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自沈すら阻止された不運すぎる独潜水艦U-505の逆転 かくて不名誉艦は栄誉に与かれり

  • 2021年7月20日
  • 乗りものニュース

WW2期、連合国が全力で解明に努めたドイツの暗号機「エニグマ」。これをめぐる逸話は枚挙にいとまがなく、なかでも決定的なできごとのひとつがU-505潜水艦の鹵獲でしょう。最悪の不名誉を被った同艦の、清々しいまでの逆転のお話です。

映画のモデルにもなった「U-505鹵獲事件」

『U-571』は第2次世界大戦中、アメリカ海軍がドイツの最高機密であった「エニグマ暗号機」を奪取するためドイツ潜水艦U-571を鹵獲するというストーリーの、2000(平成12)年に公開されたアメリカ映画です。タイトルにもなっているU-571という潜水艦は実在するものの映画そのものはフィクションである一方、ドイツ潜水艦をアメリカ軍が鹵獲しエニグマ暗号機を奪取したという事件は実際に起こっています。

 実際にエニグマ暗号機を奪取された艦は「U-505」、ドイツ潜水艦、いわゆる「Uボート」のIX C型で、日本海軍に譲渡編入された呂500(呂号第五百潜水艦)となった「U-511」も同型艦です。U-505はアメリカ海軍に鹵獲され、あまつさえドイツの最高機密エニグマ暗号機を奪われた「不名誉艦」のようですが、21世紀の現代まで生き残ってドイツの技術遺産継承の任務を担う「名誉艦」でもあります。

運に恵まれなかった「不名誉艦」

 U-505は1941(昭和16)年5月24日にハンブルクで進水、1942(昭和17)年3月5日にイギリス商船「ベンモア」撃沈の初戦果を挙げて以降、12回の哨戒において8隻(合計4万4962トン)の船舶を撃沈しています。しかしなにかと運の悪い艦で、哨戒に出撃しては損傷したり、故障ですぐに帰還したりすることも多く、1942年9月6日から2代目艦長に着任したペーター・ツェッヘ大尉は「常に帰還する艦長、その名はツェッヘ」と陰口を叩かれていました。乗組員の士気も芳しくなかったであろうことが想像できます。

 1943(昭和18)年10月24日、ポルトガル西方沖約1000kmにあるアゾレス諸島の東でイギリス駆逐艦に発見され、激しい爆雷攻撃に晒されます。潜水艦映画では爆雷攻撃の恐怖で乗組員がストレスのあまり暴れ、ベテラン艦長がこれをたしなめるというシーンはよく描かれるところですが、U-505ではこともあろうに艦長のツェッヘ大尉がピストル自殺してしまいます。戦闘中に潜水艦艦長が自殺するという事案は非常に珍しいことです。U-505は先任士官のパウル・マイヤー中尉が統率して何とか帰還を果たします。

自沈すら阻止される不運艦U-505 そして「最高機密」は奪われた

 3人目の艦長となるハラルト・ランゲ中尉指揮のもと、U-505は1943年12月25日に11回目の哨戒任務へ出ると、12月28日にフランス西岸とスペイン北岸に面するビスケー湾でイギリス巡洋艦に撃沈されたドイツ水雷艇T25の乗組員23名を救助し、1944(昭和19)年1月2日には戻ってきました。「常に帰還する」ジンクスは付きまとっていたようですが、人命救助ですから不運とはいえません。

 運を使い果たしたのが1944年3月16日の、12回目の出撃です。U-505は西アフリカ沿岸まで進出したところ、6月4日、アメリカ海軍のダニエル・V・ギャラリー大佐が指揮する、護衛空母USS「ガダルカナル」と5隻の駆逐艦からなるタスクグループ22.3に捕捉されます。攻撃を受けて艦は損傷し、ランゲ艦長は艦の放棄と自沈を命じました。U-505は浮上し、総員退艦には成功したものの、自沈処置が不徹底でなかなか沈没しません。ギャラリー大佐は鹵獲のチャンスとみて、移乗班をU-505へ乗り移らせます。

 8名の移乗班は海図と暗号表を確保、自沈用バルブを閉鎖し、自爆装置を解除して、U-505の自沈を阻止します。こうして沈没を免れたU-505は2740kmを曳航され、6月19日に北大西洋 バミューダ諸島のポートロイヤル・ベイに入港しました。

 U-505から押収された暗号資料は、6月20日には連合軍の暗号学校がある、イギリス バッキンガムシャーのブレッチリー・パークに送られます。ポートロイヤル・ベイ入港からわずか1日、エニグマの解読がいかに重視されていたか分かります。この資料解読から連合軍は、Uボートの作戦海域をより正確に把握できるようになったといわれます。

不名誉転じて栄誉に与るU-505 かつての「誇り」をいまに

 そうしたなか連合軍が恐れたのは、ドイツがU-505の被鹵獲を知って、エニグマの設定を変更してしまうことでした。絶対の防諜処置がとられ、U-505の捕虜となった乗組員は、ほかのドイツ軍捕虜から隔離、赤十字社による面会も禁止されました。バミューダの基地に係留されていたU-505にはUSS「ネモ」という偽装艦名が付けられます。事情を知らないドイツ海軍では、U-505は亡失と認定され、乗組員は戦死を公示されます。

 戦後U-505はポーツマス海軍基地に移され、ほぼ放置されていましたが、標的として海没処分されることになります。しかしU-505の鹵獲作戦を指揮したギャラリー提督(大佐から昇進)の働きかけで、1954(昭和29)年9月3日にシカゴ科学産業博物館へ寄贈されることになりました。

 この博物館は軍事や戦争の博物館ではなく、産業の啓蒙と公共の科学教育を目的として設立されており、ドイツの技術産業遺産としてU-505の価値が認められたのでした。かつての敵国の潜水艦にもかかわらず、U-505の移送と設置のためのシカゴ住民からの寄付金は25万USドル(2021年現在の価値でおよそ5.4億円。消費者物価指数を基に推定)に上り、1954年9月24日にU-505は博物館へやってきます。

 博物館へ持ち込まれた時には、船内のほとんどの部品が取り外されていて、展示物としては使えない状態になっていました。博物館のローア館長は、潜水艦のオリジナル部品を供給していたドイツのメーカーに代替品を依頼、するとドイツのどの会社も要求された部品を無償で提供し、「この船をドイツの技術が信頼に値する栄誉の証であることを伝えてほしい」というメッセージが送られてきたといいます。

 U-505は博物館で復元作業が続けられ、2019年には屋内地下展示室で再現映像や特殊効果も交えて、鹵獲当日のストーリーが展示されています。船内見学ツアーも用意され潜水艦技術と当時の乗組員の活動や生活ぶりを実体験できます。

 現役中には不名誉続きでしたが、戦後はアメリカ、ドイツ国民から支持されて技術遺産継承を託される名誉を得ました。時代とともに運命は移りゆくようです。

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