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コーヒーで旅する日本/四国編|静かな海辺の小さな憩いの場。多様なコミュニティが交わる「みんなのコーヒー」の大らかな引力

  • 2023年8月24日
  • Walkerplus

全国的に盛り上がりを見せるコーヒーシーン。飲食店という枠を超え、さまざまなライフスタイルやカルチャーと溶け合っている。瀬戸内海を挟んで、4つの県が独自のカラーを競う四国は、各県ごとの喫茶文化にも個性を発揮。気鋭のロースターやバリスタが、各地で新たなコーヒーカルチャーを生み出している。そんな四国で注目のショップを紹介する当連載。店主や店長たちが推す店へと数珠つなぎで回を重ねていく。

四国編の第5回は、愛媛県新居浜市の「みんなのコーヒー」。静かな海辺の集落の奥、ぽつりと現れる小さな店の前に広がるのは、穏やかな瀬戸内の海と大小の島々。日常から遠く離れた、のどかな店を訪れるのは、ライダーやサイクリスト、SUPを楽しむ人々、さらには愛らしい猫たちまでも。「一杯のコーヒーから、知らない人とも会話が生まれるのが楽しくて」という店主の伊藤さんが、店を始めるに至ったのは、会社員時代にコーヒーが取り持つつながりに大きな魅力を感じたことがきっかけ。創業以来、多くの人の縁が広がり、いまやこの店は、さまざまなコミュニティが交わる場所に。そんなコーヒーの可能性を信じる伊藤さんの原点でもある、印象的な店名に込められた思いとは。

Profile|伊藤淳 (いとう・じゅん)
1973年(昭和48年)、愛媛県新居浜市生まれ。企業の事務職として勤務していた頃に、コーヒーが持つ魅力に気付き、抽出の楽しさやコーヒーを通したコミュニケーションの楽しさを見出す。その後、開業を目指して松山の自家焙煎コーヒー店に就職。コーヒーの基本を学び、出産を機に地元に戻って、2009年に「みんなのコーヒー」を立ち上げ豆の販売をスタート。新たに立ち上げた地元のマルシェを通じて多くのファンを得て、2013年に現在地に移転リニューアル。

■何気ない一杯に感じた、コーヒーの無限大の可能性
凹型を描く四国北部の沿岸、ちょうどそのへこみの真ん中にある、新居浜市の東の端。海沿いに並ぶ大小の工場や倉庫が尽きて、小さな集落の奥に分け入ると、花畑に囲まれてポツリと立つ「みんなのコーヒー」の店構えが現れる。ゆるやかな坂のアプローチから入口に近づくと、ほのかに鼻をかすめる潮の香。果たして扉を開くと、大きく開いた窓の向こうには、どこまでも広がるまぶしい空と海の青。そのまま歩み出ると、岸壁越しにむっくりと浮かぶ大島の姿。瀬戸内の穏やかな風景を前に、気持ちも溶けていく。一見、ひなびた海辺の店に、これほど劇的な展開があろうとは、よもや思うまじ。「目の前の大島をお客さんに見てほしくて、店を立てるときに地面の嵩上げから始めたんです」という店主の伊藤さん。店のフロアは海辺までフラットに続いていて、朝からSUPを楽しんだ人たちが立ち寄り、さながら海の家のような開放感がなんとも心地よい。

朗らかな笑顔と軽快なおしゃべりで、和気あいあいの空気を生み出す伊藤さん。実は以前は事務職のOLとして企業で勤務していたが、「もっと人と接する仕事をしたい」と思っていたところに、きっかけをくれたのが一杯のコーヒーだった。「会社に入った頃は、慣れない仕事でいっぱいいっぱいになっていました。そんなとき、ちょうど大阪での研修があって、帰りに立ち寄ったドトールコーヒーに思わぬ転機がありました。当時は地元にまだなかったので、せっかく来たからと入ってみよう、くらいの気持ちでしたが、そこでコーヒーを飲んでいたら不思議なくらい気分が落ち着いて。ここまで気持ちを変えてくれて、助けられた飲み物はないなと感じたんです」と振り返る。

 
新居浜勤務となって以降も、わざわざドトールから豆を取り寄せ、会社で同僚に淹れていたという伊藤さん。やがて社内にその味は定着し、ついには“新居浜支社に行くとおいしいコーヒーが飲める”と、他部署の同僚にまで広がっていったそう。何より、「自分でもだんだんドリップするのも楽しくなって、コーヒーを通じていろんな人と会話が生まれるのも楽しくなって、コーヒーに無限大の可能性を感じました」と、誰あろう伊藤さんが、すっかりコーヒーの虜になっていた。

やがて「コーヒーに関わる仕事がしたい」との思いは膨らみ、やるならば自分がしたい店を作ろうと、松山の自家焙煎コーヒー店に就職。新規支店の立ち上げにも関わり、コーヒーの知識や技術、経営ノウハウまで、さまざまなイロハを学んだ。とはいえ、店に勤めるのでは定年という限界があり、生涯続けるには豆の焙煎からやらねばと気持ちを固めていった。数年後、出産を機に地元の新居浜に戻り、しばらくは育児と仕事をこなす日々の中で、「当時は自宅を改装したショップが流行っていて、カフェは無理でも豆の販売ならできるかもと思って」と、店の立ち上げの可能性を見出した。

■メニューが物語るロースターとしての足跡
2007年から手網焙煎を始め、やがて手回しの機械を購入。松山の自家焙煎コーヒー店に焼いた豆を持って行って評価をもらうなど、少しずつ手ごたえをつかみながら、自分のコーヒー作りに取り組むこと2年。2009年に新居浜市内にある自宅の一部を焙煎所にして、「みんなのコーヒー」はスタートした。

「開店から1年はまずはお試しみたいな感じで、しばらく手回し機械で焙煎していました。団地の奥の隠れ家的な場所だったので、口コミで少しずつ店の存在を広まっていった感じ。それでも、さらに広げるにはやはり飲んでもらう機会がないと、と思っていました」と伊藤さん。そこで、地元の店主らとともに、アンティーク、雑貨、フードのショップが集まるマルシェのようなイベントを企画。伊藤さんはフード部門の担当として、最初は7店で始まったが、次回に35店、やがて80~100店にまで出店者が増え、来場者も何万人単位の規模に広がった。

「4年ほど続けて、ここで味を知ったお客さんが店を訪れる数も増えて。このときは、オーダーに応えるために、ひたすら焙煎していた」と、自宅の店は追いつかなくなり、喫茶もできる場所を探し始めた。お客さんにも手伝ってもらって出会ったのが、この海辺の集落にあった古い建屋。一見、店を作るには不向きにも思えるが、裏手に広がる瀬戸内と大島の眺望に心惹かれた。「今思えば、教えてくれたお客さんは先見の明がありましたね」という新天地で心機一転。2013年に「みんなのコーヒー」は新たなスタートを切った。

現在、コーヒーの品ぞろえは20種を超える幅広さだが、「店を始めたばかりの頃は、コロンビアしかなかったんですよ。お客さんに“ブレンドはないですか?”と聞かれて、“そうか!”と気付いたくらいで」と笑う伊藤さん。メニューに記されたスタンダードとスペシャルティというカテゴリーは、伊藤さんの焙煎の足跡を伝えるものだ。

「元々は、いわゆるプレミアムやコモディティの豆から焙煎を始めたので、スタンダードのコーヒーが店の原点です。当時はスペシャルティコーヒーは手が届かない豆だと思っていて。開店3年目くらいに、兵庫のマツモトコーヒーを紹介してもらってスペシャルティもメニューに入りましたが、お客さんの方でも注文を使い分けていて、元々のファンもいたので、スペシャルティだけに絞らずスタンダードもそのまま残したんです」

ロースターとしては質を追求したくなるが、お客本位の良心的な提案はこの店らしさ。文字通りの原点、オリジナルブレンドがスタンダードの枠に入っているのはそのため。ほろ苦さと淡い酸味、ふっくらと広がる香味は余韻も軽やか。肩肘張らない、飲み飽きない味わいはこの店の大らかな雰囲気に似つかわしい。

■小さな店から“みんな”に広がるコーヒーの縁
同じ市内とはいえ、場所が変われば、お客の顔ぶれも新たに広がったという。伊藤さん自身バイクに乗ることもあって、バイクメーカーからの提案で移転オープンに合わせてイベントを開催。以来、ライダーやサイクリストがツーリングの拠り所として集まるようになった。さらには、海辺でSUPを楽しむ人々とつながったのも、開店後の偶然の出会いから。「パドルを落としたので、もし潮が引いて見つかったら連絡ください」という些細なやり取りがきっかけで、いまやSUP仲間が集うクラブハウスのようになることもある。

伊藤さんは地元のコミュニティFMでも番組を持つことになり、お客のつながりからゲストを招き、店内で収録。リスナーにも店の存在を広げている。また、集まるのは人ばかりではない。時おり店を出入りする猫たちは、元々はこの辺りにいた“先客”。伊藤さんが世話をするうちに、懐いた猫は6匹まで増えて、今では店の招き猫として親しまれている。移転を機にさまざまに広がったコミュニティが、日々店内で行き交い、界隈の日常に欠かせない拠り所となっている。

移転前のお客は少々距離が離れてしまったが、「今でも豆をお求めの方のために、毎週水曜は配達の日にして届けています」と伊藤さん。ただ、配送はしてもネット販売はしていない。その理由は、「ここに来てこその体験があるから。ここにしかない景色とつながりをぜひ感じてほしい。何もない場所だからこそ、逆にいろんな人の発想やアイデアでいろいろなことができる」。いまや休日には全国からお客が来る場所になった。「でも、ここは地元の人がいて、私たちがそこに入っていく感覚でやってきた」と、あくまで、地域のための場所としてあり続けている。

ところで、何ともユニークな店の名前は、伊藤さんのお子さんが名付け親だそう。「焙煎を始めた頃、息子に言われたんです。“お母さんは、みんなにコーヒー飲んでもらいたいんやろ? だったらこのコーヒーは、みんなのコーヒーやな”って。それを、そのまま屋号にしたんです。その頃は、それこそ家族や親戚、知人、周りのみんなに自分が焙煎したコーヒーを飲んでもらっていたし、それをきっかけに遠い関係の人や知らない人とも話せたりした。そこから始まった店なので」。伊藤さんの仕事を傍で見ていたお子さんの見立ては、まさに慧眼。いまやこの店のコーヒーは、彼が思うよりずっとたくさんの“みんな”に届いている。

■伊藤さんレコメンドのコーヒーショップは「LIMA COFFEE ROASTERS KAWARAMACHI」
次回、紹介するのは、香川県高松市の「LIMA COFFEE ROASTERS KAWARAMACHI」。「うちのロケーションとは好対照の、都会的な雰囲気が感じられるお店。高松の繁華街・瓦町の真ん中にあって、街を歩いて立ち寄れるのは、普段、車移動の私にとって新鮮な気持ちになります。お店とお客さんとの距離感も近すぎず遠すぎず、さらっとした雰囲気が心地よいですね。スペシャルティコーヒーの品ぞろえも幅広く、コーヒー豆や焙煎の話もできて、同業者としても勉強になります」(伊藤さん)。

【みんなのコーヒーのコーヒーデータ】
●焙煎機/フジローヤル1キロ(直火式)
●抽出/ハンドドリップ(ハリオ)
●焙煎度合い/浅~深煎り
●テイクアウト/ あり(450円~)
●豆の販売/ブレンド6種、シングルオリジン13~14種、100グラム550円~

取材・文/田中慶一
撮影/直江泰治

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