない存在で彼女がいたからこその作品になりました」と彼女の演技を絶賛する。中川監督は出会ってから会うたびに違う魅力を放つと語る松本。人としての魅力があるからこそ撮りたいと語る中川監督は「良い映画監督になるよりも良いもの、良い人を撮っていける映画監督になりたいですよね」と話した。

また渡辺大知演じる緒方銀次が撮影した自主映画について、東京にある本物の商店街の人々、本物の店舗を使って撮影された本作。そのドキュメンタリーの本物の映像と澪のストーリーが合わさっていき段々とその違いが見事に溶け合うような感覚にもさせてくれる。その感覚は絶対にやってみたかったことだったと振り返る中川監督は「ドキュメンタリーを独立して作っても共感できないだろうので物語内にドキュメンタリー映画を入れるのは当初からの狙いでした」と話す。

さらにそのなかにも中川監督自身の家族も出演していて中川監督は「大切な人だからこそ映像として残しておきたい」と語る。大切なものの『終わり』に寄り添う人々を描いた本作は中川監督は「祖父母に育てられた僕はもう90代の彼らにどうしてもその『終わり』というものを考えざるを得ないです。もし終わりを迎えたらと考えるとショックで耐え難くて狂ってしまうかもしれません。でもじたばた慌ててみっともない姿も晒したくもない。僕にとって今作は『終わり』を通して擬似体験、一種のセラピーのようなものになっているのかもしれません」と自らに向けた物語なのだとも話す。

本作を自ら鑑賞し思わず涙したのだという松本。「『わたしは光をにぎっている』は純粋に映画として楽しめたんです。演じていて気になるところがあるというと、まだまだ私の未熟さが出ているんですけど、どうしても集中できないところがあったりする。でも今回はそういうところがなくてフラットな気持ちで観ることができました」と振り返り、女優としてまた一つ成長できたのだと言う。

中川監督は「古い建物が入れ替わったり、自分の大好きな商店街がなくなったりして悲しい気持ちになったことがある人はぜひ見て欲しい。そういう人のための映画です」と呼びかけ、松本は「やりたいことが見つからなかったり、すぐに投げ出してしまい自分を責めてしまう人はいるけれども、それは好きなことに出会えていないだけでどこかにあると思うので、いろいろな世界を触れて見つけて欲しいとこの映画を通して感じて欲しいです」と話した。(関西ウォーカー・桜井賢太郎)

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