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首都圏JRになぜか少ない「○○山駅」の謎 意図して避けた? 私鉄との命名法の違い

  • 2021年8月2日
  • 乗りものニュース

首都圏の鉄道駅で「○○山」を名乗るものはほとんどが私鉄で、JRではほとんど見受けられません。駅至近に、由緒ある山があったとしてもです。両者で命名法に差があるのは、なぜなのでしょうか。

江戸っ子たちの行楽地、飛鳥山

 東京の都心近くには、江戸時代に庶民の行楽地だった「山」がいくつかあります。代表的なものの一つが、JR京浜東北線王子駅(北区)の線路西側に沿ってうっそうとした森が続く飛鳥山です。 

 8代将軍徳川吉宗が、享保の改革(1716年〜)の際に江戸っ子たちの行楽地にするために1000本以上の桜を植え、以来名所として賑わいました。明治時代になってからは、渋沢栄一が飛鳥山に居を構え、現在は旧渋沢邸も含めて一帯が飛鳥山公園となっています。

 ところで1883(明治16)年の王子駅開業時、これだけ由緒がありホームから目の当たりにする飛鳥山から名をもらい、駅名を「飛鳥山」としても良さそうです。

 たしかに王子という駅名も魅力的な響きを感じます。王子は、駅近くにある王子神社に由来する同地の村名ですが、たとえば代官山や大倉山を駅名とした東急(とその前身会社)や、久我山や浜田山を駅名とした京王(同)なら、ためらうことなく飛鳥山駅と名付けたのではないでしょうか。

 同様のことが山手線の目白駅にもいえます。目白の名は諸説あるものの、一般的には江戸五色不動の目白不動尊にちなむとされていますが、目白不動尊は目白駅から東へ約2kmも離れています。なお、目白不動尊は新長谷寺(現・文京区)の本尊でしたが、太平洋戦争での戦災により廃寺となり、現在は金乗院(豊島区)に移されています。

 目白駅は神田川の谷を見下ろす高台に位置し、そして駅西側の高台をおとめ山といいます。江戸時代、こちらは行楽地ではなく徳川家の狩猟地であり、立入禁止を意味する御留(おとめ)にちなんでいます。

都内のJR駅に「○○山」という駅名なし

 現在は目白駅の西側400mほどの場所におとめ山公園があります。1885(明治18)年の目白駅開業時に、近くの地名にちなみ「おとめ山駅」とはせず、やや離れた不動尊の名を借りて目白駅と名付けたわけです。駅周辺の不動産開発に熱心だった一時期の私鉄なら、当て字を使って「乙女山駅」としたかもしれません。

 もう一つ、個人的に残念と感じるのが西日暮里駅です。山手線内回りホームに隣接して緑に囲まれた小高い丘がありますが、ここは道灌山です。西に富士山、東に筑波山が見える珍しい地形の地で、江戸時代、秋には虫の音を聞く名所として名高く、歌川広重がここを舞台に『東都名所 道灌山虫聞之図』を描いています。

 西日暮里駅は1969(昭和44)年、まず営団地下鉄(現・東京メトロ)千代田線の駅として開業し、翌々年山手線の新駅としても開業しました。その際、道灌山という、うってつけの地名があるのに、個性に乏しい西日暮里という名が付けられました。しかも西日暮里駅は日暮里駅の西ではなく北(北北西)に位置しています。

 さて紹介してきた3駅とも、なぜ付近の山にちなんだ駅名「○○山」にならなかったのでしょうか。実は東京都内のJR駅には、末尾に「山」が付く駅名が一つもありません。

 それは江戸期から、山に通ずる「岡」という言葉が第二義的な土地であることを意味するためだったと筆者(内田宗治:フリーライター)は推測します。たとえば「岡場所」とは江戸時代、吉原以外の私娼街を意味しました。昭和初期の自由ヶ丘(現・自由が丘)駅命名まで、都会の駅に「○○丘」が誕生しなかったのも、こうした理由かもしれません。

 ほかにも、戦前まで皇居のことを大内山と呼称したため畏れ多く○○山駅と名付けるのを避けた、鉄道にとって山は線路を敷くのに邪魔なので鉄道関係者は山を嫌った、などが考えられます。

大正以降一転、都内に「○○山」駅が増えていく

 一方、東京の私鉄には京急と京成を除き、「山」が付く駅が多数存在します。つまりJRの前身である旧国鉄だけが、○○山駅と名付けるのをあえて避けてきたように筆者は思えます。

 都内のJR路線の多くは明治時代に開業していて、官設の東海道本線を除けば、現在の山手線や東北本線は日本鉄道、中央線は甲武鉄道(八王子以西は官設)など、ほとんどが私鉄として開業しています。その多くは日露戦争後の1906(明治39)年に国有化されました。すなわち、王子駅や目白駅も開業した時点では両駅とも私鉄の駅だったのですが、○○山駅とは名付けなかったわけです。これは先述した理由ゆえと思われます。ここで東京の私鉄駅名に「山」が登場する年を順に挙げてみます。

・1913(大正2)年:烏山駅(現・京王線 千歳烏山)
・1923(大正12)年:小山駅(現・東急目黒線 武蔵小山)
・同年:大岡山駅(現・東急目黒線・大井町線)
・同年:御嶽山前駅(現・東急池上線 御嶽山)
・1927(昭和2)年:代官山駅(現・東急東横線)

 大正時代後半以後、東京郊外へ私鉄の路線網が延びていき、郊外の住宅地開発が進むのを契機として、○○山駅という命名がなされていくのが分かります。昭和に入ってから私鉄では、○○丘駅も多く登場してきます。一方、当時の国鉄は○○山や○○丘とは命名していません。これは、明治の官営鉄道以来の習慣を踏襲したためと考えられます。また大阪府内やその周辺を含めてみても、同様の傾向が見られます。

 大正時代以降、駅名に○○山や○○丘が増えていく理由には、都会や住宅地での「山」や「丘」に対する人々の自然感が変化した点にあるかもしれません。特に1923(大正12)年の関東大震災以降、焼け野原となった下町から郊外へと人口移動が起きました。緑豊かな自然の中の住宅地(欧米に範をとった田園都市)が好まれるようになってきます。そうした変化が駅名の命名にも現れてくるのだと思えます。私鉄はその社会風潮に倣い、旧国鉄は伝統を踏襲し山や丘の名を付けなかったと推察できます。

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