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チェコの戦車いいじゃん! スイスが欲した「ヘッツァー」派生の駆逐戦車G-13 何がよかった?

  • 2022年2月6日
  • 乗りものニュース

第2次世界大戦中に約2800両も造られた駆逐戦車「ヘッツァー」。ドイツ軍の兵器ながら、チェコで開発と生産が行われた戦闘車両に、戦後スイスが目を付け160両も新規調達しています。では、なぜ購入を決めたのでしょうか。

ドイツにも比肩する優れた工業国 チェコスロバキア

 戦争で負けた国の優れた兵器を戦勝国や第三国がそのまま使うという例は、枚挙にいとまがありません。ただ、なかには優秀だからと戦後にわざわざ新規生産し大量調達した例も。その代表例のひとつがスイス軍のG-13駆逐戦車です。

 そもそも、スイスのG-13駆逐戦車は、ドイツが第2次世界大戦末期にチェコで開発・生産した軽駆逐戦車「ヘッツアー」の小改良型です。同車にスイスがなぜ着目するに至ったのか、そこには理由がありました。

 第2次世界大戦がはじまる前の1938(昭和13)年から翌1939(昭和14)年にかけて、アドルフ・ヒトラー率いるドイツは、チェコスロバキアを解体・併合しました。それは流血をともなう強硬手段に訴えたものではなく、政治的に行われたので無血で成し遂げられます。

 当時のチェコは中欧でも有数の工業国でした。軍需産業では、機関銃や火砲などで優秀な製品を作っていましたが、その高い工業力ゆえに独力で戦車を開発・生産できる、世界でも有数の国でもありました。そのことは、同国のシュコダ社が生産していた「LTvz.35」と、?KD社(後にBMMへ改称)が開発した「LTvz.38」を、占領国ドイツが前者を35(t)戦車、後者を38(t)戦車としてそのまま採用し、生産させ続けたことからもわかります。

駆逐戦車「ヘッツァー」の誕生

 ただ、第2次世界大戦が勃発し、戦局が熾烈さを増すと、これら2車種は戦車として性能的に陳腐化します。35(t)戦車はそれ以上の進歩はありませんでしたが、38(t)については信頼性が高く使い勝手のよい車体が評価されたことにより、自走砲の車台へと流用され、対戦車自走砲「マルダー」シリーズや自走歩兵砲「グリレ」などへと「変身」しました。

 この38(t)が原型の自走砲車台を生産していたことで、大戦中盤以降には、そのパーツを流用して新たな駆逐戦車「ヘッツァー」が開発され、そのファミリーに名を連ねるようになったのです。

「ヘッツァー」は38(t)譲りの高い機械的信頼性を備えており、当時のソ連重戦車IS-2「スターリン」も撃破可能な攻撃力を有していましたが、スピードは速くありませんでした。また、車体前面の装甲こそ、装甲板の傾斜角も相まってそこそこの耐弾性を示しましたが、側面や後面の装甲厚は軽量化のため申し訳程度のものでした。

 車内は狭小で、乗員が砲弾の装填などの戦闘操作をするにも苦労しましたが、一方ではこの小ささが全体シルエットを小さくしており、敵から狙われにくくなる効果を発揮しています。

「ヘッツァー」は1944(昭和19)年3月から生産が始まったものの、翌1945(昭和20)年5月にドイツが第2次世界大戦に敗れたことでストップします。加えて、チェコはドイツの支配から脱却し、再び独立国家に戻りました。

スイスとチェコの思惑が合致して生まれたG-13

 その頃、永世中立国スイスでは、対戦車能力に優れた新しい装軌式、いわゆるキャタピラ式の装甲戦闘車両を模索していました。

 スイスは専守防衛を国是とするので相手国に攻め込むようなことはしません。そのため、戦闘車両についても、あらかじめ建設された国境陣地や、要衝を守るためのトーチカならびに防御陣地に組み込んでの戦いを想定しています。ゆえに、車体がコンパクトなため、狭隘で急傾斜もある山間地形でも問題なく機動が可能で、なおかつ火力については当時の一流戦車が撃破可能なレベルを有している「ヘッツァー」に目を付けたのです。

 さらにスイスは、LTvz.38の輸出型であるLTH戦車を第2次世界大戦前に導入しており、BMM社(旧?KD社)製の戦車に慣れている面がありました。

 一方、チェコにとってもスイスが「ヘッツァー」を購入してくれると非常に助かるといえる状況でした。同国はドイツの敗戦によって独立国家に戻ったものの、国土の復興は喫緊の課題でした。そのため、大戦直後でまともな輸出製品がないなか、「ヘッツァー」が貴重な外貨獲得手段になり得たからです。

 また、チェコに最後までBMMの生産施設が残されていたことも幸いしました。これにより短期間かつ廉価でスイスに納入できる目途が立ちました。こうしたことから、かつてのLTH戦車のよしみもあって、スイスは「ヘッツァー」の購入を決めています。

イベントやスクリーンで“戦っている”G-13

 スイス向けの「ヘッツァー」にはG-13の型式番号が付与され、1946(昭和21)年早春には試作車が完成。以降、約160両が生産されて1950(昭和25)年までに納入されました。

 旧ドイツの「ヘッツァー」とG-13の最大の相違点は、チェコでは「ヘッツァー」が装備した48口径7.5cm砲「PaK39」が生産されていなかったため、代わりにIII号突撃砲用の48口径7.5cm砲「StuK40」が搭載されたことです。

 また、外観では、砲の後座力を減らすべく砲口にマズルブレーキが装着されたほか、脆弱な側面の装甲を少しでも補えるよう、車体側面に予備の履帯と転輪が載せられているのが特徴です。

 かくしてスイスが採用した「第2次大戦の忘れ形見」ともいえるG-13は、「ヘッツァー」と異なりアルプスの麓の永世中立国で戦火を経験することなく現役を退きました。

 なお、退役後に民間へ放出された本車の一部は、愛好家や展示施設において戦時中の「ヘッツァー」に変身させられているほか、なかには『コレリ大尉のマンドリン』や『合衆国最後の日』といった映画に「出演」し、第2次世界大戦ばかりか近未来の戦闘まで経験したものもあります。

 G-13は、イベントやスクリーンのなかでは「ヘッツァー」の代わりに、最前線で戦っているようです。

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