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最高峰レース出場車両や、日本初公開の貴重車も!「富士モータースポーツミュージアム」でその歴史をたどる

  • 2025年1月17日
  • Walkerplus

国内に2カ所しかない、F1グランプリが開催できる“グレード1”のサーキットの1つ、「富士スピードウェイ」。この「富士スピードウェイ」を中心に、多彩なモータースポーツ関連施設を擁するのが「富士モータースポーツフォレスト」(静岡県小山町)だ。その構成施設として2022年に開館した「富士モータースポーツミュージアム」では、国内外の自動車メーカーの協力を得て、約40台の貴重な車両を展示。また、期間限定の企画展も実施している!2フロア、15のエリアに分けて解説されているミュージアムで、モータースポーツの歴史をたどってみよう。

「富士モータースポーツミュージアム」は、モータースポーツ文化を醸成するミュージアム
「富士モータースポーツミュージアム」は、モータースポーツ文化を醸成するミュージアム / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA


■【1階】モータースポーツの歴史を象徴する各メーカーの車両
「富士スピードウェイホテル」の1階と2階に展示室を設けている「富士モータースポーツミュージアム」では、モータースポーツの黎明期から発展期、そして未来へと続いていく約130年の歴史を、1番~15番のエリアに分けて展示解説している。そこでは実際の車両だけでなく、その歴史的背景や、携わった人々の熱い想いも併せて紹介。まずは1階の黎明期エリアを見ていこう。

■1.「モータースポーツのはじまり」
馬車に代わる新しい移動手段の動力源が模索されていた19世紀末は、蒸気機関、電気モーター、ガソリンエンジンのどれが優れているのかを競っていた時代。当時、最も評価されていたのは蒸気機関だったが、1894年に開催された「パリ・ルーアントライアル」では、ガソリンエンジン車が好成績を収め、世界中の人々が驚いたという。

世界初のモータースポーツ優勝という栄誉を得たフランス車「パナール・エ・ルバッソール Type B2」(1899年)
世界初のモータースポーツ優勝という栄誉を得たフランス車「パナール・エ・ルバッソール Type B2」(1899年) / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA


ここでは、そんなモータースポーツの始まりのころに活躍した、フランスのパナール・エ・ルバッソール社の車両などを展示している。

■2.「珠玉のレーシングカー」
第一次世界大戦を境に、航空機の技術が急速に発展。戦後、そのエンジンを製造していたエンジニアたちが次々と自動車メーカーに参入し、航空機で培ったノウハウを自動車に還元したという。

手前から順に「スタッツ ベアキャット シリーズF」(1914年)、「サンビーム グランプリ」(1922年)、「ブガッティ タイプ35B」(1926年)
手前から順に「スタッツ ベアキャット シリーズF」(1914年)、「サンビーム グランプリ」(1922年)、「ブガッティ タイプ35B」(1926年) / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA


このエリアでは「ブガッティ タイプ35B」(1926年)など、激しい競争の中で飛躍的に発展した自動車技術を象徴する車を展示。

■3.「The Age of Titans」
1920年代、レーシングカー自体は日々進化を続けていたものの、今度はレース中のドライバーと監督、チームスタッフ間での意思疎通が課題になった。そこで、レーシングドライバー出身のノイバウアー監督は、1926年にサインボードやフラッグを使用することを考案したという。

ここは、現代に通ずるモータースポーツのルールなどが確立されていった時代に登場した車両を解説しているコーナーだ(このエリアでは現在、特別展を実施中)。

■4.「アジアのモータースポーツ」
1936年、多摩川の河川敷に日本初となる本格的サーキット「多摩川スピードウェイ」が完成した。1周約1200メートルのオーバルコースは、当時の国産小型レースカーの性能競争を促した。加えて、第二次世界大戦後の日本の自動車産業発展に関わる、多くの人材を生み出すこととなったそうだ。

「第1回全日本自動車競走大会」に出場した35台の中で、総合優勝を果たした車両「インヴィクタ 4 1/2」(1936年)
「第1回全日本自動車競走大会」に出場した35台の中で、総合優勝を果たした車両「インヴィクタ 4 1/2」(1936年) / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA


ここでは、「多摩川スピードウェイ」で行われた「第1回全日本自動車競走大会」で総合優勝した「インヴィクタ 4 1/2」(1936年)を展示(2025年1月末まで)。第二次世界大戦の戦火をかろうじて逃れた、貴重な1台だ。

■5.「オーストラリアの悪路を走った日本車」
1958年当時、世界最長かつ最も過酷なラリーとして有名だった「豪州1周ラリー」。外務省からの参加要請に応じたトヨタと日産は、この初の海外ラリーに参戦し、完走やクラス優勝という結果を残した。

「日産 ダットサン 富士号」(1958年)
「日産 ダットサン 富士号」(1958年) / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA


ここに展示されているのは、「第6回豪州ラリー」でクラス優勝した、日産の「ダットサン 富士号」(1958年)だ。

■6.「栄光の日本グランプリ」
1962年には「鈴鹿サーキット」(三重県鈴鹿市)、1965年には「富士スピードウェイ」と、国際規格の常設レースコースが国内に相次いで誕生した。また、そのころから高まったモータリゼーション到来の機運に、国産レーシングカーは欧米トップカテゴリーのレーシングカーとも互角に戦えるまでに成長していく。6番の展示エリアでは、海外とも肩を並べた国産車を展示解説している。

「日野 コンテッサ900」(1961年)や「日産 R381」(1968年)、「ダイハツ P-5」(1968年)を展示
「日野 コンテッサ900」(1961年)や「日産 R381」(1968年)、「ダイハツ P-5」(1968年)を展示 / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA


■番外「創業者とモータースポーツ」
同じく1階には、各自動車メーカーの創業者の紹介と、代表的な車両を展示するコーナーが設けられている。「ポルシェ」のフェルナンド・ポルシェや、「フォード」のヘンリー・フォード、「トヨタ」の豊田喜一郎、「ホンダ」の本田宗一郎らを紹介している。

国産車の発展を願う熱い想いが込められた幻のレースカー「トヨタ トヨペットレーサー」(1951年)
国産車の発展を願う熱い想いが込められた幻のレースカー「トヨタ トヨペットレーサー」(1951年) / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA

写真左から「ホンダ RC162」(1961年)、「ホンダ RA273」(1967年)
写真左から「ホンダ RC162」(1961年)、「ホンダ RA273」(1967年) / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA


■【2階】地域別・競技別に車両を展示
2階では、過酷な路面状況で速さと正確さを競うラリーや、信頼性と燃費性能が試される耐久レースなど、世界最高峰のモータースポーツに続々と参戦した国産自動車メーカーの車両を紹介している。モータースポーツの歴史は、市販車を鍛えて参戦する時代から、競技車両で培った先進技術を市販車へフィードバックすることを繰り返す時代へと変化していった。

2階ではラリーカーや耐久レースで活躍した名車を展示
2階ではラリーカーや耐久レースで活躍した名車を展示 / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA


■7.「現在のラリーに通じる地元連携モータースポーツの祖」
ここでは、イタリアやアメリカの公道レースで数々の優勝を誇った「イソッタ・フラスキーニ Tipo I」(1908年)を紹介。ほかにも、1948年に開催された「ミッレ・ミリア」に出場した「チシタリア 202C」(1947年)など、現在のラリーに通ずる大会で活躍した車両を展示している(このエリアでは現在、特別展を実施中)。

「イソッタ・フラスキーニ Tipo I」(1908年)と「チシタリア 202C」(1947年)
「イソッタ・フラスキーニ Tipo I」(1908年)と「チシタリア 202C」(1947年) / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA

「アルファ・ロメオ 6C1750 GranSport」(1930年)は、走る・曲がる・止まるを当時の高次元でバランス化させたスポーツカー
「アルファ・ロメオ 6C1750 GranSport」(1930年)は、走る・曲がる・止まるを当時の高次元でバランス化させたスポーツカー / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA


■8.「世界最高峰への挑戦 ラリー編」
特別に閉鎖された公道を1台ずつ走り、区間タイムの合計で順位を争うラリー競技。最も過酷とも言われる「世界ラリー選手権(WRC)」は、1911年の「ラリー・モンテカルロ」から始まり、現在も世界中で人気の大会だ。2022年~2024年には、3年連続で愛知・岐阜両県で開催され、日本人ドライバーの勝田貴元選手が活躍したことも記憶に新しい。

手前から「トヨタ セリカ ST185」(1994年)、「スバル インプレッサ555」(1966年)、「三菱 ランサー エボリューションIII」(1955年)
手前から「トヨタ セリカ ST185」(1994年)、「スバル インプレッサ555」(1966年)、「三菱 ランサー エボリューションIII」(1955年) / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA

1985年シーズン末に登場した、WRC参戦用ミッドシップ4WD車両「ランチア デルタ S4」(1986年)
1985年シーズン末に登場した、WRC参戦用ミッドシップ4WD車両「ランチア デルタ S4」(1986年) / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA


こちらのコーナーでは、世界各国で開催された過酷なラリーを走破した名車を展示している。

■9.「24時間耐久レースの世界」
1907年にアメリカ・フィラデルフィアで初めて開催された、24時間レース。このような耐久レース形式によって、長時間・長距離を走ることができる自動車が登場する。ここでは、24時間レースに挑んだ、耐久性に優れた車両を展示解説している。

「ル・マン 24時間レース」を4連覇した「ベントレー 4 1/2」(1928年)(写真手前)
「ル・マン 24時間レース」を4連覇した「ベントレー 4 1/2」(1928年)(写真手前) / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA

「マツダ 787B」(左、1991年)と「トヨタ GT-One」(右、1999年)。一部の車両は、空間全体を使用して特別展示
「マツダ 787B」(左、1991年)と「トヨタ GT-One」(右、1999年)。一部の車両は、空間全体を使用して特別展示 / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA


■10.「世界最高峰レースへの挑戦 トヨタF1編」
世界最高峰のレースカテゴリーと称されるF1は、ライバルとの激しい競争や、主催者による規則改定に対応するため、1年に1台のペースで新車を開発する。市販車の約4倍ともいわれる圧倒的な開発スピードのもと、バーチャルな計算上の世界とリアルのクルマを短時間で擦り合わせ、精度の高いニューマシンを開発している。自動車業界が全力で最先端技術を注ぎ込み、一切の無駄を排したレーシングカーを間近でチェックしよう!

2009年に「F1アブダビグランプリ」で6位入賞を果たした「トヨタ TF109」(2009年)
2009年に「F1アブダビグランプリ」で6位入賞を果たした「トヨタ TF109」(2009年) / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA


■11.「フジを彩ったツワモノ・マシン」
1970年ごろ、各自動車メーカーは、環境に配慮した“排気ガス規制”をクリアできるクルマの開発に注力するため、モータースポーツから遠ざかっていた。そんな中、「富士スピードウェイ」ではプライベートチーム主体の「富士グランチャンピオンシリーズ」、いわゆる“グラチャン”が1971年に初開催され、サーキットを盛り上げていた。

1970~80年代の「富士スピードウェイ」を盛り上げた「Footwork ムーンクラフト スペシャル 7/マーチ85J ヤマハ」(1987年)
1970~80年代の「富士スピードウェイ」を盛り上げた「Footwork ムーンクラフト スペシャル 7/マーチ85J ヤマハ」(1987年) / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA

アルミ製ボディをまとい、「第3回日本グランプリ」で富士スピードウェイを走った「トヨタ2000GT」(1966年) ※2025年3月中旬までの期間限定展示
アルミ製ボディをまとい、「第3回日本グランプリ」で富士スピードウェイを走った「トヨタ2000GT」(1966年) ※2025年3月中旬までの期間限定展示 / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA


そして1980年代後半になると、排気ガス問題を克服した自動車メーカーが「富士スピードウェイ」に戻り始め、メーカー間の威信をかけた競争が激化。このコーナーにも展示されているような、のちに名を残す数々の名車たちが登場した。

シーズン途中のレギュレーション改定に泣いた悲運のマシン「トヨタ スープラ ターボA(MA70)」(1990年)
シーズン途中のレギュレーション改定に泣いた悲運のマシン「トヨタ スープラ ターボA(MA70)」(1990年) / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA



■12.「世界記録に足跡を残したクルマ」
1980年代後半から、“世界中の公道を集めたコース”と言われるドイツのサーキット「ニュルブルクリンク」のラップタイム(周回タイム)の早さが高性能車の証とされるように。以来、現在にいたるまで、世界中の自動車メーカーがこの“クルマ道場”に通い、開発車両と技術者たちを鍛えている。ここでは、「ニュルブルクリンク」をはじめとする、世界各国で記録を残した車両が紹介されている。

FIA公認の速度記録会に挑戦した「トヨタ 2000GT スピードトライアル」(1966年)
FIA公認の速度記録会に挑戦した「トヨタ 2000GT スピードトライアル」(1966年) / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA

ニュルブルクリンクで鍛えられたピュアスポーツモデル「ホンダ NSX-R」(1996年) ※2025年1月中旬までの期間限定展示
ニュルブルクリンクで鍛えられたピュアスポーツモデル「ホンダ NSX-R」(1996年) ※2025年1月中旬までの期間限定展示 / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA


■13.「日本発・新しいモータースポーツ」
1980年代、日本にはチューニングカーブームが到来。そのころには「鈴鹿サーキット」や「富士スピードウェイ」で、旋回中のクルマの後輪または4輪を横滑りさせながら走る、ドリフト競技が開催されるようになった。漫画や映画の影響もあり、いまやドリフト競技はアメリカをはじめ世界各地で高い人気を集めており、ここではその一端を見ることができる。

「トヨタ GRスープラ ドリフト HKS」(2019年)は、HKS社のデモカーとして華麗なドリフト走行を行うため、各部にカスタムを施したチューニングカー
「トヨタ GRスープラ ドリフト HKS」(2019年)は、HKS社のデモカーとして華麗なドリフト走行を行うため、各部にカスタムを施したチューニングカー / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA


■14.「アメリカンドリームへの挑戦」
1980年代初頭の「日米自動車摩擦」にともなう輸出自主規制などをきっかけに、日本の乗用車メーカー各社は、アメリカ各州に自動車工場を建設。そうすることで「米国産車」として、アメリカ国内でも市民権を得た各社は、北米最高峰カテゴリーレースへの参戦を開始。このエリアに展示される車両のような、さまざまな人気車も誕生した。

「ローラ T93 ホンダ」(1994年)は、1993年の「CARTワールド・シリーズ」参戦初年の苦しいエンジン開発を糧に、その翌年に栄光を掴んだ ※2025年1月中旬までの期間限定展示
「ローラ T93 ホンダ」(1994年)は、1993年の「CARTワールド・シリーズ」参戦初年の苦しいエンジン開発を糧に、その翌年に栄光を掴んだ ※2025年1月中旬までの期間限定展示 / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA

10戦10勝を達成した、戦後最強のアメリカンレーシングカー「オールアメリカンレーサーズ イーグル マークIII トヨタ “IMSA GTPシリーズ チャンプカー”」(1993年)
10戦10勝を達成した、戦後最強のアメリカンレーシングカー「オールアメリカンレーサーズ イーグル マークIII トヨタ “IMSA GTPシリーズ チャンプカー”」(1993年) / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA


■15.「これからのモビリティとモータースポーツ」
現在は、電気、水素、バイオ燃料などを採用し、「カーボンニュートラル」の実現に向けた動力源の技術革新に取り組んでいる自動車産業。約130年の歴史を経て、モータースポーツは19世紀末以来、再び動力源の転換期を迎えているようだ。ここは、次世代モビリティへの挑戦を続ける各自動車メーカーの、新たな名車の誕生を期待させるコーナーとなっている。

■【特別展示】期間限定!今しか見られない伝説の車両を展示
2025年1月現在、「富士モータースポーツミュージアム」では、施設内の一部で期間限定の特別展示を実施。歴史に名を残す名車たちの姿を、その目に焼き付けよう!

■「富士特別展第2弾」
2025年1月31日(金)まで開催中
1980年代に「富士スピードウェイ」を彩ったツーリングカーと、戦前「多摩川スピードウェイ」で行われたレースで総合優勝を果たした実車たちを展示中。併せて、当時の映像と写真も公開している。

実際に「富士スピードウェイ」を走った名車が見られるのは、2025年1月末まで
実際に「富士スピードウェイ」を走った名車が見られるのは、2025年1月末まで / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA

左から「トヨタ TRD AE86 N2 レビン」(1985年)、「トヨタ Weds Sport Corolla LEVIN」(1988年)
左から「トヨタ TRD AE86 N2 レビン」(1985年)、「トヨタ Weds Sport Corolla LEVIN」(1988年) / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA

手前から「日産 トレド246トリイサニー」(1989年)、「浅野自動車 スターレット」(1982年)
手前から「日産 トレド246トリイサニー」(1989年)、「浅野自動車 スターレット」(1982年) / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA


■「THE GOLDEN AGE OF RALLY IN JAPAN」
2025年4月8日(火)まで開催中
愛知・岐阜の両県で開催された「世界ラリー選手権 フォーラムエイト・ラリージャパン2024」。この大会でも展示された6台のクラシックラリーカーを「富士モータースポーツミュージアム」に移し、「THE GOLDEN AGE OF RALLY IN JAPAN」として企画展を実施している。1960~80年代を彩った華やかな欧州ラリーカーや、1980~90年代にかけて世界のラリーを制した国産車が、「富士モータースポーツミュージアム」に集結!

【展示車両】
・「フィアット X1/9 アバルト プロトティーポ」(1974年)
・「ミニ クーパーS」(1966年)
・「ランチア ストラトス」(1976年)
・「フィアット131アバルト Gr4」(1978年)
・「アウディ クワトロ」(1981年)
・「ルノー サンク ターボ」(1981年)
・「トヨタ セリカ ツインカムターボ TA64」(1984年)
・「トヨタ セリカ GT-FOUR ST185」(1994年) ※常設
・「三菱 ランサーエボリューションIII」(1995年) ※常設
・「スバル インプレッサ555」(1996年) ※常設

■【3階】サーキットを見渡すテラスのあるカフェ
「富士モータースポーツミュージアム」の3階には、ショップ&カフェ「Fan Terrace」を併設。レースイベントに合わせたグッズや、クルマの部品を使ったアップサイクル商品、富士山土産などを販売している。

豊かなカーライフを演出する希少な書籍やグッズを販売
豊かなカーライフを演出する希少な書籍やグッズを販売 / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA


カフェには幅約50メートルにわたるテラス席が設けられており、「富士スピードウェイ」の最終コーナーからホームストレートなど、壮大なパノラマが楽しめる。店内席やテラス席は、1ドリンクオーダーで利用可能。レースイベントなどがある日は、別途チャージ料金がかかる場合もある。

テラス席は富士スピードウェイを望む特等席
テラス席は富士スピードウェイを望む特等席 / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA


■「富士スピードウェイ」とともに楽しもう!
「富士モータースポーツミュージアム」は、「富士スピードウェイホテル」と一体化したミュージアム。今あるクルマたちの性能は、これまでのモータースポーツ界における切磋琢磨があったからこそ実現していると言っても過言ではない。サーキットでは実際に走るクルマを楽しみながら、そんなクルマを鍛え、進化させた歴史をこのミュージアムで知り、モータースポーツの魅力にどっぷりと浸かろう!

富士モータースポーツミュージアムは、富士スピードウェイホテル内にある
富士モータースポーツミュージアムは、富士スピードウェイホテル内にある / photo by Kanji Furukawa / (C)KADOKAWA



【取材・文=民田瑞歩/撮影=古川寛二】

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