1984年6月2日、広島の裏路地から始まった一軒のカジュアル衣料品店が、今では世界的なブランドとなった。それが「ユニクロ」だ。
現在のユニクロでもおなじみのセルフサービス型の店舗スタイルは、すでにここから始まっていた。創業時は他ブランドも扱うセレクトショップだったが、時代に合わせて進化し、ユニクロの成功物語がスタートした。
ユニクロはどのように始まり、どのような変革を遂げて成長したのか。今回はユニクロの広報担当者にインタビューし、40周年を迎えたユニクロ第一号店の誕生秘話を聞いた。
■裏路地から始まったユニクロ第一号店
1984年6月2日、広島市中区袋町裏通りに「ユニーク・クロージング・ウエアハウス(UNIQUE CLOTHING WAREHOUSE)」というカジュアル衣料品店が開業した。これが、いまや世界的に知られるユニクロの第一号店だった。
ユニクロを創業した柳井正さんは、山口県宇部市にある紳士服販売を手掛ける小郡商事(柳井さんの父親が創業。現ファーストリテイリング)に勤務していた。そこで柳井さんは、カジュアル衣料市場の成長を見越し、本格的にカジュアルウェアを取り扱うショップを開業する決断をした。
「ユニセックスのカジュアル衣料を提供するこの店舗の誕生が、まさにユニクロの歴史の幕開けでした」
ユニクロ誕生当初から掲げていたコンセプトは「セルフサービスの倉庫のような店」。このスタイルは、アメリカの大学生協の仕組みからインスピレーションを得たもので、顧客が自ら商品を手に取って購入するという効率的な販売方法を目指していた。
当時は、現在のようにユニクロ自社ブランドの商品を展開していたわけではなく、セレクトショップとして他ブランドの商品を扱っていた。この独自の販売コンセプトは、その後の全国展開においても継承され、ユニクロの強みのひとつとなっている。
■変わらない経営方針と、進化を続けた商品ラインナップ
ユニクロが誕生した当初と現在を比較すると、最も大きな違いは取り扱う商品ラインナップだ。創業当初はセレクトショップとしてさまざまなブランドの商品を扱っていたが、現在ではユニクロ独自の商品開発が主軸となっている。
「一方で、経営方針に関しては、当時から現在にいたるまで一貫して変わっていません。顧客の声に耳を傾け、時代のニーズに応じた商品を提供するという姿勢は、今もユニクロの経営の根底にあります」
ユニクロが全国展開を果たした背景には、郊外店舗の展開が大きく関与している。ロードサイド店舗をメインに店舗数を増やし、着実にその存在感を広げていった。
また、1990年代に「SPA(製造小売業)」モデルを導入し、自社で商品を企画し、製造・販売する体制を確立。これにより、商品開発から販売までを一貫して管理できるようになり、競争力をさらに強化した。
そして、ユニクロが全国的な認知を獲得するきっかけとなったのは、1998年から始まったフリースブームである。当時、アウトドアブランドのフリースが1万円以上で販売されていたなか、ユニクロはこれを1900円という破格の値段で発売し、一大ブームを巻き起こした。
■現在まで続く大ヒット商品たちと、未来を描くユニクロ
ユニクロはこれまでに多くのヒット商品を生み出してきた。フリースが発売されたのは1994年、ヒートテックが登場したのは2003年、そしてUT(ユニクロTシャツ)は2007年に誕生した。
2009年にはウルトラライトダウンが発売され、2012年にはエアリズムが登場している。また、感動パンツ(2014年)やラウンドミニショルダーバッグ(2020年)といった商品も大ヒットを記録した。
「ユニクロが日本全国で約800店舗を構えるまでに成長できたのは、顧客の声に真摯に向き合ってきたからだと自負しています。ポジティブなフィードバックだけでなく、ネガティブな意見も受け止め、商品やサービスの改善につなげてきた結果として、現在のユニクロがあると考えています」
これから迎える50周年、60周年、70周年に向けても、ユニクロは顧客に対する感謝の気持ちを忘れず、引き続き顧客の声を反映しながら進化を続けていくだろう。ユニクロの未来への挑戦はまだまだここからだ。
取材・文=越前与