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「人間さえ良ければよいのか?」人間中心主義思想から考える交雑ザル殺処分

  • 2017年4月22日
  • THE PAGE

 2月に千葉県富津市、高宕山(たかごやま)自然動物園で交雑ザル57頭が殺処分されました。特定外来生物法に基づいての駆除ですが、この処分をどのようにみるか、環境思想論を専門とする三重短期大生活科学科・南有哲教授が、環境倫理の視点からこの問題を論じていきます。

 前回1回目は「交雑ザルの殺処分をめぐる環境倫理学説」をテーマに、自然や環境に関わることをあくまで「人間の利益」・「人間中心の価値観」においてとらえ、対処しようとする「人間中心主義」という思想と、「人間中心主義」を乗り越える新しい思想・新しい倫理として「全体論的な環境倫理学」という思想が紹介されました。

 2回目はテーマを「人間中心主義の立場から」に据え、「人間中心主義」の思想の場合は、この問題をどのように考えるのか、説明します。

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近代哲学の巨人・カントの考え

 では、これまで批判の対象となってきた「人間中心主義」の側は、動物をめぐるこの種の問題をどのように考えるのでしょうか? ここで登場するのが近代哲学の巨人と言えるイマニュエル・カントです。カントは動物の虐待や単なる知的好奇心に基づく実験、さらには過度の使役 ── カントの時代には役畜は不可欠の存在でした ── を否定するのですが、その論理は動物の解放や権利を説くそれとは全く異なります。

動物への残虐な行為は人間自身の道徳的義務に反する

 カントはまず、人間にとっての道徳的配慮の対象は人間 ── これには他人のみならず、自分自身も含まれます ── に限定されるのであり、動物はそれに含まれないと明言します。すなわち動物に対しては、私たちは道徳的に振る舞う義務はないというわけです。

 したがって肉食や使役といった動物の資源としての利用そのものは何ら否定されないのですが、だからと言って動物に対しては何をやってもかまわないというわけではありません。カントは虐待や過度の使役といった動物に対する残虐な行為は、それを行う人間自身の道徳性を損なうことになるので、自分自身に対する道徳的義務に反する、として批判します。

 平たく言えば、「動物を苛めて喜ぶような心を持つと、人間に対してもロクなことはしない。だからそんな心になってしまうようなことをしてはならない」ということでしょう。 動物虐待と道徳性の関係は、カントが考えたほど単純ではないと思われますが、動物への対応が人の心へ様々なインパクトを与えるのは確かですから、動物を扱う際にはその点への配慮が必要なのだという指摘として、この議論を積極的に捉え直すことが可能です。

多くの人が納得できる社会的合意には「人間中心主義の立場」採用せざるを得ない

 ところで、多くの人々が納得できるような社会的合意をつくっていくためには、最終的には人間中心主義の立場を採用せざるを得なくなると私は考えます。その理由は、この社会において生活し働く人々の大多数は、「人間を格別に大事な存在として位置づけた上で、自然や環境に関わることを、あくまで『人間の利益』・『人間を中心とした価値観』においてとらえ、対処しようとする」立場を採るであろうと考えられるからです。

 しかし、だからと言って人間中心主義に批判的な立場を切り捨てたり、無視したりしてよいということではありません。そうではなく「人間の利益とは何か」ということについて考察と認識を深めていくために、それらを問題提起として批判的に受け止めていく必要があると私は考えます。

科学技術の発展を促した結果、環境破壊が地球規模で深刻化

 ここで一つの実例をあげましょう。私たちは市場経済に立脚した近代的な産業社会のなかで暮らしていますが、そこでは「より豊かに」「より便利に」「より快適に」という価値観が掲げられ、その実現に貢献できる活動 ── 個人や企業・国に対してより多額の経済的富をもたらすことができる、あるいはより利便性の高い財やサービスを供給できるような ── が激しい競争を通じて展開してきました。

 そしてそのことが科学技術の発展を促した結果として、「大量生産・大量消費・大量廃棄」に基づく文明がグローバルな規模で成立することになりました。この文明によって「豊かさ」「便利さ」「快適さ」が ── 南北格差その他の深刻な課題を孕みつつも ── 確かに実現したのですが、その一方で環境汚染や森林消失、種の絶滅の進行そして気候変動といった環境破壊が地球規模で深刻化していったのです。

「人間さえ良ければいいのか?」

 このような事態は当然にも、産業文明を支えていた価値観への批判を生み出しますが、それと同時に、破壊されていく自然や犠牲となる生物の姿は「人間さえ良ければいいのか?」という疑問を私たちに突き付けます。

 こういったなかから「持続可能性」「自然との共生」といった概念が登場したのですが、そのことによって「人間の利益」の内容が豊富化されました。すなわち、私たちが子々孫々にわたって健康で幸福な生活を送っていくためには豊かな自然が不可欠であるから、目前の豊かさ・便利さを相当程度に犠牲にしてでも、開発を抑制し生態系を保全していくことが必要だとされ、従来の開発至上主義的な考え方は ── 少なくとも表向きには ── 時代遅れの反省されるべきものだと見なされるようになってきています。

 残念ながらまだまだ端緒的であり、現実の環境破壊に目に見えるほどのブレーキがかかっているとはとても言い難い状況ではありますが、このような思想は市民の意識ばかりではなく、企業行動や国際関係にも影響を与え始めています。ですから、私たちはこの「交雑ザル」問題において対立する様々な見解についても、「人間の利益についての認識を豊富化する」という見地から受け止めていく必要があると思われます。

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