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“成田”じゃなかったかも? 羽田の永遠のライバル? 「成田空港」44歳でさらに成長中

  • 2022年5月20日
  • 乗りものニュース

羽田空港とならび、首都圏の巨大国際空港として運用されている成田空港は、現在に至るまで紆余曲折の歴史をもつ場所として知られています。その歴史を振り返っていきます。

冨里・八街空港案も?

 1978年5月20日は、成田空港(当時は新東京国際空港)が開港した日です。現在は、羽田空港とならぶ、首都圏の巨大国際空港として運用されています。ただ成田空港の場合、開港までだけでなく、開港後も、紆余曲折を経験してきた空港として知られています。

 今から50年ほど前の羽田空港は、旅客機のジェット化や航空便数増加などを背景に、キャパシティの限界を迎えつつあり、その対応に迫られていました。羽田空港の海上を埋め立てる案なども考えられましたが、工事が困難であったことや、拡張した場合の着陸ルートとしてアメリカ空軍基地である横田飛行場を通る可能性があったことから、羽田以外の場所に新たな空港を設置することとなりました。

 首都圏で新空港建設を実現できる場所として、茨城県の霞ケ浦の埋め立て、神奈川県横浜市の金沢八景周辺、千葉県の浦安沖や富里市と八街市周辺などの候補地が検討されました。その後、一度は富里・八街空港の建設が内定します。しかしこの案は、地元住民の反対にあったことからとん挫。そこで、その東側の成田市三里塚周辺が、宮内庁の御料牧場の敷地を一部含んでいたことから、用地取得のハードルが下がると判断され、そこに新空港を作る方向で再決定されています。

 ただ、こちらでも地元住民と過激派による強い反対運動が起こり、三里塚や天神峯などで反対派と警察の衝突が起こりましたが、最低限の滑走路1本を運用するための土地を強制収容する代執行が実施され、一期工事が進められました。

開港直後の成田空港、現在と大違い

 当初、1972年の開港を目指していた成田地区の新しい空港は、新東京国際空港と名付けられます。計画では2本の平行滑走路と、そのうち長い方の1本と斜めにクロスするように横風用の滑走路を1本設置し、計3本体制とする予定でした。

 1970年代の羽田空港は処理能力が限界を迎えており、運輸省(現:国土交通省)によって「羽田空港が混雑しているときは名古屋空港に一時着陸して地上待機する」といった緊急指示が発せられたほどでした。このような状況から、成田空港は、最低限1本の滑走路で工事が進められ、1977年にそのエリアの工事が整い、1978年3月30日の開港が決定しました。

 しかし3月30日の開港直前、新東京国際空港 管制塔占拠事件が発生。管制塔の機器が破壊されます。そのため開港日が5月20日に延期となりました。翌21日には、到着一番機となるJAL(日本航空)の貨物機がロサンゼルスから飛来しています。

 やっとのことで開港に至った成田空港ですが、その後も反対派との衝突は続きます。そのため、世界でも類を見ない厳戒態勢が敷かれていました。

 たとえば2015年までは入場の際、身分証明書の提示を求められ、来港目的を聞かれるなどの検問がありました。現在も、空港の入り口には高速道路料金所のようなゲートが設置され、鉄道駅の出口にも検査場があるなど、その名残が見られます。時期によっては、飛行機に乗らない見学者が空港へ入れないように、搭乗券の確認も実施することさえありました。

国際線オンリーの成田が大きく変わったきっかけ

 成田空港は開港当時、国際線の便がほとんどでした。ただ、数少ないものの乗継客を見込み、名古屋、大阪などへの国内線も運航されていました。筆者は1979年3月に受験のためと両親を拝み倒して、片道だけ成田発名古屋行きの国内線に搭乗したのが自慢です。

 その後、成田空港の国際線便数も増加し、日韓ワールドカップの開催にともなって2002年には、ついに悲願の平行滑走路が不完全な状態ながら、運用を開始しました。

 一方、羽田空港は、工事技術の向上などから着々と沖合への展開を進め、2010年のD滑走路供用開始にあわせ、国際線の本格開設をスタート。それまで成田に乗り入れた欧米などの国際線も羽田へ移管されました。

 一方の成田空港は2012年より、ジェットスター・ジャパンをはじめとするLCC(格安航空会社)が就航したことで、国内線の比率が大きく上がりました。2015年には、LCC専用の第3ターミナルの運用も開始されました。

 そして2022年現在の成田空港は、より一層の拡大に向け準備が進んでいるところです。3本目の滑走路について「令和10年度末の完成を目指して整備する」と国土交通省航空局(CAB)の2022年度予算資料に記載されています。

 ただそのレイアウトは、冒頭で述べた横風用の斜め向きのものではなく、B滑走路の南側に、同じ向きに3500mのものをつくるというものです。これにより、着陸回数を年間50万回まで増加できるとされています。

 44歳を迎えた成田空港、これからも大きくなってくれることでしょう。

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