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開業した横浜のロープウェー 眼下に続く「廃線跡」は何? 近代史を牽引した鉄路

  • 2021年4月23日
  • 乗りものニュース

JR桜木町駅前から地上40mを進む都市型ロープウェー「ヨコハマ・エア・キャビン」が開業しました。上空から見る赤レンガ倉庫などベイエリアの景色は格別ですが、ここはあえて、眼下に伸びる「廃線跡」を眺めつつ、歴史をたどって見ましょう。

全長630mの「歴史の空中散歩」

 JR桜木町駅前から、大岡川河口近くの海をひとまたぎして「新港」と呼ばれるエリアに向かうロープウェー「ヨコハマ・エア・キャビン」が2021年4月22日(木)に開業しました。その距離はわずか630mほどですが、年間4万隻以上の船が発着する横浜港を地上40mの高さから一望できるため、通常の交通機関というよりも一種のアトラクションに近く、カップルや家族連れにとって「空中散歩」できる体験は、思い出深いよい機会になるでしょう。

 このロープウェーのもう一つの楽しみ方として、「あえて下を見る」ことを提案します。ロープウェーのほぼ真下の海上を斜めに横切る遊歩道「汽車道」は、かつて横浜港の物流を担い「横浜臨港線」などと呼ばれた貨物線(正式には東海道本線の貨物支線)の廃線跡です。その上を横切っていくため、大正初期に海上に作られた築堤や、世界的にも鉄橋建設のパイオニアといわれる「アメリカン・ブリッジ」社製のトラスがかかった鉄道橋跡を、ドローンのような「上から目線」で眺められます。

 もちろん、汽車道の先にある新港エリアには赤レンガ倉庫をはじめ、建設から1世紀を超える産業遺産も多く、ヨコハマ・エア・キャビンの始発点も、1872(明治5)年に開業した日本初の鉄道の終着点、初代横浜駅のほぼ直上にあります。ロープウェーから見下ろし、見渡せる景色は、横浜港のみならず日本の鉄道・物流の歴史そのものでもあるのです。

 さかのぼれば、このエリアは1859(安政6)年に港が築かれるまでほぼ海で、文字通り「横に長い砂浜」(現在の「日本大通り」近辺)の上に人口500人ほどの「横浜村」があるのみ、現在の桜木町駅はその対岸の浜辺だったといいます。横浜港は、関内近辺(現在の横浜スタジアム周辺)まで広く埋め立てられ、欧米諸国の船が発着する国際港ならびに外国人の居留地ができたことで、その歴史が始まりました。

日本の輸出8割・輸入6割を担った地への鉄道 どう使われた?

 やがて横浜港には大型の鉄桟橋が東西2か所に設けられたものの、スペースが足りず、それまで貿易のメインであった「象の鼻地区」で出荷待ちの貨物が何週間分も溜まり続ける「滞貨問題」が深刻に。港としての根本的な能力不足を解消するため、明治から大正にかけ沖合が埋め立てられ、現在の新港地区が形成されます。そのなかにあった12か所の埠頭と2棟の保税倉庫(入管手続きを終えていない貨物の待機場。現在の赤レンガ倉庫)への輸送手段として設置されたのが、現在の「汽車道」の原型、1911(明治44)年に開通した貨物線です。

 新港の北東端にあった埠頭にはホーム(横浜港駅)が設置され、サンフランシスコやシアトルといったアメリカ西海岸や、ロンドンなどへ就航する貨客船の発着に接続する形で「ポート・トレイン」が往来し、横浜港〜東京駅のあいだを片道45分で結びました。大正から昭和初期にかけては、横浜新港が日本における海外への主な玄関口のひとつだったといえるでしょう。

 ただ当時の欧米への渡航費用は、サラリーマンの平均年収をもってしてもハワイへの片道代程度という高額なものだったため利用する層は限られており、また最も安い3等の乗船客(主に海外移住者など)は検疫のために前日からの指定旅館への宿泊が必要なため、ボート・トレインを利用することはなく、列車の利用客はもっぱら外国からの来客や見送り客などに限られたようです。

 他方、貨物の面で横浜港は一時、日本の輸出額の8割、輸入額の6割を占めるほどでした。輸出の主要品目であった絹や生糸は八王子などから横浜線(1908年開業)と臨港線を経由して新港で船積みされ、綿花や砂糖・生ゴムなどの輸入品は、新港の保税倉庫で関税の手続き終了を待って、臨港線を通じて国内各地に出荷されていきました。

 たった3km四方ほどの新港エリア内に立ち並ぶ倉庫や岸壁へ、総延長にして10km以上の貨物線や引込線が敷設され、すべての貨物列車が現在の「汽車道」を経由して東海道本線などへ向かっていたのです。

臨港線「最後の花道」を飾って遊歩道に

 しかし、日本が戦争に突き進むなかで、国際港としての横浜港は旅客・貨物ともに冬の時代を迎えます。敗戦後にようやく旅客航路が復活した頃にはすっかり航空機が台頭し、1960(昭和35)年に横浜〜シアトル間で最後の定期就航に就いた「氷川丸」の接続列車をもって、横浜港における「ボート・トレイン」の歴史に幕が閉じられました。

 貨物もまた、コンテナ船の導入によって、新港が担っていた保税蔵や物流拠点の役割は郊外へ分散していきます。当時の国鉄も大型コンテナを扱える埠頭へ臨港線を延伸(山下貨物線)するなどの手を打ちますが、周辺の反対を押し切ってまで山下公園の中心部に建設した高架線を開通させた1965(昭和40)年頃には、後に総合保税地域(FAZ)の指定施設も建設される大黒埠頭の整備が進み、山下埠頭の役割は取って変わられようとしていました。この頃には、周辺の鉄道貨物の役割も根岸や鶴見からの石油や化学製品輸送にシフトし、国鉄も新港の貨物輸送にこだわる理由がなくなったのかもしれません。

 横浜臨港線は1986(昭和61)に全面廃止となり、1989(平成元)年に開催された「横浜博覧会」の輸送機関として復活、最後の花道を飾ったあと、遊歩道「汽車道」に形を変えていまに至ります。並行して「みなとみらい21計画」と総称される再開発によって、物流拠点としての新港もすっかり変貌を遂げました。

 新港から鉄道が消えて30年。日本初の鉄道が終着とした初代横浜駅、すなわち桜木町から新港に至る線路の痕跡を、「ヨコハマ・エア・キャビン」から俯瞰できるようになるとは、当時の人からすると予想だにしなかったことでしょう。

 開国から現在までの姿が刻まれた「歴史のテーマパーク」ともいえる横浜港を楽しむなら、ロープウェーだけでなく連節バス「ベイサイドブルー」や巡回バス「あかいくつ」、湾内の水上バスなどを組み合わせてじっくり巡るのがよさそうです。もちろんお土産は、こちらも100年近い歴史を持つ「崎陽軒」のシウマイを。家に持ち帰り温めていただくまでが「横浜港の歴史の旅」のうちではないでしょうか。

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