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国鉄の基幹路線になるはずだった? 「阿武隈急行」完成まで25年の紆余曲折 またも地震被害

  • 2022年6月13日
  • 乗りものニュース

2022年3月の地震により、一部区間で運休が続く阿武隈急行線。近年、台風など災害の影響を何度も受けている路線ですが、同線の過去を振り返ると、紆余曲折を経て開通に至っています。当初、その大きな役割は、「東北本線のバイパス」でした。

計画は明治時代にさかのぼる

 2022年3月16日、福島県沖で発生した地震により東北新幹線は大きな被害を出して不通に。約1か月をかけて復旧しましたが、同じく地震の影響を受け、3か月近くを経てもなお一部区間で不通となっている路線があります。阿武隈急行線です。

 同線はJR東北本線の福島駅と槻木(つきのき)駅(宮城県柴田町)を結ぶ第三セクター鉄道です。東北本線の東側、阿武隈川に沿うルートを通ります。6月4日現在も福島〜保原間が不通になっており、全線再開は6月下旬が予定されています。

 近年は災害に見舞われながらも復旧、また被災、また復旧というように、何度も打ちのめされ、立ち上がってきました。2011(平成23)年3月の東日本大震災、2019年10月の令和元年東日本台風(台風19号)、そして3月の地震……。今回はホームの損傷、道床流出、コンクリート柱の傾斜などの被害がありました。

 ただ、さらに同線の歴史を見ると、計画から全通まで何度も頓挫し、工事再開を繰り返してきました。それと同時に、実は東北本線になるかもしれない路線でもありました。現在の第三セクター鉄道になるまで、どんな経緯があったのでしょうか。

 時は明治時代までさかのぼります。明治政府は鉄道をすべて国が建設、運営するつもりでした。しかし資金がありません。そこで民間会社による鉄道建設が始まります。最初の事例が「日本鉄道」で、東京と青森を結ぶ構想でした。後の東北本線です。当初、福島から仙台まで、奥州街道ルートと阿武隈川沿いのルートなどが検討されました。しかし結果的に、当時は奥州街道ルートが選ばれました。

「東北本線バイパス」として丸森線建設へ

 その後、日本鉄道の開業で沿線が活気づくと、阿武隈川ルート沿線の人々から鉄道誘致運動が起きます。1922(大正11)年に制定された鉄道敷設法で「福島県福島より宮城県丸森を経て福島県中村(現在の相馬市中村地区)に至る鉄道、及び丸森より分岐して白石に至る鉄道」が盛り込まれました。しかし着工には至りませんでした。

 建設の動きは戦後です。東北本線の輸送量が増加すると、福島駅付近、とくに藤田〜白石間の越河(こすごう)峠の単線勾配区間が難所になりました。増発された優等列車は常磐線経由になります。そこで、越河峠の迂回路線として阿武隈川ルートが再浮上。東北本線のバイパス路線として1962(昭和37)年に着工し、1968(昭和43)年4月に槻木〜丸森間が「国鉄丸森線」として開通します。

 一方、東北本線の強化策も同時進行していました。1961(昭和36)年に福島〜仙台間が交流電化され、1967(昭和42)年に福島〜槻木間の複線化が完成しました。東北本線の輸送力が強化されたため、阿武隈ルートを迂回する必要がなくなります。

 それでも丸森〜福島間の建設は続けられました。しかし、行き止まり路線である丸森線の利用者は少なく赤字に。この頃、国鉄の累積赤字問題が浮上し、各地で赤字ローカル線の整理、新線建設の中断が相次ぎます。

あと800m… 立ち上がった地元自治体

 丸森線の利用者が低迷した理由は、東北本線のバイパスとして建設されたためでもあります。最短ルートとするため駅が町の中心から離れていました。人々は離れた駅へ行くより、バスやマイカーを選びます。1980(昭和55)年の国鉄再建法に関連して、丸森線は第1次地方交通線に指定されてしまいます。その理由は「営業キロが30km以下」「行き止まり線」「輸送密度が2000人/日未満」だったから。当時の丸森線の輸送密度は1082人/日でした。

 丸森〜福島間の建設も中断されました。しかし、第1次地方交通線に指定された時点で、レールは東北本線との合流地点の800m手前まで建設されていました。福島駅の北側約5kmの地点です。そこで、福島県・宮城県と沿線自治体は丸森線を、第三セクター鉄道として引き受けると決めました。第1次地方交通線の転換に当たって、国からは営業キロ1km当たり3000万円を上限とする転換交付金が支給され、また転換後5年間は、赤字額の半額が国から補填されました。

 1986(昭和61)年7月、旧丸森線を引き継ぎ、第三セクターの阿武隈急行鉄道が発足。槻木〜仙台間の東北本線直通運転も継続されました。1988(昭和63)年には福島寄りの残り800mも完成、同時に全線交流電化も達成しました。こちら側も東北本線に乗り入れて、福島を経由して郡山まで直通しました。しかし、福島〜郡山間の直通は2004(平成16)年に中止されています。

 阿武隈急行線の電車は、福島駅で福島交通飯坂線と駅を共有しています。これは第三セクター設立当時、福島交通が株式の過半数を保有したためです。福島交通は阿武隈川ルート上にバス路線を運行していたため、阿武隈急行線には反対の立場でした。そこで、経営主体に福島交通を据えて解決したという経緯があります。2022年現在、福島交通の株式保有率は20%で、福島県の28%、宮城県の25.6%に次いで第3位です。

阿武隈川 ミニSL ロケット…… 沿線は見どころいっぱい

 現在、もはや阿武隈急行線に東北本線のバイパスという役割はなくなりました。しかし、沿線の人々の通勤、通学路線として活躍しています。2019年度の統計によると、輸送密度は1456人/日。これは令和元年東日本台風による不通区間の影響で下がっているようです。その前年までは1700〜1800人/日で推移していました。いずれにしても、丸森線時代の輸送密度1082人/日を超える数値です。開通させて良かった路線と言えそうです。

「乗り鉄」にとっても阿武隈急行線は楽しい路線です。車両を見ると、主力の8100系電車はセミクロスシート。そして片側2扉のためボックス席が多め。汽車旅気分を楽しめます。次期主力車両として増備が進むAB900系電車は片側3扉のセミクロスシート。ボックス席はちょっと減りましたが、大きな窓で眺望良しです。全線が立体交差になっているため、市街地区間も見晴らしが良く、遠くに奥羽山脈や阿武隈山地を望めます。

 沿線の見どころのひとつは「やながわ希望の森公園」。2000本以上の桜の名所です。アクセスはやながわ希望の森公園前駅(福島県伊達市)から、ミニSL「さくら1号」で数分です。

 ほかにも旧丸森線区間の角田駅(宮城県角田市)付近で、車窓からH2ロケットの原寸大レプリカが見えます。これは「角田市スペースタワー・コスモハウス」。JAXA(宇宙航空研究開発機構)の角田宇宙センターにちなんで作られた展望台兼見学施設です。

 紆余曲折を経て、今の姿になった阿武隈急行線。間もなくの全線運行再開が楽しみです。

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