
全国的に盛り上がりを見せるコーヒーシーン。飲食店という枠を超え、さまざまなライフスタイルやカルチャーと溶け合っている。
なかでも九州はトップクラスのロースターやバリスタが存在し、コーヒーカルチャーの進化が顕著だ。そんな九州で注目のショップを紹介する当連載。店主や店長たちが気になる店へと数珠つなぎで回を重ねていく。
九州編の第63回は、福岡県北九州市にある「Jazzy coffee」。小倉北区と市街地に位置するものの、マンションやアパートが建ち並ぶ裏通りにあり、存在を知らなければ通り過ぎてしまいそうだ。むしろ、あえて目立たないようにしている風にも感じるし、インターネットなどでもあまり情報は出てこない。店で迎えてくれたのは野本錦さん。立ち振舞や醸し出す雰囲気から同店のオーナーかと思いきや、「僕は店長みたいなものです」とひと言。その理由は野本さんの現在の仕事につながる経歴を聞いて納得した。然るべき場所で修業を積んで独立開業という正攻法ではなく、自身が持つコーヒーの知識・技術を伝えていくことで、コーヒーと関わり生きている野本さんに新たなバリスタ像を垣間見た。
Profile|野本錦(のもと・にしき)
1989(平成元)年、福岡県行橋市生まれ。高校卒業後、福岡市の飲食店で働く。22歳で北九州市に戻り、会社員として約4年勤務。その中で最初に社会人として働いた飲食の世界に改めて魅力を感じ、上京。昼はDeus Ex Machina HARAJUKU(現Asakusa)でバリスタ、夜はFUGLEN TOKYOでバーテンダーとして働き、コーヒーやお酒の知識、技術を磨く。自分のことを知っている人がいない場所で勝負をしたいと2018(平成30)年、鹿児島市へ移住。とある縁から鹿児島県のいちき串木野市でSHIRAHAMA COFFEE STAND、KENTO COFFEE、吹上浜フィールドホテル内のバーの立ち上げに関わる。2021(令和3)年、友人とともに「Jazzy coffee」を立ち上げ、現在はバリスタとして店に立つ。
■自分の力だけでどこまでやれるか
結論から述べると「Jazzy coffee」は野本錦さん所有の店ではない。野本さんは今までオーナーという肩書きを背負ったことはなく、普段から名刺さえも持ち合わせていないという。ひと言で述べると野本さんはコーヒーに関するプロデューサーのようなもの。
東京の有名店でバリスタ、バーテンダーとして働き、確かなエスプレッソの抽出技術、知識を身に付け、多くのコーヒーショップとも繋がりを作ってきた野本さん。東京では2つの店でおよそ2年間にわたりコーヒー漬けの日々を送っていたが、「東京時代、Deus Ex Machina HARAJUKU(現Asakusa)、FUGLEN TOKYOで働かせていただき、本当に充実した日々を送りました。ただ、日々店に立つ中でDeus、FUGLENという店のネームバリューでお客さまが来てくださっていると感じ始めたんです。極論、僕が淹れたコーヒーじゃなくても良いわけで、そんなことを考えるようになって違う場所で自分の力を試してみたいという気持ちを強くしていきました。上京当初、いつかは地元の北九州市もしくは福岡市に戻ろうと思っていましたが、それだと知人や友人もいて、“今の自分の力だけで”という挑戦はできません。それで、縁もゆかりもない鹿児島市に移り住むことにしました」と振り返る。
鹿児島市に移住した野本さんは、自身の店を持つという選択はせず、とにかく新たな人の縁を作ることに専念。もちろん、自身の経歴、持っているスキルもフックにしたが、当時はそれが仕事に繋がるとは思ってもいなかったそう。ただ、人当たりが良く、フットワークが軽い野本さんの性格、そして今まで培ってきたコーヒーに関する技術・知識に興味を抱いた人から、あるお願いをされる。それが「いちき串木野市の温泉施設にコーヒースタンドがあるんですが、その店のリブランディングを手伝ってくれませんか?」という相談だった。
「くしき野白浜温泉 みすまるの湯という地元民が日常的に利用する温泉施設だったのですが、行ってみると海が目の前にあって、すごいポテンシャルを秘めている場所だと感じたんです。温泉施設のオーナーさんの、コーヒーを通して若い世代にも足を運んでもらえるような施設に、という思いにも共感して『SHIRAHAMA COFFEE STAND』を一からプロデュースさせていただくことにしました」
■コーヒーを通した人との対話
「SHIRAHAMA COFFEE STAND」は人口わずか26,000人ほどの小さな町の、なんの変哲もない温泉施設内にあるが、SNSや口コミで評判を集め、コーヒーを目当てに訪れる若者が急増。野本さんは東京で自身が体験してきたコーヒーカルチャーをいちき串木野市に広めた人として知られるようになり、その後新たに別の温泉施設からコーヒーショップ『KENTO COFFEE』開業のオファーを受けることに。野本さんにとって、この時期から本格的にプロデューサーという立ち位置が確立した。
「バリスタとはコーヒーを淹れるだけが仕事じゃないというのが僕の考え。端的に言うと、コーヒーを通して人と対話するのがバリスタではないでしょうか。バーテンダーも同じでお酒は対話するためのツールでしかない。だから僕にとってこれからも大切なテーマは“ドリンクを使って自分をどう表現していくか”ということ。ただ、独りよがりでは絶対ダメで、その地域、店がある環境、そこを利用される方々のことを考えることは絶対に必要。1店舗目の『SHIRAHAMA COFFEE STAND』も、2店舗目の『KENTO COFFEE』も、そこがぶれなかったからこそ、今も多くの人に親しんでいただいているのかな、と思っています」
■拠点はどこにも置かない
野本さんはエスプレッソマシンでの抽出を教えるトレーナー業も積極的に行っている。むしろ案件的にはトレーニングの方が多いそうだ。活動が多岐にわたる野本さんは「拠点は必要ない」と話し、現在住んでいる北九州市も地元ではあるものの、拠点ではないと言い切る。今回フォーカスした「Jazzy coffee」も然りで、「バリスタとして店に立ってはいますが、県外などから依頼があればそちらを優先させてもらっています。ただ僕にとって『Jazzy coffee』はコーヒーはもちろん、アートや音楽など自分が好きなものを凝縮させた場所。そういう意味では思い入れは強いですね」と野本さん。
その言葉通り、店内の壁にはサイケデリックで幾何学的な壁画が描かれ、流れるBGMも友人のミュージシャンが手がけたもの。コーヒー豆も全国的に注目を集める東京・蔵前のLEAVES COFFEE ROASTERSから仕入れるなど、随所にこだわりが光る。
「コーヒーって産地も精算処理もさまざまで、かつ数え切れないほどのロースターがいて、多様性が魅力のドリンクじゃないですか。僕も焙煎はやるんですが、すべてを自家焙煎の豆にするのって、その世界観を狭めてしまうと思っているんです。だから『Jazzy coffee』では九州においてほぼ取り扱いのないLEAVES COFFEE ROASTERSさんから仕入れさせていただいています。地方に暮らしていても、東京の先端のコーヒーに触れられるっていう体験は大切かなと思っていて。そして、そういうスタンスで店を営んでいると、自ずとトレンドやサブカルチャーなどに敏感なお客さまが不思議と多く集うようになるんですよね。これもまた狙いで、まずドリンクを入口に店に来ていただき、そしてアートや音楽に触れていただく。そういったお客さま同士が繋がることで、新しいシナジーが生まれる。これが僕の理想とする『Jazzy coffee』のスタイルです。北九州市を含めて地方都市では若者の流出が問題になっていますが、それって地元では自分がしたいことが叶わないから、という理由が多いんですよね。僕はそうじゃないと思っていて、地元でもできることはあると思うんです。中でもクリエイティブな業界ではその傾向が顕著で、素晴らしい才能を持った若者が地元を離れてしまうのはもったいない。当店は小さなコーヒーショップですが、そういったクリエイティブな側面からも琴線に触れるような体験が生まれる場所にしていきたいと思っています」
拠点を構えることなく、常にフットワーク軽く、アクションを起こす野本さん。鹿児島に移り住んだあとのエピソードを聞くと、コーヒーはあくまでツールでしかないという言葉もどこか納得できる。「多くの場所に、良いものと出会える機会、選択肢を増やす」という思いのもと、今も新たなオファーに応えているところだ。
■野本さんレコメンドのコーヒーショップは「Calmest coffee shop」
「熊本県熊本市にある『Calmest coffee shop』はシェアロースターをされていて、僕もたまに焙煎機をお借りしています。人をとても大事にしているコーヒーショップで、コーヒーを通したチャリティ活動にも力を入れられています。焙煎を担当されているご主人はコーヒー業界での経験はゼロですが、探究心の塊のような人で、それがコーヒーの味わいにも出ていると感じますね。なんでもそうですが、年数ではなく、思いの深さ、強さだと感じさせてくれる一店です」(野本さん)
【Jazzy coffeeのコーヒーデータ】
●焙煎機/なし
●抽出/ハンドドリップ(Kalita ウェーブ、ORIGAMI)、エスプレッソマシン(LA MARZOCCO Linea-2)
●焙煎度合い/浅煎り
●テイクアウト/あり
●豆の販売/100グラム1200円〜
取材・文=諫山力(knot)
撮影=大野博之(FAKE.)
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