中田英寿氏が47都道府県を旅して出会った日本の「わざ」と「こころ」。日本のことを知るために47都道府県を巡る中田氏の旅は6年半におよび、移動距離は20万キロになった。その間、訪れた地は約2000に。そこで中田氏は、現地に行かなければわからない、素晴らしき日本があることを知った。
ウォーカープラスでは、中田氏の「に・ほ・ん・も・の・」との共同企画として、珠玉の“にほんもの”をお届けする。
中田英寿
「全国47都道府県の旅で出会ったヒト・コトを、”工芸芸能・食・酒・神社仏閣・宿”に分けて紹介。日本文化を多くの人が知る『きっかけ』を作り、新たな価値を見出すことにより、文化の継承・発展を促していきたい。」
鹿児島で大島といえば、奄美大島。離島としては日本で3番目の大きさを誇り、2021年7月には「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」の世界自然遺産への登録が決議された。奄美空港から、車を走らせること約30分。澄んだ青い海、力強く育つ南国の木々の先に、世界中で奄美大島だけが行う天然の染色方法「泥染め」の伝統を守る染工所「金井工芸」がこじんまりと佇む。
大島紬はフランスの「ゴブラン織り」、トルコ・イランの「ペルシャ絨毯」と並び世界三大織物のひとつに数えられる。図案作成から織りまで30から40ほどの工程によって生み出される生地は、1本の反物が完成するまで半年から1年以上を要するという。
その特徴は職人の技法によって生まれる美しいつやと、軽くて暖かく、しわになりにくいしなやかな着心地。また、200年着続けられるほど丈夫なつくりは、親子3代に渡って受け継がれるなど世代を超えて愛用される。
「大島紬は約1300年以上の歴史を持っていて、デザインや図案、染め、織りと分業で作られてきた奄美の基幹産業です。私は一度奄美を離れて、25歳のときに島に戻って染めを始めました。多くの人と染めを通して接点を持ちながら、この文化を受け継いでいくことを楽しみながらやっています」と金井志人さんは語る。
大島紬は、奄美で育つ車輪梅(しゃりんばい)を染料として、その中に含まれるタンニンが泥の中で鉄分と化学反応することで漆黒の黒に染め上がる。車輪梅は東北地方南部以南に生息するバラ科の低木で街路樹としてもよく見かけるが、奄美で育つ車輪梅からとれる染料は特に色が濃いと金井さんは言う。
「大島紬といえば濃色で深い輝きのシルクが有名ですが、黒く染まるまでどれくらい染めを繰り返すんですか?」という中田の問いに対し、「80から100回程度です。染料に20〜30回染めては、泥のなかで化学反応させ、干して、洗う。これを繰り返します。天気が良いときでだいたい1週間くらいの作業です」と金井さんは答えた。
この泥には、150万年前の古い地層から水に溶けた出た鉄分が多く含まれている。それがこの奄美大島でしか見られない黒を生み出している。そんな希少な自然資源が生み出す工芸品でありながら、かつて島内に100以上存在した泥染めの工房は、現在では4、5軒程度にまで減ってしまったそうだ。工房の脇にあるモダンなギャラリーでは、タペストリーやストール、Tシャツやワンピースなど、泥染めを施した小物や衣類を展示・販売している。
日本古来の伝統技法と現代生活を融合させる金井工芸には、首都圏からのコラボレーション企画の相談もしばしば持ち込まれるという。日本の美を支えているのは、高い技術を持ち、手間を惜しまない職人たち。若い職人の感性が、日本のもつポテンシャルを再び発見し、受け継いでいる。