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砲塔数は近代戦艦史上最多! モンスター戦艦「エジンコート」の流転 あえなくスクラップ

  • 2021年2月28日
  • 乗りものニュース

旧日本海軍の戦艦「大和」は主砲塔を3つ、戦艦「金剛」や「長門」は主砲塔を4つ装備していました。しかし地球の反対側、イギリスにはなんと主砲塔を7つも搭載した戦艦がありました。いったい、どのような経緯で生まれたのでしょう。

南米の大国が求めた「一点豪華主義」戦艦

 航空機が未発達だった19世紀末から20世紀初頭にかけて、戦艦は国家にとって重要な戦略兵器でした。だからこそ「砲艦外交」などという言葉も生まれたのです。

 戦艦は、質と量の両面において各国の軍事力を図る指標といえるもので、海軍力の象徴、いわば国の「顔」ともいえる存在でした。ゆえに、よりたくさんの主砲を積み(大火力)、より分厚い装甲板を備え(重防御)、より大馬力の主機を載せて足が速い(高速性)ことが求められます。

 有力な戦艦をどれだけ持っているかは「国力の象徴」です。そのため中堅国家も、経済的な無理を承知でわずかな隻数を保有するようになります。しかし、そういった国々は、当時の先端技術の結晶である高性能戦艦を自国では建造できないため、欧米列強に発注しなければなりませんでした。

 20世紀初頭、アルゼンチン、ブラジル、チリのいわゆる南米主要3国は、勢力争いを繰り広げていました。そのなかでブラジルは、頭ひとつ抜きでようとイギリスのアームストロング社に1隻の戦艦を発注します。それは、12インチ(30.5cm)連装砲を7基、計14門、副砲として6インチ(15.2cm)単装砲を計20門という、近代史上最多の主砲数と副砲数を誇る戦艦でした。

 ブラジルは国力的に数多くの戦艦を保有することは無理でした。そこでいわば“てんこ盛り”の1艦を造ろうとしたのです。この戦艦は「リオ・デ・ジャネイロ」と命名され、まさに「一点豪華主義」のような存在になる予定でした。

繰り返された「異端の戦艦」の数奇な転籍

 しかしブラジル海軍は、より強力な戦艦を調達することに方針を変更します。その結果、同艦は建造途中でトルコに売却されることとなり、艦名は「リオ・デ・ジャネイロ」から「スルタン・オスマン1世」へと変更されました。

 こうして、新たな嫁ぎ先としてトルコに引き渡されることになった同艦でしたが、就役を目前にしてヨーロッパに第1次世界大戦の戦雲が垂れこめます。これを見たイギリス政府は、トルコ側の事情を考慮することなく「スルタン・オスマン1世」を強制的に接収。艦名を「エジンコート」に変更し、自国海軍に編入したのです。

 ちなみに、この所業にトルコ側は怒り心頭となり、同国がイギリスの敵であるドイツ側に立って参戦する遠因にもなったと言われています。

 こうして、イギリス海軍グランドフリート(大艦隊)の第1戦艦戦隊に配属された「エジンコート」は、第1次世界大戦において最大の海戦となったユトランド沖海戦に参加します。このときに、14門の主砲の斉射と、20門の副砲の個別射撃を実施しました。前者の発射弾数は100発以上、後者のそれもまた同じぐらいと伝えられます。

 ユトランド沖海戦で「エジンコート」は、幸運にも被弾することはなかったものの、逆に敵であるドイツ軍艦に弾を命中させることもできませんでした。しかしこの海戦に参加したことで、同艦に対する疑念のひとつが解消されています。それは、14門もの12インチ砲の片舷斉射を行うと、船体に負担がかかって何らかのトラブルが生じるのではないか、というものです。

砲塔が7つあるから呼称は「曜日」で

 とはいえ、船体への影響や命中精度についての結論を出すためには、わずか百数十発の斉射では足りません。「エジンコート」は長い船体の艦首尾線上に、艦首側から順番に7基もの12インチ連装砲塔を配しているので、主砲の斉射時に船体がしなり、着弾の散布界が広くなる、つまりピンポイントでの命中精度に劣る傾向があったとも伝えられます。

 ちなみに、イギリス海軍では主砲塔を艦首側から「A砲塔」「B砲塔」と称していましたが、「エジンコート」は主砲塔を7基も備えるからか、最も艦首側の主砲塔を「日曜砲塔」とし、以降、艦尾に向かって「月、火、水、木、金」曜砲塔と順番に呼び、艦尾最後部の砲塔を「土曜砲塔」と呼称したそうです。

 しかし戦艦「エジンコート」は、やはり運用上何らかの問題があったようで、第1次世界大戦が終結した約1年後には早くも予備艦とされ、1921(大正10)年には軍艦籍から除籍。しばらく実験艦として運用されたものの、翌1922(大正11)年に日本を始めとした主要海軍国の間でワシントン海軍軍縮条約が締結されると、廃艦になることが決定、同年末にスクラップ業者に売却されて、わずか10年あまりの短い生涯を閉じました。

 多数の機関銃を搭載した航空機には、そこそこの活躍を示した機体も少なくありませんが、戦艦には“多主砲”は向かなかったようです。「エジンコート」の直後に起工された日本の扶桑型と伊勢型の計4隻の戦艦は、本艦よりも1基少ない連装砲塔6基を装備しましたが、これでも多かったのか、各国ともそれ以降の戦艦は、さらに砲塔数を少なくしています。

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