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「沖縄ですか…」から50年 元陸自トップが見た返還直後の沖縄 反自衛隊感情が渦巻く時代

  • 2022年5月18日
  • 乗りものニュース

沖縄が本土に復帰してから50年が経ちました。いまから半世紀前の沖縄はどのような状況だったのか、自衛隊に対する風当たりはどれほどだったのか、沖縄駐屯部隊を原隊とする元陸上幕僚長に話を聞きました。

元陸上幕僚長が振り返る半世紀前の沖縄

 沖縄が本土に復帰してから50年を迎えました。1972(昭和47)年5月15日、アメリカの軍政は終わりを遂げ、新生沖縄県が発足。それに伴い沖縄の防衛も日本が担うことになったため、新たに沖縄県にも自衛隊が配置されました。

 ゆえに、この50年は在沖自衛隊の歴史でもあります。そこで、1974(昭和49)年に新米幹部として沖縄県に赴任し、現地で生活したご経験をお持ちの火箱芳文(ひばこよしふみ)元陸上幕僚長に、当時の沖縄の状況を振り返ってもらいました。

――沖縄が本土復帰50周年を迎えましたが、感想をお聞かせください。

 沖縄が本土復帰してから50年を迎えたことは、大変感慨深いものがあります。沖縄が復帰してから半世紀の月日が流れましたが、彼の地は私の自衛官としての原点であり、愛着のある場所です。沖縄復帰50周年は自分史の中で大きな節目として長く記憶に留めていきたいと思います。

 振り返ると、1945(昭和20)年8月15日に日本は終戦を迎え、1952(昭和27)年4月28日サンフランシスコ講和条約を締結したことでアメリカの占領下から脱し、日本に再び主権が戻ってきました。しかし、沖縄だけは依然として、米軍統治下のままでした。同じ日本でありながら沖縄だけは「外国」だったのです。

 従って、戦後の復興も本土に比較して大きく遅れていました。アメリカ軍と2か月半にわたり死闘をくり返し、軍民問わず多大な犠牲を出した沖縄戦を思うとき、祖国日本のために戦った沖縄県民の方々が本土並みの処遇を受けないことを、同じ日本人として極めて残念に思っていました。

 思えば半世紀前、私はまだ事情もよくわからない防大(防衛大学校)の学生、若輩者であったものの、沖縄が本土復帰したのをニュースで知り嬉しく感じた記憶があります。当時から数えて50年も経ったかと思うと、感慨深いです。

自衛官人生の原点となった沖縄

――火箱さんは復帰間もない沖縄に、幹部候補生学校の卒業直後に赴任したそうですが、当時の苦労話などをお聞かせください。

 私が陸上自衛隊幹部候補生学校(福岡県久留米市)を卒業し初めて所属した部隊、すなわち「原隊」が第1混成群第302普通科中隊(当時)です。この第302普通科中隊に、私は1974(昭和49)年9月から1977(昭和52)年8月まで約3年間、所属していました。

 この間に印象に残ったことの1つは、デモ隊3万人(主催者発表)が何度となく那覇駐屯地に抗議に訪れ、これに中隊の警備要員として参加したことです。

 全員ヘルメット、手甲、脛当てを装着、警棒を持ち、営門近くの隊舎の陰に隠れて、駐屯地に侵入する暴徒に対応するのです。主催者発表では3万人とのこと。もしこの3万人が駐屯地に乱入し武器を強奪するようになったら、とんでもないことになる。当時の那覇駐屯地の隊員は1000名に満たない程度だったと思いますが、3万人が一度に駐屯地に乱入したら、一人30人を相手に戦わなければならないと真剣に思って警備に参加しました。

 また、これは公務ではありませんが、夜間における官舎地域の夜回りも行いました。それくらい当時の沖縄は反自衛隊運動が大きく、頻繁に抗議デモが起きるだけでなく、自衛隊員の車両などの盗難事案まで起きていました。

 そのため、俺たちは沖縄のためと思って赴任しているのに、何でこんな仕打ちを受けるのかと、正直思ったのを覚えています。

 2つ目は、沖縄では反自衛隊感情があり、地元に対し余計な刺激を与えないよう、駐屯地の外では完全武装をした訓練を自粛していた点です。背嚢を背負い、小銃を携行する行進訓練は、本土では申請すれば自由に行えたのに対し、沖縄では実施できなかったため、代わりに駐屯地の中を何十周も歩いて行進能力を維持向上しようとしていました。

 これでは当然飽きが来ます。士気も上がりません。幹部候補生学校では久留米周辺の道路を使用して行進訓練ののち演習場に入り、実戦的な訓練を行っていましたが、沖縄ではそれが許されませんでした。

当時の陸自トップに直訴

 沖縄にはアメリカ軍の演習場こそあるものの、共同使用ができず年4回ほど九州の演習場に海を渡って行き、そこで実戦的な訓練や演習などを実施していました。この点については、いまでこそ当時の自衛隊が沖縄の県民やアメリカ軍に対して配慮をしていたことが理解できるようになりましたが、沖縄赴任当時はまだ若かったせいか納得がいきませんでした。

 自分は沖縄を守るため赴任してきたのに、なぜ沖縄県内で訓練せず、隠れるようにして九州などで演習しているのだ。作戦、戦闘では地域の気象、地形の把握がまず第一と幹部候補生学校で教わったばかりではないかと。

 ちなみに、これに関して当時の栗栖陸上幕僚長が来沖された際、懇談の席で大胆不敵にも「沖縄で訓練できるようにして下さい」と直訴したことは苦い思い出です。

 3つ目は、沖縄部隊には特別にOD色(濃緑色)の防暑衣服などが支給されてはいましたが、ゆえに冬季の九州で演習する際は実に困りました。沖縄部隊は寒冷地用装備を有しておらず、都城駐屯地(宮崎県)や国分駐屯地(鹿児島県)の部隊に寝袋や防寒の装備などを借りて演習したほどです。

 また、部隊装備は借りられた一方、隊員個人の衣服・装備は自前で準備しなくてはならず、隊員はよくアメリカ軍の払い下げ店に、高性能な防寒シャツや防寒手袋、面覆いなどを買い出しに行って寒さ対策をしていました。私も同様で、演習の度に1万円(当時)くらいポケットマネーが飛んでいくんです。演習するのに個人の小遣いを使う、笑えないような話が当時はいっぱいありました。

 また大型トラックを運転するのに必須の、大型自動車1種免許を取得するにも、当時は沖縄に自衛隊の教習所がなかったため、取得する場合は本土の駐屯地にある公安委員会指定の自衛隊教習所に行くしかありませんでした。私は北熊本駐屯地(熊本市)の自動車教習所で第8師団に赴任した同期たちと一緒に入校し、大型自動車免許を取得しました。

 免許取得にも、わざわざ熊本まで行き約1か月間滞在しなければならなかったものの、これは同期と久しぶりに切磋琢磨できたため、案外楽しかった思い出です。

 沖縄の第1混成群に所属していながら、部隊にはほとんど貢献できず、逆に熊本の自動車学校を始め幹部初級課程(BOC)や、空挺基本降下課程、富士幹部レンジャー課程などを履修させて頂き、初級幹部としての基礎を身につけることができたのは、当時の部隊や上司のお陰であり、感謝しています。

他人事とは思えない「沖縄」と「5.15」

――実は、火箱さんにとって沖縄は赴任先の第1希望ではなかったとお聞きしましたが。実際、沖縄の部隊に着いたときの第1印象はどうだったのでしょうか。

 最初に私が沖縄へ行ったのは、防大卒業後に進んだ陸上自衛隊幹部候補生学校の入校時です。戦史の科目の中に沖縄戦史があり、この現地研修の際に初めて沖縄の地を踏みました。

 ただ、私自身は、北海道の部隊を第1希望にしていました。しかし運命のいたずらか、沖縄の第1混成群(当時)へ配属になったのです。卒業前に赴任地が幹部候補生らの前で発表になった際、「火箱芳文、第1混成群那覇へ」といわれ驚いたのを覚えています。

 このときは、周りの同期らが「オー」と、どよめき立ち、次いで拍手や笑いも起きました。それくらい、沖縄勤務に対する何ともいえない複雑な思いを、候補生たちが持っていたといえるでしょう。

 当時、南西諸島地域は陸上自衛隊にとって第一線ではなく、ましてや沖縄は反自衛隊感情の強い場所と認識されていたため、希望する者は少なかったと思います。3人の同期と一緒に那覇空港に到着した時は、沖縄特有の青空が明るく広がっている反面、これからどうなるのかという不安な気持ちも正直ありました。

 ところが那覇空港には制服を着た副群長(2等陸佐)ほか大勢の自衛官らが我々3人のために迎えに来て下さっていて、迎え入れる部隊側が格別の配慮をしてくれたことを知り、おおいに感激したものです。

 その後、団長室に案内され、第1混成団(現第15旅団)のトップである桑江陸将補に会い、温かい歓迎の言葉をかけてもらったほか、列席する主要幹部の人たちから改めて歓迎を受けると、「何とかなるな」と考えが変わり、不安がほぼ消し飛んだことを覚えています。

 一方で1974(昭和49)年の沖縄は、本土復帰から間もない時期であったため、街には英語で書かれた看板が多く掲げられており、アメリカのような雰囲気が残っていました。「奇跡の1.6マイル」と呼ばれた国際通りだけは賑やかなところでしたが、一歩路地裏に入ると建物は粗末なものが多く、復興は本土と比べてまったく進んでないなと感じた記憶があります。当時は本土からの資本の投入も少なく、沖縄は経済的に貧しかったと言えます。

 沖縄の本土復帰は1972(昭和47)年5月15日ですが、私の誕生日も5月15日です。そのため、何か縁のようなものを感じており、いつもこの日だけは忘れません。沖縄が復帰してから50年の月日が流れましたが、沖縄は私の自衛官人生のスタートになった部隊があった愛着のある場所です。

 沖縄復帰50周年は自分史における大きな節目として、長く記憶に留めていきたいと思います。

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