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飯田線の「秘境駅」を訪ねて 「不安」と「拍子抜け」の狭間を旅する

  • 2018年11月3日
  • 乗りものニュース

愛知、静岡、長野3県の山間部を貫くJR東海のローカル線・飯田線。そこには周囲に人の気配がなく、利用者もほとんどいない「秘境駅」が多数あります。秘境駅巡りの臨時列車には乗らず、毎日運転されている普通列車に乗って秘境駅をいくつか訪ねてみました。

「負けるわけにはいかない」と訪ねたが…

 去り行く列車を恨みがましく見ていた。降りなければよかった、降りたくなかった。そんな言葉が喉元までこみ上げてくる。さて、2時間の滞在時間をどう過ごそうか。

 ここは飯田線の中井侍駅。人は「秘境駅」と呼ぶ。

 秘境駅とは、明確な定義はないが、おおざっぱにいうと「人里離れたところにあり、乗降客が極めて少なく、列車以外でのアクセスが極めて困難な駅」をさす。といっても、別に本物の未開の地ではない。だってそもそも駅だし。運命のいたずらにより、結果的に「秘境」風になったものが多い。

 秘境駅の完成までの道程はさまざまだが、分かりやすいのは、人がいて、駅ができ、やがて何らかの事情で人が去り、そして駅だけが置いてきぼりを食らってしまうもの。時間に取り残されてしまった存在ともいえる。

 ところでこの秘境駅、鉄道趣味をたしなむ者のあいだでは、人気の分野の一つだ。趣味誌では特集として組まれることもままあるし、第一人者もおられる。ただ、私自身について語ると、実はこれまで、そこまで関心をもっていなかった。旅の醍醐味には「地元の人と会える」があると思っているからだ。人がいないから秘境駅だとしたら、興味の俎上(そじょう)にはなかなかのらない。

 そう言いながらも過去に一度だけ意図的に秘境駅に降りたことがある。それは室蘭本線にある小幌駅(北海道豊浦町)だ。

 小幌駅はトンネルに挟まれた長さ約80mの谷間にあり、三方を崖に囲われている。残り一方は噴火湾、つまり海。道路は通じておらず、駅でありながら陸の孤島スタイル。かつては近隣に民家もあったそうだが、現在は誰も住んでおらず、通過する普通列車も多い。

 そんな経緯から屈指の秘境駅として有名になったが、私が訪れたのは折しもゴールデンウィークの時期。鉄道旅行が好きな「お仲間」ぞろぞろ、少なく見積もっても20人はいた。「どこから来られたのですか?」なんていう会話をしたことも覚えている。確かに秘境駅ではあるものの、不安を駆り立てられるような「秘境駅感」を味わうことはできなかった。

 趣味者のあいだでは広く認知されてきた秘境駅だけれども、最近では少しずつ一般の人たちにも知られるところとなってきた。鉄道趣味に生きる者として、負けるわけにはいかない。夏の旅行を兼ねて秘境駅ハイキングに出かけることにした。

 目的地としたのは、愛知県の豊橋駅と長野県の辰野駅を結ぶ、全長195.7kmの飯田線。天竜川に沿って走る路線は、渓谷や田園風景、それに南アルプスの山々など、変化に富む車窓を眺められる観光路線である。

普通列車で「行ったり来たり」

 この路線のいいところは、首都圏から東海道新幹線でお手軽に行けること、そして何よりも秘境駅が豊富にあることだ。具体的には、大嵐〜天竜峡間の約36kmに秘境駅と呼ばれる駅が多数ある。

 出かけると決めたら、次に考えなくてはいけないのは行程。飯田線については、同線を運営するJR東海も公に秘境路線と認めているようで、豊橋〜飯田間で臨時急行「飯田線秘境駅号」が運行されている。この急行は秘境駅での長時間停車が設けられているため、こちらが何の用意をせずとも効率よく駅を回ることができる。

 これに乗るのもひとつの手ではあるが、これでは先ほどの小幌駅と同様に「お仲間ぞろぞろコース」となるので、秘境駅感は期待できない。加えて、各駅で停車時間が設けられているといっても、たかだか30分ほどのこと。周囲を見回しているうちに発車時間が迫る。どうせ行くなら、1、2時間くらいは時間を確保したい。

 そんなわけでオリジナルの行程にすべく、時刻表を繰り始めた。ただし「乗って、次の列車で次の駅に移動して、徐々に北上する」というのではいけない。列車の本数が少ないからだ。そこで上りと下りの列車を組み合わせ、秘境駅が集中している区間を行ったり来たりすることで滞在時間を調整。2日間で5駅回ることとした。

 2018年8月20日(月)8時11分、豊橋発天竜峡行きの列車は定刻通り発車。2両編成の列車は通学客で混雑しており、立ち客もいる。60人ほどだろうか。ひと口に飯田線といっても、すべての区間が秘境なわけではない。とくに豊橋〜豊川間は日中15分間隔。その先の本長篠駅までも、おおむね1時間に1本は列車が走っている。

 豊橋発車からおよそ2時間が経過し、中部天竜駅に至る。ここで列車交換のために20分停車。周囲を見渡すと乗客は20人ほどにまで減っており、見るからに行楽のお客さんが多い。

 ホームに降りて、伸びをしていたところで、おばちゃんふたり組に話しかけられた。落ち着きなく写真を撮ったり、車内をうろうろと徘徊(はいかい)したりしている私の姿が目についたのだろう。

「秘境駅に行こうと思っているんです」
「だってあんた、降りたら次の列車は2時間以上こないでしょ。どうするの」

 実のところ、私もどうしたらいいのか分からないでいた。最初から種明かしをしていても面白くないだろうと思い、「どの辺が秘境駅に該当するか」は調べたものの、それ以上の知識はろくすっぽ頭に入れてこなかった。

 列車は順調に歩みを進め、いよいよ最初の下車が近づいてきた。用心深く、座席とトイレを何度か往復しておく。秘境駅にはお手洗いがない。人がいないし、最悪は……という考えではいたけれど。

「秘境」のすぐ先にあった民家の群れ

 11時22分、中井侍駅で下車。中井侍駅は長野県伊那郡天龍村に位置し、県内で最も南にある駅だ。目の前には線路、そして豊かな水量をたたえる天竜川が見えるが、色は濁っている。振り向くと、こちらは断崖、そしてその上に民家が1軒建っていた。人が住んでいるのか。それならいうほど秘境駅でもないのだろうか。

 ホームには名所案内板が設置されており、「三十三体観世音菩薩 東1km」とある。この名所を目指すことにして、山側に続く日陰の林道を歩き始めた。じめじめとした感じ、日の当たらない感じ、いかにも秘境駅っぽい。

「それらしさ」に感動したところで突如視界が開け、山肌にへばりつくような茶畑が広がった。民家もぽつぽつあるではないか。これ、いわゆる集落だよな。茶畑の中に続くつづら折りの道で、出鼻をくじかれた気がした。

 中井侍駅は2015年の長野統計書によれば、1日当たりの乗車人員総数は8人。内訳をみると、このうち2人は定期券利用者だ。数こそ少ないものの、日常的にこの駅を利用する人がいるのだ。

 ただ、列車の窓からだとホーム真裏の断崖しか視界に入らない。下車して駅の外を少し歩いてみない限りは周囲の様子が分からず、降りたばかりのときは「降りなければよかった、降りたくなかった」と思ってしまうのだった。そのくせ、どこにも逃げ場がないような状況を内心期待していた身には拍子抜けだった。

 こうして汗をかきながら20分ほど歩き続け、三十三体観世音菩薩に到着。「せば石」というせり出した岩を削って作られた棚に、仏像がずらずら並んでいた。

 岩肌には「宝暦七丁丑年五月吉日願主太良右エ門」と読める。いや、正直に言うと、近くの解説板にそう書いてあったのを見ただけだ。1905(明治38)年7月10日に沢水が氾濫したことで26体が流失し、その後有志によって再建されたとのこと。薄暗い沢と相まって、ちょっと密教っぽい。かつては飯田線も「雨で不通」が頻発していたし、ある意味では水とともに生きてきた路線だ。

 10分ほどではあったが名所を堪能し、駅に戻る。茶畑で作業をするおじいさん、おばあさんが見えるし、民家からは夏の甲子園、決勝戦の中継が漏れ聞こえてくる。中井侍は「文化」があふれていた。

 ホームでベンチに腰掛け、「駅ノート」を眺めた。駅ノートは有志が設置するもので、誰でも自由に記述できる。ぱらぱら繰ると、コメントに対して、赤字でお返事が書かれていた。地元の方が管理されているらしい。さらに、駅ノートと一緒に「中井侍お茶摘みツアー」のチラシが置いてあった。

カメラを向ける「降りない客」

 中井侍は茶の生産地として知られている。といっても、地形的な理由から手摘みが前提で収穫量は少なく、市場に出回る量も少ないそうだ。どうやらそれを逆手にとり、新茶のシーズンには町おこしに活用している模様。「おこせる町」があることを考えると、中井侍駅は秘境駅というよりは「秘境っぽい駅」といった方が適切かもしれない。

 約2時間の滞在を終え、13時36分発の豊橋行きに乗り込む。飯田線を端から端まで走破する列車なので乗客は多い。中井侍が「秘境駅」であることをご存知らしく、結構な数のお客さんが駅に向かってシャッターを切っていた。降りないと実態は分からないんだけどな。ちょっとした優越感に浸る。 

 続いての目的地である小和田駅までの乗車時間はわずか6分。このあいだにお手洗いを済ませておかないと、尊厳の危機に陥る。なかなかせわしない。こうして13時42分、小和田駅に到着。政令指定都市である静岡県浜松市に位置していながら、秘境駅として抜群の知名度を誇る。

 駅舎に向かうと、頭上には「慶祝 花嫁号 小和田発ラブストーリー」と書かれたヘッドマークが掲げられていた。小和田駅は「こわだ」と読むが、これを「おわだ」と読めば、事情は察していただけるだろう。

 駅舎は飯田線の前身会社のひとつである三信鉄道が1936(昭和11)年に開業したころより使われているもの。かつて有人駅だったことを伺わせる木枠の窓口はカーテンで閉ざされており、公衆電話のシールはあっても電話の本体はない。

 駅舎から道なりに下っていく。左手にちょっとした休憩スペースがりあり、「小和田発ラブストーリー 愛 お二人の幸せを呼ぶ椅子」と書かれた朽ちたベンチがあった。さらに進むと製茶工場と民家の廃屋があらわれる。ほかに家屋は見当たらない。

 この小和田にもかつては集落があった。しかし、1956(昭和31)年に完成した佐久間ダムによって水没してしまったようだ。廃屋をのぞいてみると、時計の針をそこにとどめるようにして、壁に麦わら帽子がかけられている。また、敷地内にはオート三輪のミゼットが打ち捨ててあった。ここに人の気配があったころ、業務用として使われていたのかもしれない。

「5分」を選んで「15分以上」に

 駅の方に少し戻る。「小和田池之神社5分」「塩沢集落1時間」の看板が立っていた。さらに足元には「高瀬橋25分」の板も。高瀬橋とはつり橋のことで、歩いていけば、やがて先ほどの中井侍に至ることができた。過去形で書いたのは、およそ30年前に崩落し、それっきりだからだ。

 となると、選択肢はふたつ。5分と1時間を見比べ、手っ取り早くたどり着けそうな小和田池之神社に、まずは向かうことにした。

 矢印の示す方向に5分歩いたが、神社の影も形もなかった。目の前には道っぽいものが土砂に覆われている。しょうがないので山の斜面を歩く。これまでにも同様の手法で向かった人がいるらしく、わずかに平らな面があった。そうして15分以上かけ、ようやく質素なお社にたどり着いた。周囲にはごろごろと一升瓶が打ち捨てられていた。

 来た道を戻り、今度は「塩沢集落1時間」の方向へ。ここで時計を確認する。滞在時間として確保していたのは2時間半で、すでに残り時間は2時間を切っていた。列車の乗り遅れは避けたいし、適当なところで降り返すことにする。

 こうして歩き始めたはいいものの、行けども行けども単調な山道が続く。途中に岐路があったが、一方は「この先 高瀬橋 通行不可」という立て看板に阻まれ、その先には行けない。残りのほうをさらに進むと、頭上に民家が見えてきた。先ほどの製茶工場にくらべると新しく、人の気配すら感じた。2010(平成22)年ごろまでは夫婦が住んでいたそうだ。

 16時11分に天竜峡行きの下り列車に乗車して16時57分、田本駅にて下車した。この日の最後の訪問駅だ。駅の構造は中井侍駅と似ているものの、裏手の絶壁に民家はない。両端にはトンネルが設けられており、逃げ場はなさそうだ。

 周囲を見渡すと、豊橋寄りにあるトンネルの壁面に階段を見つけた。こちらに進めということだと理解し、トンネルの上部へと回り込み、歩みを進める。

 途中の分岐で左側の道を選んで20分以上登り続けると、田本集落に出られるらしい。しかし暑さにやられていたこともあり、登らないで済みそうな「竜田橋」に続く右側の道を選択。市場沢橋というつり橋を越え、少し進むと竜田橋にたどり着く。橋上から天竜川を眺める。日も暮れてきており、オレンジ色がまぶしかった。 

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